引きこもってる場合じゃない①

あれから一ヶ月ほど経った。

変わらずイランは錠をかけ扉を閉ざしている。


医者に言われた通り、イランへの声掛けなどは行われていたが、やり過ぎればかえってプレッシャーになりかねない。

放置もやり過ぎも良く無い。

そこで決まったのが、当番制で配膳とともに様子を確認しに行くことだった。


事態は何も進展していなかった。

むしろ悪化していた。


正規で雇われた使用人はイランが閉じもることによって毎日のように降り掛かってきてた災難から逃れ、伸び伸びと業務に当たることができている。

このままでは良くないとは思いつつも現状できることは無いという結論に至っていた。


だがイランに拾われた使用人達、特にクレアは日に日に憔悴していった。

イランのことが心配、と言えば話は単純だがその様子はあまりにも必死で、見ていられなかった。


「坊ちゃん……坊ちゃん…わたしです。クレアです。扉を、扉を開けてください。大丈夫ですよ……大丈夫です…怖くないですから。少しでいいんです…顔を……顔を見せてくださいませんか……?坊ちゃん…!」

今日もまたクレアは当番を無視して声をかけにきていた。


その姿を見ていたエフィはあの日のクレアの話を思い出す。



––––私たちを救ってくれたのは、他の誰でもない、坊ちゃんだけでした––––



ぐっ、と下唇を噛み締める。

「クレア、もう時間も遅いですし、この続きはまた今度にしなさい、ね?」

扉の前で声をかけ続けるクレアに諭すように優しく肩に手をかける。

当番制の無視を咎めるなんて、とてもじゃ無いがエフィには出来なかった。


「でも……でもぉ……全然……全然お食事も取られないですし……もし…もし死んでいたら」

「最低限の水分はとってくださっているわ。それに……たまにだけど配膳したお食事も減っている日もある…だから………」

大丈夫、とは言えなかった。

「………それよりも坊ちゃんは人を怖がってるのだから、もう少し頻度を落としなさい。あなたの気持ちもわかるわ。だけれど………」


憔悴しきった彼女の表情をみつめる


「……あなたも少し休みなさい。このままではあなたもダメになってしまうわ。」

そう言い幼子のようにごねるクレアを半ば強引に部屋に送り届け、エフィも自室で就寝についた。


だがクレアは次の日も


「イラン坊ちゃん」


その次の日も


「開けて、開けてくれませんか?」


そのまた次の日も


「他の人が怖いなら、黙っておきますから……どうか、クレアにだけでも……」


声をかけ続けていた。

毎日毎日、欠かさず、救いを求めるように。


そんなある日、突然––––




「………クレア」




––––部屋の主から扉越しに返事が返ってきた。


初めは幻聴かと思った、

もう一生顔も、声も聞けないのかと思った。

恩もろくに返せずこのまま終わってしまうのかと……だが


「なぁ、クレア」


幻聴では無かった。

いつも聞いていた圧の強い声では無かったが、聞き間違えようもないイランの声。

何度も願った主人からの返事に感情が抑えきれず顔がグシャグシャになる。

イランの声をより強く感じようと、縋り付くように扉にへばりつく。


「はい……!!はい!!坊ちゃん……クレアです!クレアはここにいます!!だ、大丈夫なのですか?!」


その質問には答えずイランは問いかける。


「クレアは…俺のこと好きか……?俺のことを信じてくれるか?どんな時でも……裏切らないでいてくれるか…??」


まるで婚姻を結ぶ言葉のような、甘ったるく恥ずかしい、夢見る少女のような問いかけだった。

だが当の本人にとっては何にも変え難い大切なことだった。


「はい……ッ!はいッ!クレアは決して坊ちゃんを裏切りませんッ!坊ちゃんが望むならなんでもしますッ!なんだってして見せます…ッ!」

たとえ命に変えてでも。

そんな強い意思が声色から伝わってくる。


「………そうか……」


その声はもう、扉越しではなくなっていた。


「あ………あぁ…」


久しぶりに見た主人の姿。

顔色は悪く頬も痩せこけ目にも大きなクマが出来ており、服も体も薄汚れていた。


「悪い……心配かけた」


だが、それでも間違いなく、その姿は自分がずっと待ちわびていた主人の姿だった。

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