【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる
Tsuyuri -露-
夢路に降る祝福の光
――光は、ときに夢を渡り、未来を呼び覚ます。
襲撃の夜を越え、イエレナは白い寝台の上で静かに眠っていた。
その胸元には、王家に伝わる古い意匠のペンダントがかすかに揺れている。
規則正しい吐息の合間に、金と銀を溶かしたような淡い髪が枕に散り、透きとおる肌を縁どっていた。
まだ年若い姫の面影には、傷を負った身であっても不思議な光が漂っている。
やわらかな眠りに導かれるように、彼女は夢へと沈んでいった。
光の帳を抜けた先に広がっていたのは、幼き日の記憶――王宮の庭園だった。
◇
陽光を受けて白金に輝く大理石の柱。
風に揺れる緑。
そこに立っているのは三歳の自分。
夢の中のイエレナは、その光景を少し離れた場所から見つめていた。
幼い自分が花に触れ、笑い、転び、また立ち上がる――。
まるで他人事のようでありながら、確かに胸の奥を震わせる「記憶」だった。
(……あれは、私……)
(ずっと忘れていたけれど、確かにこうして――精霊に抱かれていたんだ)
小さな両手で花のつぼみに触れる。
「かわいい、つぼみ……いつさくかな?」
幼い声に呼応するように、空気が震え、光の粒が舞い降りた。
淡く透きとおる精霊たちが花々を包み、庭いっぱいに一斉の花が開いた。
色と香りと光が混じり合い、庭は祝福の楽園へと変わる。
「……姫様が……」
「三歳で、ここまで……」
「兄君に続いて……」
見守る人々が息を呑む。
深い緑の瞳を持つ王妃は胸に手をあて、祈るように娘を見つめた。
「どうか……この子に重すぎる運命が課されませんように」
フェルディナ王家にとって「祝福」とはただの奇跡ではない。
精霊と交わる稀少な力であり、王国の守護の象徴。
代々の王はその力をもって国の均衡を保ち、民はその輝きに未来を託してきた。
だが同時に、それは背負う者に避けられぬ宿命をも与えてきた。
祝福は繁栄と災厄の両刃――その現れはいつも国の運命を揺るがす。
そのざわめきを知るよしもなく、イエレナは無邪気に笑っていた。
転んでも泣かず、笑って立ち上がり、花の中を駆けていく。
「まって!」
伸ばした小さな手に、一体の精霊がふわりととまり、耳元で囁いた。
――祝福の子よ。
意味は分からない。
ただ「かわいい!」と声をあげ、淡いペリドットの瞳をきらきらと輝かせて笑った。
その傍に立っていたのは、兄アズベルト。
柔らかな金色の髪が陽を受けて琥珀のように輝き、同じペリドットの瞳が妹の光景を映していた。
まだ六歳の第一王子は、すでに自らも祝福を発現していたが、その光景に心を震わせていた。
(僕には、やっと見えるようになったものを……イエレナは生まれた時から持っていたんだ)
誇りと戸惑いと、守らなければならないという思いが幼い胸に渦を巻く。
彼は妹の髪を撫で、小さな声で囁いた。
「……イェナ、すごいね」
その声音は、まだ幼い少年のものだった。
けれど、そこには確かに誓いの色が宿っていた。
妹の光を守り抜く――それが自分の役目だと。
◇ ◇ ◇
その光景を夢の中で見つめていたイエレナは、胸の奥にぽつりと灯るような温もりを感じていた。
兄が告げた言葉にどんな思いが込められていたのか――
当時も、そして今の自分もまだ分からない。
けれどその温もりだけは、確かな記憶として胸に刻まれていた。
やがて花の光景は揺らぎ、庭園は薄れていった。
残るのはただ、胸に広がる懐かしさと安らぎ。
――祝福は記憶を越えて、兄の想いと共に、確かに彼女の中に息づいていた。
◇ ◇ ◇
光はさらに強まり、庭全体が花と精霊に覆われていく。
風は祝福の歌を運び、空は揺らぎ、やがて夢と現実の境界が溶けはじめる。
……胸の奥が熱い。
眠る“今のイエレナ”の身体にも、その光は降り注いでいた。
胸元のペンダントが脈動し、淡い緑の輝きが布越しに透けて広がる。
未完成だった祝福が、襲撃を経て無理やり芽吹きはじめている。
白い寝台の傍らで、その光を見守る者がいた。
雪のように白い髪を背に流し、瑠璃の瞳を静かに細める青年。
アストレア王国の第五王子、〈静謐の王子〉セレストである。
彼はペンダントに宿る淡い脈動を見つめ、小さく息をついた。
「……目覚めの兆し、か」
その声は落ち着いていたが、胸の奥には安堵と決意が入り混じっていた。
亡国の姫を託された者として、この光を守り抜く覚悟。
彼の静かな瞳に、夢の残光が映っていた。
ペンダントの光が静かに収まるころ、イエレナはふと瞼を震わせた。
けれど目を開けることはなく、夢の内容もすでに霧のように遠のいていた。
そして寝台の上で眠るイエレナの頬を、一筋の涙が伝った。
その涙は夢の記憶を語らずとも、彼女の心が確かに揺さぶられた証のように見えた。
セレストはそっと手を伸ばし、イエレナの頬に触れる。
雪のように冷たく澄んだ指先だったが、その仕草は限りなく優しく、触れた瞬間、頬を温もりで包むようだった。
彼は指先でその涙を拭い去り、静かに息をついた。
――彼女はまた深い眠りへと沈んでいく。
その寝息は静かで、祝福の光の余韻がなおも周囲に漂っていた。
静けさの中、空気に漂う小さな光の粒が、まるで夢から零れ落ちた祝福そのもののように揺れていた。
傍らで見守るセレストは、その表情の微かな安らぎに気づき、静かに目を細めた。
「……大丈夫。君はもう、ひとりじゃない」
――夢路に降る祝福の光は、覚えてはいなくとも、確かに彼女を包んでいた。
(了)
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