第29話
ウェルカムドリンクとして用意されたレモネードを飲みながら、時を待つ。
「お時間です」と声をかけられれば、まるで自分が主役かのように緊張した。
絵本や写真、映像で見るだけだった式場に足を踏み入れる。
一度閉じられた扉が開き、本物の主役が赤い道を歩き出す。本物の主役を目にすれば、ようやくちゃんと、自分が脇役ですらないことに気づけた。観客は、目の前で恥じらい微笑む主役を見つめ、時に立ち上がり、時に礼をし、時に手を叩く。
また、心のどこかでお姉ちゃんへの嫉妬心を膨らませている自分に気づいて、人知れずふっと笑う。
カーン、カーン、カーン――。
祝福の鐘の音を聞きながら、もう目に焼き付いたふたりの晴れ姿を、さらに焼き付けるように見る。
降り注いでいた太陽の光が、刹那和らいだ。
その理由を知るために、鐘の音が溶けていく空を見上げると、そこにはもっちりとした雲の塊がいくつもあった。
「きっと、弟くんがあのマシュマロに乗ってお祝いしに来てくれたんだろうな」
ひとりごつ。
これからもお姉ちゃんとあたしは、きっと変わらない人生距離を維持したまま、いろいろな時を刻んでいく。永遠に追いつけないし、追い越せない。
でも、焦らなくても時は来る。時のほうからあたしの元へ、ふわふわと勝手にやってくる。
そう信じていれば大丈夫って、視線を下げた先にいる、白いドレスを纏ったお姉ちゃんの背中が言ってくれる。
「ところで友希たちは、どんな披露宴を準備したんだろうね」
お父さんが肩を小さく上げ下げしながら、小さな声で言った。どうも、着なれない服が心地悪いみたいだ。
「まぁ、自分たちがやりたいようにしたんでしょうよ」
お母さんが、何の心配もしていないような、穏やかな声で答えた。お母さんは着物に姿勢を正されているのやら、しゃんと背を伸ばし、無駄に見える動きをすることなく、普段着の時には見せない凛とした表情を浮かべている。
「お肉かな。お魚かな」
「なに? お腹すいたの?」
「まだ平気」
「まだ?」
「緊張してるからかな。今はお腹空いたっていうより、ちょっと吐きそう」
「やめてよ。晴れ舞台なんだから」
「平気、平気。だけど、一仕事終えたら、一気にお腹がすきそうで。っていうか、重大任務をやり切るために、その後の楽しみを目の前につるしておきたいっていうか」
はにかむお父さんの顔を見たお母さんの表情が緩んだ。それだけじゃない。調子を狂わされたらしい背筋が、いつものように少し丸まった。
余計な力が抜けたな、とあたしは思う。
この服を脱ぐまでは、この空間から出るまではきっと、特別で、だけどいつも通りの笑顔がたくさん咲くんだとも。
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