第5話 二人の夜
婚約式と立食パーティーを終えた夜。オービスはスキウルスを応接間に案内した。
「今日はお疲れでしょうから、明日新しい部屋を決めましょう。空いている部屋ならばどこを使っても良いので」
「分かりました」
スキウルスの指示でカニスとレオは新居探しと称して席を外している。二人きりとなると、オービスはそわそわと手を握ったり開いたりとせわしない。
「あの」
「は、はいっ」
いきなり声を掛けられて、オービスは普段は出ないような高い声が出た。スキウルスはその声に目を丸くすると、可笑しそうに小さく笑った。
「驚かせてしまいましたか」
「い、いえ、俺が、勝手に驚いただけなので。えっと、それで、なんでしょうか?」
オービスが眉を下げて不安げに問うと、スキウルスは少し真面目に表情を引き締めた。
「婚約の件ですが、元々は妹のラナさんがお相手でしたよね?」
「は、はい。ですが、妹は結婚してしまいましたので、代わりの独身の近親者が俺しかいないので、俺が婚約することになりました」
オービスはそう言うと、大きな身体を縮めてスキウルスを見つめる。オービスの方が圧倒的に大きな身体をしているのに、スキウルスを上目遣いに見上げているような姿勢になってしまった。
「法律上は婚姻に性別は関係ないとはいえ、殿下は、女性の方が良かったですよね? 俺が相手になってしまって、申し訳ありません」
オービスは素直に、しょんぼりと肩を落として謝った。スキウルスはオービスのそんな様子に小さく笑う。
「別に、構いませんよ。政略結婚とも言い難いような、私の父である陛下が勝手に決めた縁談ですから。勅旨だなんて、断れないような方法を使ったところも腹立たしい。ご迷惑をかけました」
スキウルスまで頭を下げると、オービスは慌ててその肩に触れた。
「それこそ、殿下は悪くないでしょう? 俺の方は、大丈夫ですから」
オービスは、どこか安心した様子で柔らかに微笑む。スキウルスはそんな無防備な姿に戸惑うように一瞬瞳を揺らした。けれどすぐに悪戯っぽく笑ってみせた。
「もしかして、婚約式の衣装が女装だったのは、私への配慮ですか?」
「あ、いえ、その。鍛えすぎて、タキシードが着られなくなってしまって、仕方なく。ふざけた格好になってしまって、申し訳ないです」
オービスは今度は泣くのではないかと不安になるほど顔をくしゃりとしかめた。スキウルスはオービスの表情がころころと変わる様子に小さく吹き出した。
「ははっ、大丈夫ですよ。辺境の地では衣装の調達も難しいことでしょうから。それに、辺境伯として日々鍛錬をしているのであろうことが伝わってきて、とても頼もしく思っています」
スキウルスの言葉に、オービスはホッと息を吐く。そして照れくさそうに頬を掻いた。
「ご理解ありがとうございます。辺境伯として、という話は、亡き父に比べればまだまだです。それに、従士たちに頼ってばかりで。領民を守るために、私はもっと強くならなければなりません」
剣豪と言われ、戦功を挙げて貴族に成り上がったインウィクスの話は国内では誰もが知るほど有名なものだった。オービスはそこに追いつこうと必死だが、背中が大きすぎる。その評定にも、どこか自信のなさが滲み出ていた。
「それでも諦めないから、領民たちにも慕われているのでしょう。私とカニス、レオも温かな領地で生活できることを喜ばしく思います」
スキウルスの整った微笑みに、オービスはどこか曖昧に笑って返した。そして何か思い出したように眉を跳ねさせる。
「そうでした。殿下ほどの方が、どうしてお連れの方が執事と専属騎士を一人ずつだけなのですか?」
王家といえば、護衛も世話役も大量にいることが当たり前。婚約式には多くの使用人や騎士を引き連れて現れたものの、式が終わると三人を残して早々に王都へと帰ってしまった。
スキウルスは肩をすくめると、力なく微笑んだ。
「私は第三王子といっても王位継承を放棄した身ですから。その身を危険にさらされることも滅多にありません。それに結婚すればピンパル辺境伯家の一員になることも決まっています。王族らしさなんて、ここでは邪魔なだけでしょう?」
オービスは何も知らないなりに、その微笑みの奥に隠されたものに共感するように目尻を下げた。その優しすぎる表情から、スキウルスはそっと視線を外した。
「とにかく、私はこの地でオービス殿と結婚し、生活していくつもりでいます。よろしくお願いしますね」
会話の断絶に、オービスは気持ちを殺して微笑んだ。
「はい、よろしくお願いします。何か困ったことや不便があればいつでも声を掛けてくださいね」
「はい、ありがとうございます」
「では失礼します」
最後は形式的に別れ、オービスは部屋を出ていった。スキウルスは実家のベッドより硬いベッドに寝転がり、小さくため息を漏らした。そして窓辺に置かれた金魚鉢に視線を向ける。
コ゚ーフィス王国の守り神であり、この個体はスキウルスが幼少期から大切に育てている個体でもあった。身体を起こして、ちょこんと金魚鉢に触れる。
「不思議な人だったよ。頼りがいはあるのに、情けなくて、どこか放っておけないような、さ」
金魚に語りかけながら、窓枠にそっと肘をつく。そのとき、何かが空を切る音が聞こえて下を見下ろした。そこは裏庭。オービスが素振りをしている姿がよく見えた。集中しているのか、オービスはスキウルスが自分を見ていることには気が付かない。
スキウルスはしばらくの間、一心不乱に鍛錬に勤しむオービスの姿を静かに眺めていた。
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