第40話 イグニフェールの後悔
サラマンダーたちのもとへ向かったオービス。状況を伝えると、イグニフェールは不思議そうに首を傾げた。
「討伐ができないなら、封印したら良いじゃないか」
「封印?」
オービスは驚いた様子で眉間に皺を寄せた。イグニフェールは右の前足をひょいっと持ち上げてみせる。
「こうやって印を切れば、自分より魔力が弱い魔物である限りどんな魔物も支配下に置くことができるだろう? 支配してしまえば、封印だって簡単さ」
「そういうものなのか?」
「魔物の常識だよ」
人間のオービスは肩をすくめて見せる。人間には魔力がない。そんな常識は持ち合わせていなかった。
「もしも可能なら、お願いしても良いか?」
「そうだな。この子が無事に生まれたのはお前のおかげだ。それに、家まで用意して信仰してくれるのだろう? ならばそれくらい、易いものだ」
「本当か? それは、とても有り難い」
オービスが目を輝かせると、イグニフェールは尻尾をぶんっと振った。そしてツンッと顎を上げる。子サラマンダーはその姿を見ると真似をするように顎を上げてみる。
「はは、可愛らしいな」
「そうだろう? そうだ、この子の名をそろそろ考えないとな」
「サラマンダーの名付けとは、どういうものなんだ?」
オービスの問いに、イグニフェールは少し考える。そして子サラマンダーの顔を大きな舌で舐め上げる。子サラマンダーは擽ったそうにキュルキュルと鳴いた。
「大抵は両親の名から少しずつ取ることになっているな」
「イグニフェールと、この子のお父さんの名前から取るのか?」
「そうなる。この子の父の名はヴォルカニウス。我よりも年上で、竜たちの間ではヴォルクと呼ばれていた。力強く、他種族の竜からも人気のある雄だった。我もその力を認め、求婚してきたヴォルクと番になったのだ」
当時を懐かしむように目を細めるイグニフェールの瞳には、薄っすらと涙が浮かぶ。子サラマンダーが不安げにイグニフェールに寄り添うと、イグニフェールは天井を見上げた。
「ヴォルクが死んだと分かったのは、本能だった。番とは、その死を互いに察することができるからな。我は悲しむことができなかった。それ以上に、抱えていたこの子を守らねばならないと思ってしまった」
「母親として、当然の本能だよ」
「そうかもしれない。だが、番としては、最低なことをした」
イグニフェールは俯き、長く息を漏らす。オービスはその深い後悔に何も言うことができなかった。子サラマンダーもイグニフェールに静かに寄り添うばかり。
「せめてもの償いに。ヴォルクが守ろうとしたこの子の名に、ヴォルクの名を残してやりたい」
オービスはその言葉に頷いた。
「その想いを受け継いだイグニフェールの名も、分けてあげて欲しいな。この子が、強く優しくあれるように」
イグニフェールは大きく目を見開き、オービスを見つめる。しばらく硬直したのち、小さく頷いた。
「それもそうだな」
イグニフェールは穏やかな眼差しを子サラマンダーに向ける。
「この子の名は、イグニウス。両親に火山の守護者を持つ、力強く優しい竜になる子だ」
「イグニウス。とても良い名前だね」
名付けられたイグニウスは、高らかな雄叫びを上げる。その凛々しくも優しい声は、鉱山の麓にいた領民たちの耳にも届くほど響き渡った。
「気に入ってくれたみたいだな」
「ああ。そのようだ。ありがとうな」
「俺は何もしていないさ」
「そうでもない。お前のおかげだ。先ほどの話、しかと引き受けたからな。案ずることなく、民を守るが良い。我らの祠の完成を楽しみにしておるからな」
オービスは頷いて、最後にイグニウスの頭を撫でてやってから巣窟を後にした。
オービスが領地に戻ると、領民たちと共に畑の水やりをしているスキウルスの姿があった。オービスは一瞬目を見開いたが、すぐに柔らかく目尻を垂らした。
「お疲れ様です」
スキウルスは顔を上げると、オービスに微笑む。領民たちの手前か、いつもの冷静さを含んだ笑み。オービスはどこかそわそわしたように指先を弄ると、小さく微笑んでみせた。
「少しお話があるので、執務室に来てもらえますか?」
「はい、分かりました。あそこまで水をやり終えたら向かいますね」
「分かりました」
スキウルスが再び水やりを再開する姿を少し見守って、オービスは従士たちを呼びに向かった。
ほどなくして、執務室にカリタス、スキウルス、三人の従士が集まった。オービスはイグニフェールとの話を伝えた。
「まさか、魔物にそんな力があるとは」
「ですが、これで安心ですね。お礼に立派な祠を建てなくては」
クリオが感心したように言うと、ネルヴァも頷く。そして決意に満ちた眼差しで窓から見える鉱山を見つめる。二人の様子に、ドラコも拳を握りしめた。
「イグニフェール様がなんとかしてくれるまで、俺たちで領地を守らないとっすね!」
その言葉にオービスも頷き、今後の警備についての話し合いが始まった。カリタスは、そっとスキウルスのそばに近づいて耳元に口を寄せた。
「スキウルスさんのおかげで、好転したわね」
「私は、何も」
スキウルスが肩をすくめると、カリタスは柔らかに微笑んでその背中を撫でた。
「胸を張って。スキウルスさんも、この領地を守る人なのだから」
カリタスの言葉に含まれた重みが、スキウルスの胸にのしかかる。期待と責任。スキウルスは頷き、胸を張った。
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