第5話:動き出す歯車
陽菜が自宅のベッドで浅い眠りについていた頃、彼女の知らない場所で、巨大な歯車がいくつも、同時に軋みを立てて回り始めていた。
アメリカ国防総省、非通常作戦軍団(UOC)の通信室は、真夜中だというのに煌々とした光に満ちていた 。アリス・アンダーソンは、セキュリティレベルの一番高い個室で、画面の向こうにいる上官に淡々と報告を終えようとしていた。
『――以上が、対象ナイトメアの処理報告です』
「了解した。ロシアの〝カワセミ〟(ジマローダク)の件も興味深いが……」
画面の向こうの男は、そこで言葉を切った。その視線は、報告書の末尾に添付された短い追記に注がれている。
「それよりも、その場にいたという『三人目』だ。アーティファクト(器具)を一切使用せず、他者の精神領域に自発的にダイブした、と。間違いないのか?」
「はい。間違いありません」
アリスはきっぱりと答えた。
「彼女は、極めて高いポテンシャルを秘めた〝天然物(ナチュラル)〟です」
『……そうか』上官は短く息を呑んだ。『直ちに日本側と情報を共有する。ロシア側が確保に動く前に、我々が保護下に置かねばならん』
通信が切れると、アリスは深く息を吐いた。脳裏に浮かぶのは、あの黒髪の少女の怯えた瞳だ。彼女はまだ、自分がどれほど希少で、危険な存在であるかに気づいていない。
同じ頃、東京のどこかにある薄暗いセーフハウスで、アナスタシア・〝ミーシャ〟・ペトロワは、古い無線機から聞こえてくるハンドラーの声に耳を傾けていた。
『〝カワセミ〟、報告ご苦労だった』
ノイズ混じりの声が言う。
『反体制派の過激派が放ったナイトメアの処理は結構だが、それよりも土産話の方が上等だな』
ミーシャは何も答えない。
『新たな〝天然物〟……。それも、覚醒したばかりの無垢な雛鳥か』
ハンドラーは、くつくつと喉の奥で笑った。
『アメリカより先に、我らが保護してやる必要がある。すぐに回収チームを編成させろ。……これは、命令だ』
ミーシャは、ただ「Поняла(パニャラー/了解)」とだけ呟き、通信を切った 。
窓の外では、コスモス・セクターの灰色のビル群が、冷たい夜の闇に沈んでいた 。
そして、その情報はすぐに日本の諜報機関の中枢にも届いていた。内閣情報調査室、特殊事案対策室――通称「特対」。その起源は、古くは朝廷を呪詛から守ってきた陰陽師の一族にまで遡ると言われている 。
深夜にも関わらず、特対の本部の一室には、数人の男女が集まっていた。
「アメリカからの情報通りです。都内で、新たな〝天然物〟の覚醒を確認。ロシアのSVRも、既にこれを探知しています」
報告を受けた壮年の男は、腕を組み、険しい顔で目を閉じた。彼の名は、鬼塚玄。特対が誇る最強のエージェントであり、日本の「切り札」だった 。
「ロシアと反体制派が、必ず獲りに来るぞ」
鬼塚の低い声が、室内の緊張を一層高めた。
「我々が先に保護し、護衛をつけねばならん。周囲は人員を多数配置するとして、身近な護衛がすぐに必要だな」
別の男が頷く。
「しかし、一体誰を? 現在、腕の立つ者は、西日本での対大陸系任務の準備で手が離せません」
室内が、一瞬の沈黙に包まれた。その沈黙を破ったのは、鬼塚だった。彼はゆっくりと目を開き、その鋭い眼光で部下を見据える。
「……いや、いるだろう。一人、適任が」
鬼塚は、脳裏に一人の若者の顔を思い浮かべていた。粗削りで、まだ未熟なところはある。だが、その秘めたる力と、何よりその真っ直ぐな魂は、鬼塚自身が誰よりもよく知っていた。
「京都にいる、あいつを呼べ」
鬼塚は、決然と言い放った。
「相羽駆(あいば かける)を、東京へ」
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