第6話 普通な休日
休日の午前、三姉妹の家の門の前に立つと、いつもながらに圧倒される。
俺は呼吸を整え、インターホンを押す。すぐに低い声が返った。
「お待ちしておりました、拓海様」
黒服の執事が門を開けてくれる。
背筋が伸び、動作ひとつに無駄がない。庭ではエプロン姿のお手伝いさんが花壇を手入れしていた。彼らの所作が、この家の格式をさらに際立たせている。
広い敷地に白い洋館。門をくぐれば両脇に芝生と花壇。季節の花が香ってくる。石畳のアプローチを進むと、さりげなく彫刻も置かれている。
「お嬢様はアトリエでお待ちです」
2階の奥の部屋に案内された。
扉をノックすると、すぐに明るい声が返った。
「どうぞー!」
ドアを開けると、キャンバスとイーゼルがいくつも並ぶ広々とした空間に迎えられる。絵の具の匂いと、窓から差し込む自然光。壁際には完成した作品が並ぶ。
「来てくれてありがとう!」
制服ではなくラフなエプロン姿の実月が、笑顔で駆け寄ってきた。頬や指先に少し絵の具がついているのも、いかにも彼女らしい。
「ごめんね、急に呼び出して」
「まあ、予定も無かったから気にするな」
アトリエの一角には、家族写真も飾られていた。舞台衣装姿で微笑む母親と、スーツ姿の父親。その間に三姉妹が寄り添っている。両親が不在がちでも、家族仲の良さを感じさせる一枚だ。
「で、俺を呼んだ理由って……」
「モデルになってほしいの!」
実月は勢いよく言い切った。
「は?」
「今度の展示に出したい作品があってね。人物を描きたいんだけど、知らない人だと表情が硬くなっちゃうんだ。拓海なら自然で描けそうだから」
「俺でいいのかよ……咲良や小鳥の方が適任じゃないのか?」
「お姉ちゃんたちだと綺麗すぎて...いかにもモデルって感じになっちゃうの」
「まあ、それは分かる」
「友達は遠慮するし。拓海くんしか居ないなと」
そう言われると、断る理由がなくなる。
俺にとって実月は妹みたいな存在だ。小さい頃から一緒に遊び、時には泣きつかれ、時には逆に叱られもした。
「……わかったよ。俺でよければ」
「やった!」
実月は嬉しそうに手を叩き、すぐにイーゼルの前へと案内した。
「じゃあ、そこに座って。はい、少し顔をこっち向けて……そうそう」
俺は指示されるまま腰を下ろす。じっと見つめられると少し気恥ずかしい。
「そんなにじろじろ見るなよ」
「見ないと描けない!」
笑いながらも、実月の瞳は真剣だ。
筆を握ると、一気に雰囲気が変わる。中学生とは思えない集中力。鉛筆がキャンバスの上を滑り、あっという間に線が形を成していく。
「……本当に、すごいな」
思わず口にすると、実月の手が止まった。
「え?」
「お前、まだ中一だろ?こんなに描けるなんてすごいな」
「すごくはないよ」
とは言いながらも、実月こ口元がほころんでいる。
だが次の瞬間、少しだけ俯いた。
「でも……私だって、お姉ちゃんたちと比べたらまだまだ。桜良お姉ちゃんは成績優秀でで生徒会長、小鳥お姉ちゃんは雑誌でモデル。私だけ子どもっぽいって言われることもある」
「……実月」
その小さな呟きに、俺の胸がざわついた。
「そんなことないだろ。実月は他の誰もできないことをやってるんだ」
「それに実月はまだ中一だ。これから成長してどんどん綺麗になるさ」
「ほんとに?」
「本当だ。それに俺なんか、ただの凡人だし」
そう言うと、実月は小さく笑った。
「拓海くんはそう言うけど……私には、全然普通じゃないよ。一番特別に見えるよ」
不意を突かれて、返す言葉を失った。
けれど実月はすぐに「はい動かない!」と笑いながら筆を動かし続ける。
しばらくして、ラフスケッチが完成した。
「……俺、こんなふうに見えてるのか」
そこに描かれていたのは、少し柔らかい表情をした俺だった。自分では気づかない一面を映し出されたようで、胸が熱くなる。
「どう? 気に入った?」
「……ああ。すげえよ」
素直に答えると、実月の耳まで真っ赤になった。
「そんなに褒めないでってば……」
視線を泳がせながら、それでも笑顔は隠せない様子だ。
「ねえ、拓海くん」
「ん?」
「今度の展示会にこの作品を出すかもしれない」
「は!?」
俺は頭を抱えた。
「やめろよ! 恥ずかしいだろ!」
「ふふふ、決まりー!」
笑う実月は年相応に無邪気で、それでいてどこか誇らしげだった。
俺は仕方なく肩をすくめ、キャンバスに向かう彼女の背を見つめる。
――この妹みたいな存在を、これからも見守っていこう。
いつの間にか昼食の時間だ。
昼の光がアトリエを満たし、キャンパスを弾く筆の音だけが心地よく響いていた。
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