過去に戻った一人っ子は妹を溺愛する!

美女前bI

第1話 妹よ、下の世話をしてやろう


 誰かが言っていた。子供の体は柔らかいと。


 確かめようと、俺が行動に移すのは必然だった。気になったことは後先考えずに行動する。それが子供である。


 この時の俺は、どこまで足が広がるか。それだけに集中していた。


 予想ができそうなこの後の危険も、子どもならば気付けるわけがなかった。


「うぉっ!」


 少しずつ広げた足は、ずるっと滑る。


 大きく股は広がり、開脚したまま尻餅をついてしまった。めっちゃ股間が痛い!


「懐かしい、痛みだ……」


 たしか小学生の頃には、体がもう硬かったはず。前屈の記録もズルしてマイナス五センチだった。


 なんの取り柄もないままに学生時代を過ごし、就活で失敗。転職を繰り返していつの間にか中年に……


  いや、今はそんな話は置いておこう。必要なのは今の状況の把握だ!


 窓の外には見覚えのある建物。


 かなり昔に切られてしまった木も見える。


 舞い散った花びらが、駐車場の車を汚すと言う理由で、昭和から平成へ元号が変わった頃、その桜はその姿を消した。はずだ。


 部屋の中に視点を移す。


 もしも、この世界が昭和時代だとすれば……この部屋は昔住んでいた集合住宅だろう。


 母が模様替えをしょっちゅうするせいで、部屋の作りはわかりにくい。


 それでも、傷のない家具。張り替え前の襖には見覚えがあった。

 

 やはりこれは、タイムリープというやつなのだろう。


 そうか、昭和に戻っちゃったか……


 どれだけぼーっとしていたことだろう。


 気付けば、座り直した俺の膝の上に、見知らぬ赤ちゃんが乗っていた。


 その子供は俺のシャツをたくし上げて、もぐりこもうとしている。


 そこで頭を誰かに叩かれた。おっと、これも懐かしい衝撃だっ!!


「こら、お兄ちゃん! またおっぱいあげようとしたでしょ。男は出ないって何度言えばわかるの!」


 母親からの折檻。若い!シワがない!


 そんなことより、彼女の言葉に聞き慣れぬものがあった。


 母から「お兄ちゃん」なんて呼ばれた記憶は一度もないからだ。



 だって俺は、そもそも一人っ子のはずだし。



 一度落ち着こう。


 俺には十人以上の従兄弟がいる。


 名前を聞いたことがあっても、一度も会ったことない人までいる。


 となると、年代的にこの子は叔父さんの子供のタケオだろうか。


 さすが美男美女の子供だ。赤子の頃からすでにお顔が整っていらっしゃる。 大人になったあの顔とは、かなり懸け離れているけれど。



「どいて!」



 その声に顔を向けると、俺の赤ちゃんが奪われた。おっぱい丸出しの若い母に。


 おお勇者よ、はしたない。だが、なぜそんな格好をしているのだろう。


 いろんな意味でおっぱいから目が離せないよ。いろんな意味で。



「男は出ないからね」



 知ってるし!!

 そんな意味で見ていたわけじゃない。


 ちょっとしたエロと、疑問の視線だ。今はエロだけ置いておくとして、疑問について考えよう。


 前世の俺は一人っ子だったし、今の俺はもう赤ちゃんではない。


 なのに母から母乳が出ている。つまり弟か妹がいる世界ということ……だよな?


 そういえば大昔。田舎の婆さんに、誕生日プレゼントに何が欲しいか問われ、赤ちゃんを所望した記憶がある。


 あの時も母にぶっ叩かれた痛い思い出が……


 つまり今世で、あの時の希望が叶ったということか。


 前世を知る俺には、これがどれほどの意味を持つのかわからん。それほど影響が大きくなるとは思えない。


 だって俺は夢も希望もない氷河期世代だもの。


 死んだ目でおっぱいを見つめていると、ゲップが終わった赤ちゃんを躊躇なく渡された。


 母はこれから買い物に行っちゃうらしい。


 俺という愛息子を放っぽって。


「すぐ帰ってくるから、美春ちゃんのことお願いね!」


 いきなり赤ちゃんの面倒を任せるとは。


 俺って意外と信用があるのね。


 前世では目が離せないという理由で、無理矢理にでもあちこち母に連れられたものだが……


 この子はミハルと言ったか。名前は女の子ぽいな。つまり妹。


 贅沢を言えば、年下のお姉ちゃんが欲しかった。


 なんか惜しい。だが俺はお兄ちゃん。年上らしく妥協しよう。


 しかし今はやることがないから、膝の上の妹と見つめ合う。


 妹、可愛い。


 ずっと見ていられる。愛くるしい。全然飽きない。食べちゃいたい。


「嬉しいな。これが妹というものか……」


 母が帰って来ても気付かずに、俺は正座したまま女の子を見つめていた。


 いつの間にか、妹にメロメロになっちまったようだ。


「大丈夫だよ。ミハルちゃんのために、兄ちゃんがなんでもしてやる!」


 その日のうちに、俺はおむつ替えの権利を母親から勝ち取った。


 母が引くほど必死に懇願したら、教えてくれた。


 面倒臭かったのか、見て覚えろの寿司屋の修行スタイルだったが問題ない。

 

 やり方は知っている。


 シングルマザーと付き合った経験でおむつ替えは慣れていた。


 これでいつ妹の下の世話をしても、不自然にはならないはずだ。


 大人がいない時に、突然おむつ替えなんてすれば、驚かれてしまうからな。


 それからというもの、ひたすら美春ちゃんの世話をする日々が続いている。


 下の世話に関しては、あっという間に卒業を迎えた。俺の手を振り解き、巣立っていく妹に一抹の寂しさを覚えた。


 だが……


「にいたん、おはなしして」


 少しずつ言葉を覚え、会話もできるようになってきた美春ちゃん。


 話し始めるのは、俺よりも早いと両親は感心していた。



 だが、初めて話した言葉は『にいたん』だった。



 それを聞いた時は、めっちゃ泣いた。本当に嬉しくて、他にどう表現したらいいのかわからない感動が、そこにあった。



 俺が言葉を話した時期が、他の子どもに比べて、極端に遅かったことは前世で聞いたことがある。


 前例があるだけに、妹のことも少し心配していたようだ。


 出来が悪くてごめんね。 実は声変わりも高校に入ってから始まるんだよ。すげえだろ。



「むか〜し、むかし。あるところに」

「きゃっきゃっ!」



 俺の頭は前世から悪いが、妹のために六十冊以上の本を丸暗記してある。


 絵本を開くと、その絵に全力集中しちゃう可愛い妹。


俺だけが開いて読み聞かせると、独り占めしてるように見えるらしい。だから、その時だけぐずられちゃう。


 一緒に絵本を開いて読むと、絵を見る時間を邪魔されたと感じて奇声を上げる。


 俺が美春ちゃんにお話を聞かせる時は、絵本を使えない。故に内容を暗記して、お話しする以外に方法がなかった。


 俺は妹のために、約七分かけて感情たっぷりに物語を聞かせてやる。


 ここは前世とは違う。


 美春ちゃんに重い愛情を捧げている俺に、恥ずかしさはなかった。


 愛妹が喜ぶためならば、両親の見ている前であろうとも、堂々と読み聞かせてやれるのだ。



「お後がよろしいようで」

「ぶらぼー!」



 俺の仕込んだ美春ちゃんのリアクションに、満面の笑顔と頭なでなでで答える。


 妹よ、指笛はもう少し練習が必要だな。


 ちなみに不器用な俺は四十路でマスターした。流石にそこまではかからんだろう。


「なんで毎回、終わり方が落語なんだよ」


 親父に茶々を入れられてしまったが、落語の身振り手振りを参考にしている。今回は料理好きのねずみの話だった。


 次回はどこかのタイミングで蕎麦をすすりたい。


 この読み聞かせは近所の主婦にも好評で、たまに町内の集会所でも、子どもたちを相手に独演会を頼まれる。


 無報酬だが、美人ママさんにチヤホヤされるから文句はない。


 たまに要求すると、引き攣った笑顔でほっぺにチューしてくれる優しいママさんも少なくないのだ。


 そして暗記した物語のレパートリーが、二百話を超えたある春の日。


 五歳になった俺の環境は、大きく変わろうとしていた。


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