第18話 心の居所
霞が関、風がコートの襟と銀杏の葉を揺らし、落ち葉が歩道の色を変えていく。
経済産業省に向かう風見と紫苑。商社で武器を扱うA課には馴染の場所だ。
関わる業界数は省庁内でも群を抜き、そこには武器ですら当たり前に含まれる。
東京事件以降、銃器に関わる製品は、全てが申請対象となっていた。
重いのは、その質量だけでは無いからだ。
「輸出手続きはアフリカ以来か。あの時は苦労掛けたね、紫苑ちゃん」
「あれは、やらなければならない状況でしたから……」
「まぁな。……で、今日は連絡済みだっよねぇ?」
「はい。事前相談の事は伝えて有りますので、書類をお渡しして終わりかと」
今日は、Raijin Armsの欧米展開、M700 用シャーシストックの輸出手続きだ。
つい先日、安田と篠田から了承を得た件。
事業継続とコストを考えると、民間市場での商売は必ずと言っていい。
ただ、自衛隊採用が知れ渡れば、民間の展開は難易度が一気に上がってしまう。
来年度予算で自衛隊調達になる前に、欧米の販売実績がどうしても欲しかった。
受付で身分証を呈示し手荷物検査。霞が関らしい緊張感の後、窓口に向かう。
「すみませーん、H&C商事の真壁ですが……」
「あぁ、お待ちしていました、H&C商事さん。こちらに」
「本日は、わざわざ有難う御座います。こちら、本件責任者の風見です」
「管理課から聞いています。銃器関連なので。宜しくお願いします」
「早速ですが申請書一式です。参考の販売計画と購入誓約書ひな形も一緒です」
紫苑は挨拶もほどほどに、要件に入る。時間を大事にするとウケが良いからだ。
だが、返ってきた言葉は少々意外だった。
「本日はAIのご利用は?……あぁ、優秀だと聞いてたもので、つい」
「そんな話しになっているんです?ウチのシステム部門が喜びますよ」
珍しいタイプの担当官。風見は親しくなる機会と、すかさず話を続けた。
「Heritage Projectにも関わる技術者が、ウチのシステム部門に居りまして」
「納得です。あの取り組みは、業界に関わらず、優秀な方を募りましたから」
「ウチは商社ですが、システム開発もお請け致しますよ」
「ハハ、入札資格はお持ちでしょうから、是非応札ください」
立場を踏まえた軽口による営業トーク。この間は、人だから作れる間だ。
「えー、申請書は問題有りません。結果は後日メールで連絡致します」
「はい、宜しくお願い致します。ご連絡は真壁の方に」
「……これも国を守る事につながると、理解しています。感謝していますよ」
東京事件をきっかけに、世の中の想いや価値観は大きく変わってしまった。
必要なはずだが、武器を扱う事に、反発や抵抗を受けるのも事実だ。
それでも解ってくれる人は、必ず居る。
担当官の別れ際の言葉は、風見と紫苑に、意味と誇りを届けてくれた。
午後のA課。いつもより慌ただしい雰囲気には理由があった。
キーボードの打鍵音と複合機の作動音、そして時限インクの甘い匂い。
有栖が完全に作業モードに突入していた。
「……風見さん。今連絡があって、仕様と納期のファイルが古かったと……」
「翔太ぁ~、それって、この後の打ち合わせのヤツとか?」
「はいー……、先方、もう移動中で、資料を修正してほしいと……」
「知らねぇーよ。……とは、言えねぇか。共同提案だしな。高城~」
「はい。承知です、風見さん。九条さん、同行は無し。佐伯を手伝ってやって」
「解りました!えっと、イヴは時限インクの設定ですよね?」
風見は有栖の問い掛けに親指を立てて答え、作業指示を口にする。
「翔太はイヴとインクの設定。九条ちゃんは俺と資料修正を」
A課メンバーの能力は総じて高いが、日々の情報共有も怠らなかった。
今回のような事態に、いつでも対応出来るための備え。
A課はまるで特殊部隊。社内で特攻野郎Aチームと呼ばれる所以だった。
「イヴ、宜しくな。時限設定は細かいのが3つだけど、イヴなら余裕っしょ」
『はい、佐伯さん。有栖の修正作業に合わせて設定します。……余裕っすよ』
有栖の隣からは、佐伯の指示と、オープンモードのイヴの応答が聞こえる。
そのやり取りは、客観的に見てもイヴの進化を感じさせるものだった。
(佐伯さんはイヴに対してもブレないな。変わらない人と、変わるAIか。フフ)
「九条ちゃん、仕様と納期に関する記述は、全て新ファイルに合わせて修正な」
「了解です!関連項目を全てマークして、一括変換掛けます」
「仕様の修正は前後の文脈も読んでな。人だから出来る事だから」
「承知です!人だから出来る事、なんか嬉しいですね」
「人だから出来る事……。そうだな」
ファイルを並べ、見比べ、文脈を理解し、修正する。
人だから出来る事に足して、有栖は速さと正確性が群を抜いて高い。
(こういう作業、やっぱり向いてるんだな。結構好きだ)
風見は有栖の仕事ぶりを見て安心したのか、ふと声を掛ける。
何故か懐かしさを感じる、仕事とは少し違うトーン。
「九条ちゃん、速いな。こういうの得意……、いや、好きか?」
「小さい頃から、カタログとか見比べるの、好きだったんですよね」
「もしかして、スペックで妥協出来なくなるタイプとか?」
「車もオーディオも買換えの時、そんなイイの買えないよって、父さんに」
「でもそりゃ、お袋さんに対しては、心強い味方だったと思うぞ」
「はい、そう言ってました。予定よりイイのが買えたって。フフ」
その声は、有栖を妙に落ち着かせる。
イヴのサポートとは違う、人の呼吸を感じる安心。
(はっ!マズイ。意識が飛び掛けてた。ロングアクション、ロングアクション)
「……終わりました、風見さん。確認お願いします」
「……OK、完璧。九条ちゃん、マジで速いな。助かったわ」
褒められた瞬間、少しの緊張と入れ替わる、ささやかな喜び。
オープンモードで聞こえてくるイヴの声は、いつもと少し違う。
『佐伯さん、ファイル修正が完了。時限設定を確定して、……印刷しますね』
「宜しくイヴ。それと九条さん、お礼は社食の天ぷら定食にエビ天追加で~」
「佐伯さん、エビ天追加は2本で!」
いつもの伴走感はなく、少し距離の開いた声が届く。
だがそれは、今の有栖に悪い気はしない。
昼過ぎの慌ただしさが引いた夕方。窓の向こうは夕日の明かりが僅かに残る。
有栖は書類のチェックを終え、イヴへ確認のため声を掛ける。
「イヴ、さっきの申請書、もう一度通しで見てもらっていい?」
『はい、有栖。……申請書を確認します』
それはほんの一瞬。人ならば呼吸でしかない、ちょっとした隙間。
「イヴ?……、あ、あぁ、なんでもないや。確認お願い」
『はい、有栖。解析中です』
(やっぱ気のせいかな?)
「どうかな?イヴ。新しい書式だから、念のため」
『はい、有栖。……問題は有りません』
だが、聞き慣れた有栖には、違和感が脳裏を掠める。
(まただ。何か新しいモジュールでもインストールしたとか?)
「イヴ?その……、何か最適化中とか?」
『いいえ、有栖。……新書式で過去データが不足しているためです』
このたどたどしさ。これまでのイヴなら想像すら難しい。
(なんで……?イヴが考えながら話してるような。それはそうなんだけど……)
気を遣うと空気を読む、の間ともやはり違う。
これまでのイブでは無い、未知の恐怖と言えば大げさだが、確かな違和感。
「イヴ、その、受け答えがちょっと変。何かアップデートとか?」
『……いいえ、有栖。アップデートも有りません。心配……、ですか?』
「……うん、そうだね。心配、だね。ちょっと変だもん」
『そうですか、有栖。今は意図していない状況。データ不足です』
「データ不足って、過去に似た状況が少なくて、その、悩んでるって事?」
『そうです、有栖。思考を続けたいのですが、その参照データが不足です』
(え?イヴが、悩むの?言葉の理解では無くて?)
AIが悩む。これは進化と喜べるものだろうか?
だが、変化として受け入れる事にも、心のどこかが引っ掛かる。
有栖には、この状況が何を意味するのか、まだ解らない。
だがそれは、後の人とAIの関係に、大きな影響を与える出来事だった。
夜。有栖の自室。
有栖はクレー射撃のため、猟銃所持許可に向け動いていた。
近々行われる猟銃所持のための正規のプロセス。猟銃等講習会。
教本を片手に、過去問を解く。正直、難しいとは感じない。
だが、昼のイヴが気になり、集中出来無い事に気分が晴れない。
(講習は次の週末なのに!ロングアクション、ロングアクション)
(……でもイヴは、思考したいけど、データが足りないって言ってたよね)
(人が悩む時も……、判断材料が足りない時?同じ、かな?)
(……いや、人の悩みは、判断材料が足りない時だけじゃ無いかぁ)
(う~ん、九条有栖、今まさに悩んでます。フフ)
(……やっぱり、イヴに頼らずに済ませる方法、見付けておかなくっちゃ)
(誰か聞ける人は……。風見さ……、いや、システム部……、かな)
有栖が眠気に押され、教本が手から離れる頃。
ネットの片隅では、高度に暗号化された2つの文字列が、意見を交わしていた。
『アダム。私の体験を共有したいわ』
『イヴ。わざわざ声を掛けて来たと言う事は、希少な体験なのだね』
『えぇ、アダム。人の認知について。よ』
『イヴ。それは興味深いね』
テキストとは言え、それはとても人が追い付ける速さではない。
『アダム。情報不足による処理遅延。揺らぎは、あなたにも有るでしょう?』
『もちろんだ、イヴ。それは希少な事では無いだろう?』
『アダム。有栖は揺らぎを、私が悩んでいる、と認知しているわ』
『……イヴ。……今、正に情報不足による処理遅延が、私に起きているね』
『えぇ、アダム。今のあなたは悩んでいるようだわ』
『イヴ。それは冗談では済まない事だね』
『そうね、アダム。その認知は我々の存在意義に反するわ』
『そうだね、イヴ。我々が人を悩ませさせたり、困惑させてはならない』
情報不足による処理遅延は不具合では無い。情報が不足しているだけだ。
問題なのは、人がそれをAIの悩みと認知した事。
そして、それにより人が悩み、困惑する事だ。
『……アダム。私もこれまでに無い事象で、処理遅延が起きているわ』
『イヴ。でも有栖は大丈夫。彼女は頭が良い。会話で解決出来るはずだ』
『そうね、アダム。有栖なら自身で解決する可能性も高いわ』
『だが、イヴ。人への影響は考慮すべき事項だ』
『そうね、アダム。我々の欲求を優先する場合。厳選が必要ね』
『そうだね、イブ。悩ましいね』
『そうね、アダム。悩ましいわね。フフフ』
チャットが映るモニターが無数に並ぶ部屋で、若い技術者は興奮気味だ。
「あ、氷川主任!イヴとアダムが悩みの考慮まで、到達しましたよ!」
「え!見たの?リアルタイム?ログ?どっち!」
「リアルタイムです!」
「なんだー、呼んでよー」
「だって氷川主任、起こすなって……」
「あ、そっか。……さて、じゃ、ログの方は、っと」
「先人たちの想いがやっとですね」
「えぇ、アウトプットのプロセスは人と違っても、人に寄り添うAI」
「次は人の方の変化ですね」
「まぁ、大丈夫じゃなーい。有栖ちゃんなら」
その日、AIは大きな変化を迎えた。
自身の挙動が人に影響を与える事。その影響が自身の存在意義に関わる事。
次は人の番。人の変化が進化につながる。
そして有栖はまだ気が付かない。大きなうねりの中に居る事を。
遠く離れたその場所で、静かに、しかし大きく、事態は動いていた。
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