【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる

Tsuyuri -露-

夢路に降る祝福の光


――光は、ときに夢を渡り、未来を呼び覚ます。


襲撃の夜を越え、イエレナは白い寝台の上で静かに眠っていた。

その胸元には、王家に伝わる古い意匠のペンダントがかすかに揺れている。

規則正しい吐息の合間に、金と銀を溶かしたような淡い髪が枕に散り、透きとおる肌を縁どっていた。

まだ年若い姫の面影には、傷を負った身であっても不思議な光が漂っている。


やわらかな眠りに導かれるように、彼女は夢へと沈んでいった。


光の帳を抜けた先に広がっていたのは、幼き日の記憶――王宮の庭園だった。





陽光を受けて白金に輝く大理石の柱。

風に揺れる緑。

そこに立っているのは三歳の自分。


夢の中のイエレナは、その光景を少し離れた場所から見つめていた。

幼い自分が花に触れ、笑い、転び、また立ち上がる――。

まるで他人事のようでありながら、確かに胸の奥を震わせる「記憶」だった。


(……あれは、私……)

(ずっと忘れていたけれど、確かにこうして――精霊に抱かれていたんだ)


小さな両手で花のつぼみに触れる。


「かわいい、つぼみ……いつさくかな?」


幼い声に呼応するように、空気が震え、光の粒が舞い降りた。

淡く透きとおる精霊たちが花々を包み、庭いっぱいに一斉の花が開いた。

色と香りと光が混じり合い、庭は祝福の楽園へと変わる。


「……姫様が……」

「三歳で、ここまで……」

「兄君に続いて……」


見守る人々が息を呑む。

深い緑の瞳を持つ王妃は胸に手をあて、祈るように娘を見つめた。


「どうか……この子に重すぎる運命が課されませんように」



フェルディナ王家にとって「祝福」とはただの奇跡ではない。


精霊と交わる稀少な力であり、王国の守護の象徴。

代々の王はその力をもって国の均衡を保ち、民はその輝きに未来を託してきた。

だが同時に、それは背負う者に避けられぬ宿命をも与えてきた。


祝福は繁栄と災厄の両刃――その現れはいつも国の運命を揺るがす。


そのざわめきを知るよしもなく、イエレナは無邪気に笑っていた。

転んでも泣かず、笑って立ち上がり、花の中を駆けていく。


「まって!」


伸ばした小さな手に、一体の精霊がふわりととまり、耳元で囁いた。


――祝福の子よ。


意味は分からない。

ただ「かわいい!」と声をあげ、淡いペリドットの瞳をきらきらと輝かせて笑った。


その傍に立っていたのは、兄アズベルト。


柔らかな金色の髪が陽を受けて琥珀のように輝き、同じペリドットの瞳が妹の光景を映していた。

まだ六歳の第一王子は、すでに自らも祝福を発現していたが、その光景に心を震わせていた。


(僕には、やっと見えるようになったものを……イエレナは生まれた時から持っていたんだ)


誇りと戸惑いと、守らなければならないという思いが幼い胸に渦を巻く。

彼は妹の髪を撫で、小さな声で囁いた。


「……イェナ、すごいね」


その声音は、まだ幼い少年のものだった。


けれど、そこには確かに誓いの色が宿っていた。

妹の光を守り抜く――それが自分の役目だと。



◇ ◇ ◇



その光景を夢の中で見つめていたイエレナは、胸の奥にぽつりと灯るような温もりを感じていた。


兄が告げた言葉にどんな思いが込められていたのか――

当時も、そして今の自分もまだ分からない。

けれどその温もりだけは、確かな記憶として胸に刻まれていた。


やがて花の光景は揺らぎ、庭園は薄れていった。

残るのはただ、胸に広がる懐かしさと安らぎ。


――祝福は記憶を越えて、兄の想いと共に、確かに彼女の中に息づいていた。



◇ ◇ ◇



光はさらに強まり、庭全体が花と精霊に覆われていく。

風は祝福の歌を運び、空は揺らぎ、やがて夢と現実の境界が溶けはじめる。


……胸の奥が熱い。


眠る“今のイエレナ”の身体にも、その光は降り注いでいた。

胸元のペンダントが脈動し、淡い緑の輝きが布越しに透けて広がる。

未完成だった祝福が、襲撃を経て無理やり芽吹きはじめている。


白い寝台の傍らで、その光を見守る者がいた。


雪のように白い髪を背に流し、瑠璃の瞳を静かに細める青年。

アストレア王国の第五王子、〈静謐の王子〉セレストである。


彼はペンダントに宿る淡い脈動を見つめ、小さく息をついた。


「……目覚めの兆し、か」


その声は落ち着いていたが、胸の奥には安堵と決意が入り混じっていた。

亡国の姫を託された者として、この光を守り抜く覚悟。

彼の静かな瞳に、夢の残光が映っていた。


ペンダントの光が静かに収まるころ、イエレナはふと瞼を震わせた。

けれど目を開けることはなく、夢の内容もすでに霧のように遠のいていた。


そして寝台の上で眠るイエレナの頬を、一筋の涙が伝った。

その涙は夢の記憶を語らずとも、彼女の心が確かに揺さぶられた証のように見えた。


セレストはそっと手を伸ばし、イエレナの頬に触れる。

雪のように冷たく澄んだ指先だったが、その仕草は限りなく優しく、触れた瞬間、頬を温もりで包むようだった。

彼は指先でその涙を拭い去り、静かに息をついた。


――彼女はまた深い眠りへと沈んでいく。


その寝息は静かで、祝福の光の余韻がなおも周囲に漂っていた。

静けさの中、空気に漂う小さな光の粒が、まるで夢から零れ落ちた祝福そのもののように揺れていた。


傍らで見守るセレストは、その表情の微かな安らぎに気づき、静かに目を細めた。


「……大丈夫。君はもう、ひとりじゃない」


――夢路に降る祝福の光は、覚えてはいなくとも、確かに彼女を包んでいた。



(了)


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