第45話 平和への祈り
イグニフェールとオービスが盟約を交わすと、それまでイグニフェールにびくびくしていたティニーの当主が、そわそわしながらオービスをチラチラと見るようになった。
「これで、ティニーはオービスの言うことも頭に入りやすくなるだろう」
「ありがとう、イグニフェール」
「良い。礼ならば、そうだな。お前の結婚式にでも呼んでくれ」
イグニフェールはグッグッと喉から音を鳴らして笑う。オービスは照れたように笑うと、小さく頷いた。
「分かった。その時にはイグニフェールとイグニウスも招待しよう」
「それで良い。さあ、早速ティニーたちに仕事をくれてやってくれ」
イグニフェールはそう言うものの、突然決まったことにすぐに対応できるわけもなく。オービスはジッと考えて、首を横に振った。
「一日だけ時間が欲しい。ティニーたちの能力を最も活かした村のためになる仕事を考えたい。それに、ティニーたちの人生を預かることになるから。ティニーたちにとっても負担が少ない方法を考えたい」
オービスのはっきりとした言葉に、イグニフェールは呆れたように笑って頷いた。
「分かったよ。お前は、本当にお人好しだな」
イグニフェールはのっしのっしと地面を揺らしながら巣窟へと帰っていく。イグニフェールのしっぽが見えなくなると、領民たちの肩からふっと力が抜けた。
「やっぱ、竜族は凄い存在感っすね」
ドラコの呟きが零れると、張り詰めていた空気も揺らぐ。各々好きに話しながら、散り散りになって仕事へ向かう。オービスも辺境伯邸へ戻ろうとしたが、領民たちに紛れて自分を見ていたスキウルスに気が付いて駆け寄った。
「スキウルス様」
「オービスさん。凄いですね。竜族と盟約を結ぶなんて。騎士の中にもいないですよ?」
「俺の場合は、偶然ですから」
オービスは謙遜しながらも照れたように頬を掻く。その様子にスキウルスは呆れたように笑った。
「謙遜することはないですよ。オービスさんの優しさと熱意が伝わった結果ですから。それに、ティニーの捕獲成功もおめでとうございます」
「それこそ、イグニフェールのおかげです。これからは、ティニーたちも領地の仲間として過ごす方法を考えていかなければなりません」
「考えることは山積みですね」
二人は自然と並んで帰路を辿る。青空が見守る中、二人はゆっくりと歩を進めた。自然が多いピンパル辺境伯領。その森の中からは明るい魔物たちの声が聞こえる。
襲ってこなければ、魔物たちを討伐することもない。比較的温和な魔物たちは、森の恵みを享受しながら共生していた。発見次第討伐する地域もある中で、魔物を討伐せずに共生することは珍しい。
「魔物たちの楽しそうな声なんて、ここに来るまで聞いたことがありませんでした」
「そうですね。これは、俺の父の持論から始まったことなんです」
オービスが目を細めると、スキウルスは興味深そうに見つめた。
「魔物たちの中にも食物連鎖というものがあって、人間による討伐でその関係が崩れてしまうことがある、ということです。魔物同士が捕食し合うことで、餌不足で襲われる人を減らすことが目的です」
草食の魔物は草を食べる。のんびりした性格の魔物が多いため、食糧難にならない限りには森から出てくることは滅多にない。それに彼らが食事をすることによって森の植物の数がほどよく減らされることも、森の管理の上では必要なこと。
肉食の魔物は、そうした草食の動物を捕食する。草食の魔物の数が十分にいるときは人間を急襲することが少なくなる。食べられるものに困らないのに襲う時は怒っているとき。人間側に非があることが多い。
食物連鎖は世界の均衡を保つために必要だ。私利私欲による討伐や無益な殺生、そして森の破壊は防がなければならない。それは森の外へも波及して、世界が崩壊してしまう。
「父は、強い人でしたから。世界平和を実現するためにはどうすれば良いのか、真剣に考えているような人でした」
「それは、とても素敵なことですね」
スキウルスは山の向こうにあるはずの隣国へと心を向ける。戦争がいつ勃発してもおかしくない場所。魔物の襲撃と隣国からの襲撃に堪えることがこの辺境の仕事。
平和のために必要なことは、力ではない。互いの心を察し、私利私欲よりも相手の幸福を考え合うこと。スキウルスはそれが難しいことくらい分かっていた。もう何年も王家で約束を破る人間を見ていた。
それでも平和への祈りが止まず、けれど祈っても平和は訪れず。どうすれば良いのか、結局分からない。答えが見つからないまま、考えることを放棄しがちになる。
「俺も、父のように。この領地の誰もが幸せに暮らせる場所にしていきたいです」
辺境伯邸に到着して、領地を振り向く。オービスが生まれ育ち、守りたいものが集まる場所。
「これから、この場所が幸せであるように。二人で頑張りましょう」
スキウルスの言葉に、オービスは目を見開く。そして、照れたように震える口角を上げた。
「はい。二人で」
視線を交わさずとも、通じ合う瞬間。同じ方向を見つめ、そっと小指を絡めた。
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