第7話 連鎖する悪意

 警察署の取調室は思っていたより狭かった。


「美咲さんの友人から通報がありまして」


 刑事が淡々と話す。


「ストーカー行為をしているという内容でした」


「してません!誤解です!」


 必死で弁解した。高校時代の同級生であること。6年ぶりに再会したこと。小説のせいで誤解されていること。


「小説?」


 事情を説明すると、刑事も困惑した表情を見せた。


「なるほど...確かに被害届は出ていませんし、美咲さん本人からの申告でもない」


 結局、事実確認と注意だけで釈放された。こういうケースでは、実際の被害がなければ厳重注意で終わることが多いらしい。


 でも、解放感は一瞬だった。


 スマホが鳴る。プロデューサーからだ。


「すぐに来い」


 スタジオに戻ると、プロデューサーの顔は険しかった。


「警察沙汰か」


「誤解なんです。すぐに釈放されて——」


「それは関係ない。うちのスタッフが警察に連行された。それだけで十分だ」


「でも——」


「申し訳ないが、形式上でも...お前には辞めてもらう」


 頭が真っ白になった。


「3年間...俺、3年間必死に——」


「わかってる。藤原がよく働いてくれたのは知ってる。でも、スポンサーからもクレームが来てるんだ」


 膝から力が抜けた。


 夢だったアニメの仕事。学生時代から憧れて、やっと掴んだ制作の現場。徹夜も、怒鳴られるのも、全部この仕事が好きだから耐えられた。


 机の引き出しから私物を取り出す。3年分の思い出が、小さな段ボール箱に収まってしまった。


「藤原...」


 同僚たちの視線が痛い。同情と好奇心が入り混じった目。


 全てが崩れていく。


 家に帰ると、メールボックスには見慣れないアドレスからのメールが大量に届いていた。


『ストーカー野郎』


『キモオタは消えろ』


『お前みたいなのがいるからアニメファンが——』


 普段ならまとめて迷惑メールフォルダに放り込むところだ。


 でも、その中に一通、違和感のあるメールがあった。


 差出人のアドレスをよく見る。「ikebukuro_cafe_blame_table_no7」という文字が。


 池袋のカフェ、『blame』の7番テーブル。


 あの日、美咲と座った席だ。


 震える手でメールを開く。


『大丈夫?美咲です。捨てアカから送ってる』


『私、最近リアルに雅也くんにストーカーされてるかも...』


 血の気が引いた。


『この間も翔太くんが警察に呼ばれた理由は、多分雅也くんが通報したんだと思う』


『どこで情報を取られるかわからなくて怖い』


 だから捨てアカなのか。


 俺もすぐに新しいメールアドレスを作った。これで最低限のやり取りをするしかない。


 それからの日々はほとんど記憶がない。


 仕事もない。外にも出られない。カーテンを閉め切った部屋で、ほぼ寝ているだけ。


 朝なのか夜なのかもわからない。食事もほとんど喉を通らない。


 風呂に入ったのはいつだったか。髭も伸び放題。


 ある日、何気なく体重計に乗って驚いた。5キロも落ちている。鏡に映る自分の顔は、別人のようにやつれていた。


 そんな数日後、またあいつの小説が更新された。


 恐る恐る開く。


『ついにマサヤの想いが通じた』


『ミサは涙を流しながら告白した』


『「ずっと好きだった。でもショウが怖くて...」』


『二人は抱き合い、そして——』


 続きを読んで、吐き気がした。


 執拗に描写される性行為。ミサがマサヤに身を委ねる様子が、これでもかというほど詳細に書かれている。


『ミサの白い肌に、マサヤの手が——』


 読むのをやめた。


 怒りで手が震える。美咲を、俺たちを、ここまで侮辱するのか。


 PCを開くと、美咲から新しいメールが来ていた。


『怖い...助けて...翔太くん』


 添付された画像を見て、息を呑んだ。


 LINEの通知画面のスクリーンショット。


『会いたい』


『好きだ』


『いつも見てるよ』


『今日も綺麗だったね』


『なんで返事くれないの』


『愛してる』


 同じアカウントから、延々と続くメッセージ。


 時間を見ると、深夜から明け方まで、ほぼ1分おきに送られている。


 雅也だ。間違いない。



 つづく



《次回予告》


「決意と再起」


 ************


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