第2夜
俺が住む団地は、築四十年を超えている。
エレベーターは一基だけ。
暗い照明に、軋む床。
それでも住人は慣れきっていた。
ある夜、仕事帰りに乗り込むと、階数表示に見慣れない数字が灯った。
「4.5」
半分だけ沈んだボタン。
気味が悪いと思いながら、指が勝手に押していた。
到着した先の廊下は、見慣れた四階と同じだった。
ただ一点だけ違う。
自分の部屋の表札が——微妙に変わっていた。
「佐藤祥弘」
俺の本当の名前は「隆弘」だ。
一文字違うだけで、ここが自分の部屋である確信が揺らいだ。
⸻
翌日もまた、4.5階のボタンが点灯した。
降りた廊下はやはり普段通り。
けれど表札はさらに崩れていた。
「佐藤祥ア」
印刷の滲みではない。
プレートそのものがそう刻まれている。
⸻
三度目。
俺はもう確かめずにはいられなくなっていた。
扉が開き、自分の部屋に向かう。
そこにあったのは、もはや名前ですらなかった。
「縺ョ縺・※縺ゅ∪縺。縺吶∼縺」
表札は新品であるかのような光沢を放ちながら、ただ意味を失っていた。
⸻
四度目。
降り立った廊下の表札は、もう見知らぬ名前ばかりだった。
[鈴木一][高橋美咲][中村健司]。
俺の部屋の表札は[山口和也]。
鍵を差し込むと、回った。
中は紛れもない俺の部屋だった。
だが、机の上には「山口和也」宛の郵便物が積まれていた。
⸻
数えるのをやめたのは、それからだ。
行くたびに名前は変わり、部屋の中身もわずかに変化する。
ある夜、鏡に映る自分の顔が、どこか別人のものに見えた。
⸻
今夜も「4.5」のボタンが光る。
押さずにはいられなかった。
扉が開く。
自分の部屋の表札は消えていた。
そこにあったのは、手書きの紙一枚。
『空室』
鍵はもう回らない。
震える手で四階に戻り、自分の部屋に立った。
表札を見上げる。
そこにあったのは——俺の名前だった。
[佐藤隆弘]
それはもう俺のものではなかった。
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