第10話 愚国の忠将
閉ざされていた玉座の間の扉が勢いよく開かれると、武装した三人の兵士が息を切らし、慌てた様子で姿を現した。急な出来事に室内にいる全員の視線が注がれると、一番前に出た兵士がその場で跪くと間を置くことなく凶報を告げる。
“西の方角に、敵襲の報せあり”と。
その兵は自らを西の国境付近の防衛を担当していた者だと明かした。内容はアクアブルクによる襲撃と全く同じもの。国境付近を防衛していた駐屯兵は突破され、ここガラル王都近くまで侵攻しているという、まさに凶報に次ぐ凶報であった。
「敵の数は約三万!!進行している軍は貿易商業国家カリオンであることが判明しています!恐らく明日の夕刻までには到着してしまうかと」
およそ全員が現実であることを疑うような地獄を前にして、呆気に取られている中、震えた声でタバフは尋ねた。
「ま、間違いないのか?」
その問いは、タバフでなくともいずれ誰かが質問しただろう。だが、それでも兵士が報告してから誰の口も開かれなかったのは、一度聞いてしまえばその重すぎる絶望と向き合わなければならないからだった。
長年ガラル王国を支えてきた上官兵士や役人は十分過ぎるほど理解している。アクアブルクの対処だけで激震していたこのガラルに、もう一つの大軍を受け止める器がないことに。
「—————っ、間違いありません!!」
暗すぎる未来への展望。報告した兵士は言葉を失う上官たちの様子を目にすることなく、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら顔を伏せていた。
「お父様、これは一体‥‥‥お父様?」
尊敬すべき偉大な父の姿はそこにはなかった。あったのは、鍛えられた逞しいその巨体をみっともなく小刻みに震わせる姿だけ。父がどんな感情に支配され、何を考えているかなど、実の娘でなくとも容易に察することができた。
「盟だ‥‥‥アクアブルクとカリオンは確実に同盟を交わしている」
「は、はい。お父様の言う通りかと、こうなったらもう、城に残していく兵の数を減らすしか」
「いや無理だ」
「え?」
カルロは力のない声でエリナの提案を却下した。
「無理とはどういうことですか」
「恐らくアヴェルからの援軍も間に合わない。三万の軍の対処に追われてしまえば、今度は南方からアクアブルクの一万五千が反対側を突いてくるだろう」
「それがどうしたと言うのです!兵力ではまだこちらが勝っているではありませんか!」
先ほどまで猛々しく輝いていた父の眼光は消えている。それでもエリナは亡国の危機からの活路を見出すため、諦めることなく父へ問い続けた。
「‥‥‥ハルクよ」
「え?あ、はい!?何でしょう騎士団長」
カルロが呼んだのは娘エリナの名ではなく、今も尚跪いている伝令兵だった。
「敵軍の、カリオン軍の軍旗に何か印はなかったか?」
「は、はっ!見間違いでなければ、軍旗には”亀”の刻印がされていたかと」
敵軍の軍旗には出陣している敵将の所在を示す。カルロがわざわざ伝令兵のハルクを名指しし、尋ねたのはその敵将となる存在を明らかにするためだった。
「わかるかエリナ。ここへ攻め込んできているのはカリオンの白亀将ガジンだ」
「白亀将、あの七英将のガジン将軍ですか?」
「そうだ。今からおよそ十年以上前、”不死の悪魔”カイム・アザゼルを討伐すべく組まれた王国連合軍の一将として招集され、戦果を上げて生き残ったあのガジンだ。奴はこれまでどの国に対しても、勝ちを譲ったことはない」
ガジン。その名が飛び出たその時、数人の大臣達は、大きく動揺して声を上げていたが、エリナは構わずカルロと向き合う。
「だからと言って兵も出してすらいないのに敗北を認めるのですか!?これまで二十年以上騎士団を支えてきたお父様がそんな弱気なことを言ってどうするのです!!」
「‥‥‥お前は、戦の怖さを知らないのだエリナ」
「————————っ!!」
弱気になった父の目を覚まさせるため、エリナは素早くカルロのもとへ詰め寄ろうとした時、その間に弟のベルが割って入った。
「なによベル!!今、私はお父様と話をしているの!邪魔をしないで!」
「わかってる!わかってるから!ちょっと落ち着いてよ姉さん」
「落ち着いてるってば!貴方こそ状況をわかってるの!!早く騎士団を動かして対策を練らないと取り返しのつかないことになるわよ!?」
「いや、だからそれは—————————」
リファイトス家における騒動。急なカルロ騎士団長の戦意喪失によって引き起こされたものだったが、その行末を見守っている者はほんの僅かで、他の役人たちはガジン将軍の名を聞いてからあらゆる愚策を出しながらも、タバフの周りに集って話し合いを進めていた。
気がつけば、タバフら大臣とカルロら騎士団を取り纏めていた見事なまでな一体感は見る影もなく、たった今何を話しあっているのかすら見えていない混乱状態にあった。
この国は民を慮ることなく、王による自分勝手な政治が行われていた悪政国という面よりも、そもそもが未熟な国であったと痛感させられたファラクは玉座に座りながら彼らの行く末を眺めていた。惨たらしく生にしがみつき、烏合の衆になることしかできず、掲げていた覚悟と忠義とやらも、いざ圧倒的な絶望を前にすれば容易く捨てることのできる愚者たちを見て、何よりもファラクはこの国で暮らす民たちに深く同情した。自分たちを守ってくれる最後の砦たる王国が、ここまで無能だとこれから蹂躙されるであろう彼らがどうしても浮かばれない。
「——————————フッ」
部屋全体が役人たちの声によって喧騒の渦に包まれている中、ファラクは一人カルロを見て蔑んだ。
綺麗事を公で語り、周囲を意図的に鼓舞しようとする奴ほど心が脆い。カルロの言葉に感動した兵は多く、彼の意気消沈ぶりには同じく戦意を喪失させた者が多い半分、あの男を見損なった者も多いだろう。
それは自らをこれまで飾り付けてきた代償とも言える。王女エリナも同様に危ういが、憧れの象徴として見てきた人間が堕ちる時こそ、その者の信条が揺らぐ瞬間は他にない。
国が国としての機能を失い、王としての力が試される絶好の機会。王国の英雄になるつもりはないが、王子になりすましてまで練った計画の狼煙が降ろされようとしているこの好機を、アザゼル一家の頭が黙って見逃すことはなかった。
曰く、盗賊による国の乗っ取りの始まりである。
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