隣の三姉妹は今日も騒がしい
あまぐりたれ
第1話 普通
爽やかな五月の朝日が差し込むキッチン。炊き立てのご飯と焼き魚の香りが広がる。
普通で平凡な一日の始まりだ。
朝食と昼食と夕食をまとめて準備する。3食ほぼ同じメニューで、ご飯、味噌汁、主菜と野菜のおかず。そして昼食の弁当用に卵焼きを多めに作っている。
両親は仕事でほとんど家にいない。
年に数回、顔を見せに帰ってくるくらいだ。仲は悪くないし、むしろ優しい方だと思う。けれど俺の日常に彼らはいない。
そんなわけで一人暮らしの高校一年生、というのが久城拓海の現状だ。
正確には「一人」じゃない。
拓海の家の倍以上ある隣地の豪邸に、やたらと存在感のある三姉妹がいるからだ。
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「拓海!待ちなさいってば!一緒に登校しようっていつも言ってるでしょう。」
玄関を出た瞬間、名前を呼ばれる。
振り返らずともわかる。お隣の三姉妹の次女、小鳥だ。いつも適当な時間に家を出るのに、必ず玄関前で待っている。
今日もきっちり決まったツインテール、心まで見透かされそうな大きくて色素の薄い瞳、校則無視の膝上20cm丈の制服。モデルをしている華やかな容姿に通りすがりの男子は全員振り向くだろうけど、拓海にとって小鳥はただの幼馴染だ。
「別に待たなくてもいいだろ。学校なんて一人で行けるし」
「何それ。どうせ同じクラスなんだから一緒でしょ。ほら、お姉ちゃんたちも来るんだから」
そう言った瞬間、二人の背後からコツコツと規則正しい足音。
現れたのは長女の花音。
腰までキレイに伸びた黒髪は清楚そのもの。同じ高校の二年生で成績は学年トップ、凛とした美しい顔立ち。学校の男子の半分は、彼女を高嶺の花だと崇めているはずだ。
「おはよう、拓海くん。今日も小鳥が騒がしくしてごめんなさいね」
「ちょっと!お姉ちゃん、それじゃ私が迷惑かけてるみたいじゃない」
「みたい、じゃなくて事実でしょう?」
「むー!」
仲が良いんだか悪いんだか、いつものやり取り。俺は苦笑しながら靴紐を結び直す。
そこに、さらに元気な声が飛んできた。
「待ってー! 置いてかないでー!」
三女の実月だ。
スケッチブックを抱えて駆けてくる。中学二年生で、姉たちとは違う雰囲気で、ボールが弾んでいるように楽しそうに動いて笑う。絵を描くのが得意で、よく僕に見せに来る。
寝癖がついて更にカールがかかった髪を直す余裕もなかったのか、あたふたしている姿が微笑ましい。
「朝から走ると転ぶぞ」
「だ、だって拓海くんたちが置いてっちゃうから……」
「ほら、言ったでしょう。だから待っててって」
「おーい、だから俺は一人で行くって――」
結局、いつものように四人並んで歩き出す。
幼い頃からずっと一緒にいるこの三姉妹。彼女たちがいるから、拓海は『ほぼ一人暮らし』でも孤独を感じずに済んでいる。
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登校の道すがら、小鳥が雑誌を取り出して俺に見せつけてきた。
「じゃーん!最新号!可愛い私を見てよ!」
「ああ、今月号か。すごいすごい。」
「もっと驚きなさいよ!友達がモデルやってたら『うわっマジか!』って普通はなるでしょ?」
「いや、小鳥は前から雑誌出てるし。今さら驚かない」
「くっ……そうやって慣れてる態度取られるのが一番悔しい……!」
隣で花音がくすりと笑う。
「でも拓海さんのそういう反応、私はいいと思うわ。小鳥はちやほやされるのに慣れすぎているから、冷静に受け止めてくれる人の存在は貴重よ。」
「お姉ちゃん、そういうこと言わないでよ!」
「本当のことでしょう?」
小鳥が頬を膨らませ、俺に詰め寄ってくる。
「ねぇ拓海、たまには『可愛いな』とか言ってみたら?」
「……は?」
「冗談よ冗談!顔赤くしないでよ、ほんと面白いなぁ」
「いや赤くなんてしてない!」
「してるしてる!」
実月は二人のやり取りを見て、ぽんぽん笑う。
「拓海くん、小鳥お姉ちゃんにからかわれてるの似合うね」
「実月まで……」
こうやって賑やかに登校するのが、俺たちの「日常」だ。
だが、あまりに三姉妹が華やかすぎて登校中も校舎内でも周囲の視線が俺たちに注がれる。
三姉妹には憧れ、俺には『なんで普通のオマエが美人三姉妹と一緒にいるんだよ?』という疑問と嫉妬めいた視線だろう。
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昼休み。俺は窓際の自分の席で弁当を広げていた。朝に自分で適当に詰めたもの。見栄えは悪いけど、食べられれば十分だ。
そこへ当然のように小鳥が座ってきた。
「はい、私も一緒に食べるわよっと」
「……なんで毎回ここに来るんだ」
「幼馴染なんだから当たり前でしょ。ほら、お姉ちゃんと実月のお弁当も私が預かってるから」
中等部も上級生も校舎練が違うのに、優花と実月もしょっちゅう俺と小鳥の教室にやってくる。
俺はため息をつきながら、箸を進める。いつも三姉妹に囲まれている気がする。気のせいではなく事実だけど。
「拓海、卵焼き焦げてるわね」
「うるさい。自分で作ってんだから仕方ないだろ」
「ふふ、でも努力してるのは私は偉いと思うわ」
「そ、そうか?」
小鳥に貶された卵焼きだが、優花に褒められたのでとても美味しく感じる。優等生の花音は他人の良いところを褒めるのが上手だ。
そんな空気をぶち壊すように小鳥が言った。
「拓海、私の卵焼きあげる!」
「いらない」
「なんでよ!」
「甘いの苦手だから」
「はあ?こんな美味しくできたのに⁉︎」
「……小鳥が作ったのか?」
「そ、そうよ! だから食べてよ!」
「……一口だけ」
渋々口に運ぶと、思ったより上手で驚いた。
「……うまいな」
「え、ほんと!? やったー!」
「でも甘い」
「もう!」
机の上で繰り広げられるやり取りに、周囲のクラスメイトがちらちらと視線を寄こす。羨ましさ半分、興味半分。
俺は知らん顔で弁当を食べ続けた。
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家に帰る時も帰ってからも三姉妹と過ごす時間が多い。両方の親同士の仲も良く、ひとり家に残されている俺のことを気遣ってくれているのだと思う。
いつだって隣の三姉妹が僕の生活に入り込んでくる。騒がしくて、でも決して嫌じゃない。
『俺はいたって平均的な普通の高校生だ』
拓海はそう信じていた。
彼女たちのように突出した才能も、華やかさもない。自分は今までもこれからも普通に生きていくんだと思っている。
けれど、その『普通』が揺らぐ日が来るなんて、このときの拓海はまだ知る由もなかった。
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