第22話「シン、学園で友だちを作る(後編)」

 ステラ=オライオンは、魔術師ポーラ=オライオンの一人娘だ。


 母親のポーラは、この国に仕える4人の王宮魔術師のひとり。

 学園で魔術を担当する教師たちのまとめ役……つまり、教頭きょうとうの仕事をしている。


 王宮魔術師ポーラは年齢不詳ねんれいふしょう

 ただ、外見は20代前半にしか見えない。

 美しい女性だけれど、教師や生徒からは敬遠けいえんされている。

 魔術馬鹿まじゅつばかで、なにをやらかすかわからないからだ。

 実際のところ、学園で起こる魔術関係の事件のいくつかには、ポーラが関わっている。


 その娘であるステラは、魔術の才能を持っている。

 いや……確かステラは、魔術的な調整を受けて生まれてきたんだっけ。

 しかも父親がわからないって聞いてる。


 そんなステラが男装して『アストラ』と名乗っている理由は、学園最強になるためだ。


 女性相手だと、本気で戦ってくれない男性もいる。

 だから男装して、本気で、学園の生徒と切磋琢磨せっさたくまする。

 そのために男装している……というのが、ゲームの設定だった。


 そんなステラと同室になるのは……危険がともなう。

 彼女は学園最強の魔術師になる少女だ。

 淫魔いんまの俺としては、できれば近づきたくない。


 だけど『別の部屋にしてください』と申し出るのは無理だ。不自然すぎる。

 絶対に理由を聞かれるだろう。

 それでステラに『もしかして自分の正体に気づいたのでは』と思われたら最悪だ。

 王宮魔術師のポーラに目をつけられることになる。


 ここは、なにも知らないふりをするしかない。

 一緒に暮らすけれど……できるだけ関わらない方針でいこう。

 ステラ……じゃなかったアストラも『必要以上に仲良くするつもりはない』と言ってくれたからな。

 この部屋なら、おたがいに距離を取って暮らせるはずだ。


「へー。男子寮だんしりょうの5階って、こうなっていたんですねー」


 俺は二人部屋を見回した。

 ゲームで見たのは主人公視点で、背景は固定されてた。

 全体をじっくり見るのは初めてだ。


 二人部屋は特殊な構造をしている。

 入ってすぐのところにあるのが共用部分。

 部屋の中央にはテーブルが、左右にはひとつずつ勉強机べんきょうづくえがある。


 その奥には扉がふたつ。そちらは個室への入り口だ。

 中にはベッドとクローゼットがある。

 個室にはそれぞれ、トイレとシャワールームがついている。


 二人部屋といっても、プライバシーは確保されている。

 この部屋に住むのは貴族か、高位の人間の子息だからな。配慮はいりょされてるんだ。

 アストラと顔を合わせるのは、共用部分を使うときだけだろう。


「ここは、もともと倉庫だった場所を改造した部屋だそうだ」


 不機嫌ふきげんそうな表情のまま、アストラが説明してくれる。


「妙な構造こうぞうになっているのはそのためだ。どうせなら個室から廊下ろうかに出られるようにしてくれればよかったのに。どうして共用部分なんかを……」

「アストラさんは、どっちの部屋を使ってるんですか?」

「まだ決めていない。同室の者がいると聞かされたからな」


 よく見ると、共用部分の隅に荷物が置いてある。


「部屋割は公平に決めるべきだ。だから、君が来てから決めようと思っていたんだ」

「そこまで気をつかわなくても……」

「気を遣ったわけじゃない。トラブルを避けるためだ」


 アストラは肩をすくめた。


「公平に決めれば、部屋割の話はそこで終わる。あとで揉めることもない。ストレスのない生活を送れるはずだ。違うかい?」

「確かに……そうだね。うん、わかった」

「部屋割はコイントスで決めていいか?」

「コイントスで?」

「不満か?」

「いや……別に、不満じゃないけど……」

「だったら表と裏を選んでくれ」

「じゃあ、表で」

「竜が描かれている方だな。いくぞ」


 アストラはポケットからコインを取り出し、指先で弾いた。

 空中で回転したコインを、手の甲で受け止める。


「ところで、アストラ」

「どうした?」

「君はどっちの部屋がいいんだ?」

「西側だな。あっちは山側に面しているからな。窓を開けるとき、人目を気にしなくていい」

「俺は東側がいいんだけど」

「……………………」


 沈黙ちんもくが落ちた。

 アストラはコインを押さえたまま、肩をふるわせてる。


「そ、そういうことは先に言ってよ! コイントスをする必要なんかなかったじゃない!」

「ごめん」

「まあいい。結果は……」


 コインは竜の面、表を向いていた。

 うん。そうだと思った。

 ゲームに登場するアストラは、くじ運が悪かったから。


 アストラは真面目だけどすきが多い。

 どこかポンコツな、うっかりさんでもある。

 学園では最強の魔術師なのに、どこか抜けたところがあるんだ。

 そのせいでアストラは、主人公に正体をばらすことになるんだけど。


「それじゃ、俺は東側の部屋を使わせてもらうよ」

「ああ。あとで共同生活きょうどうせいかつのルールを決めよう」

「わかった。とりあえず、個室から共用きょうようスペースに出るときは声をかけるから」

「学生にふさわしい格好をしているようにな」


 アストラは胸を張った。


「ぼくたちは学園の生徒で、しかも特待生だ。他の生徒の見本になるようにしなきゃいけない。個室にいるときはともかく、共用スペースでは身なりを整えるようにすること。いいね?」

「うん。それじゃ、またあとで」


 俺は個室の扉を開けた。

 扉の先は、ホテルのシングルルームのようになっていた。


 東側にはベッドがある。ベッドの上は、大きな窓だ。

 窓を開けると、生徒たちの声が聞こえてくる。窓が校舎側に向いているからだろう。学園の様子を探るにはよさそうだ。


 窓を閉じると、声は聞こえなくなる。

 さすが王立学園だ。遮音性しゃおんせいのいいガラスを使ってる。


 西側にはトイレとシャワールームがある。

 各部屋にシャワールームがついているのは、授業で実技が多いからだろう。

 汗をいたあとは個室に戻り、シャワーを浴びて着替えることになってるそうだ。

 貴族だから、身だしなみには気をつかえってことか。


 部屋の奥には大型のクローゼット。

 そのとなりには、簡易的かんいてきなテーブルと椅子いすがある。

 ただ、勉強に使うには少し狭い。

 共用スペースには2人分の机が置かれているんだろうな。


 うん。いい部屋だ。

 二人部屋ではあるけれど、プライバシーは保たれている。


 外に出るためには共用きょうようスペースを通らないといけないのが面倒だけど……俺には『気配隠けはいかくしのローブ』がある。

 アストラに気づかれないように外に出ることはできる。

 こっそりと、学園ダンジョンで修行することもできると思う。


【シン・カーゼス生存チャート】ヴァージョン4 (さっき作った)で、もっとも重要なのは、アストラの正体に気づかないふりをするることだ。


 俺はアストラが女性だってことを知っている。

 けれど、俺が彼女の正体を知っていることを、アストラは知らない。

 だったら、なにも問題はない。

 アストラは男性のふりを続けることができる。

 そうすれば俺が、王宮魔術師ポーラに目をつけられることもない。

 学園にいる間は安全に過ごせるはずだ。


 というか、正体を隠してるのは俺も同じだからな。

 正体を隠したい者同士、適正な距離を保って暮らしていけばいいよな。


 ──と、俺がそんなことを考えていたら……ノックの音がした。


 ドアからじゃない。

 西側の壁──アストラの部屋の方からだ。


 よく見ると、西側の壁には小窓こまどがある。

 不透明なガラスで出来ていて、こちら側から鍵がかかるようになってる。

 これは……?


「伝えておきたいことがある。少し、いいだろうか」


 アストラの声がした。

 小窓の鍵を外して、開けると……アストラの顔が見えた。


「最初に説明しておく。これは換気用かんきようの窓だそうだ」


 アストラは言った。


「この部屋はもともと倉庫だった。魔術の素材を管理するために、換気かんきが必要だったらしい。それで、おたがいの部屋に空気が通るようになっているんだ」

「なるほど。それぞれの部屋の窓を開けると、風が吹き抜けるから……」

「うん。ついでに言うと、この窓は人が通れない。頭がぎりぎり入らないサイズだからな。小窓には窓ガラスが2枚ある。両方の窓を閉じると部屋の音は聞こえなくなる。ここまではいいな?」

「窓を閉じればプライバシーは保てるんだね?」


 俺はうなずいた。


「アストラが小窓を開けたのは、それを説明するため?」

「そうだ。むやみに窓を開けないようにと、伝えたかった」

「なれあいはしないということだね?」

「ああ。緊急きんきゅうの用事がない限り、この窓を使うのはやめよう」

「わかった。気をつけるよ」

「……君は本当にものわかりがいいな」


 小さな窓の向こうで、アストラは苦笑いをした。


「男子と同室になると聞いて緊張していたのだが、拍子抜ひょうしぬけだよ」

「そうかな?」

「ああ。君が話しやすい相手でよかった」


 ……やっぱり、アストラはすきが多い。

男子と・・・同室になると聞いて』って、その言い方はダメだろ。

貴族の男子と・・・・・』か『別の男子と・・・・・』って言わないと性別がばれるぞ……。


「なれあうつもりはないが、できれば君には貸しを作っておきたい」

「貸しを?」

「そうすれば、ぼくが困ったときに、君の力を借りやすい。それはなれあいじゃなくて、取り引きになる」

「あ、そういうことか」

「なにかぼくにしてほしいことはあるか?」

「それじゃ……ひまなときに魔術を教えてもらえないかな?」


 ステラ=オライオンは学園の魔術師だ。

 彼女の指導を受けることができれば、俺は攻撃魔術を身に着けられるかもしれない。


 実は、淫魔いんまには特殊能力がある。

 それは指先から生体電気せいたいのようなものを発生させて、女性の身体をしびれさせる力だ。

 使い道は……対象に心地よい刺激を与えて、相手がその刺激を求めるようにすること。

 しょうがないよね。淫魔だからね。


 俺はまだ、その力に覚醒かくせいしていない。

 でも、淫魔に電気を操る力があるのは確かだ。


 そして、ゲームに登場するステラ=オライオンが得意とするのは、雷系の魔術だ。

 雷系の魔術の特徴は、発動速度が速いこと。

 戦闘時に一番早く魔術を放つのは、いつもステラだった。


 さらに雷系の魔術には、自分に雷をまとわせて高速移動するものがある。

 これは俺の戦い方にぴったりだ。

 その魔術が使えるようになれば、高速移動しながらヒット&アウェイを繰り返すことができる。

 フルフルを『雷光触手スライム』にすることもできるだろう。


 アストラから雷系の魔術を教わることができれば、俺はさらに強くなれる。

 王立学園に来た意味もあると思うんだ。


「魔術か。うん。いいだろう」


 アストラは、あっさりとうなずいた。


「ただし、魔術は指定された場所で使うと決まっている。指導するのは、その場所が使えるようになってからだ。王宮魔術師の子どもであるぼくが、ルールを破るわけにはいかないからね」

「それでいいよ」

「よし。貸し一つだ。必ず返してもらうから、覚悟かくごしておくように」


 にやりと笑って、アストラは小窓を閉じた。


 魔術を教わるのは取り引き。貸し借りなし。

 そういう関係っていいよな。

 アストラとは、おたがいに距離を保って暮らしていけそうだ。


「さてと、まずは荷物を片付けて──」



 こんこん、こん。



 しばらくして、向こう側の小窓が開く音がした。

 それにノックの音が続く。


「すまない。緊急事態きんきゅうじたいだ」


 アストラの声がした。

 よく見ると、窓には水滴がついている。アストラが触れた指の跡だ。

 一体なにが……?


「君はタオル持ってきているかい?」

「あ、うん。あるけど」

「済まないが貸してほしい。荷物に入れておいたつもりが……置いてきてしまったようだ」


 深刻しんこくそうな声で、アストラは言った。


「これは借りだ。代わりに、しっかりと魔術の指導をすることを約束しよう」

「いいよ。タオルを渡せばいいんだね?」


 そのあたりは用意してある。

 いつでも逃亡できるように、生活に必要なものは揃えてきたからな。


「小さめのタオルと、身体を拭く用の大きめなのがあるけど?」

「……できれば、両方」

「いいよ」

「助かる。それでは、小窓を開けてタオルを渡してくれ。それと……ぼくは今、あまりちゃんとした姿をしていないんだ。悪いけれど、目を閉じて渡してくれると助かる」


 ……おい、アストラ。

 いくらなんでもすきが多すぎだろ。


 小窓には水滴すいてきがついてる。

 りガラスの向こうでアストラの影が、頭を振るのがぼんやりと映ってる。

 すると、ガラスにつく水滴すいてきが増える。


 たぶん、アストラはシャワーを浴びてから、タオルを忘れたことに気づいたんだ。

 で、彼女はそのままの姿で、俺にタオルを借りに来た。

 そして、タオルを受け取るために、小窓を開けようとしてる。


 本当に隙だらけだ。

 だからゲームではあっさり性別がばれるんだよ……アストラ……。


「タオルは、アストラの部屋のドアノブに掛けておく」

「いや、小窓を開けてくれれば……」

「ちょうど散歩に行こうと思っていたんだ。タオルを置いたら、そのまま外に出て行く。そうしたらアストラはドアを開けて回収すればいい。それで頼む」

「わ、わかった」

「これで貸し借りなしってことで、いいかな?」

「う、うん。約束は守る。君が希望の魔術を使えるようになるまで、ぼくが指導してあげよう」

「ありがとう。それと、どこかで雑巾ぞうきんを借りてきた方がいいか?」

「…………ごめん。お願い」


 俺は荷物からタオルを取り出した。

 小さなフェイスタオルと、大きめのバスタオルを、両方。

 公爵家で使っているものだから、品質はいいはずだ。


 それから自室を出て、共用スペースへ。

 アストラの部屋のドアノブに、タオルを掛けておく。

 それから、俺は部屋の出口に向かう。

 寮のまわりを散歩して……どこかで、雑巾を借りてこよう。

 アストラはすきが多いからな。たぶん、シャワーを浴びた状態のまま、部屋の中をうろついて……あちこち水滴まみれにしてると思う。掃除用の雑巾を借りてこよう。


 それでりょう福利厚生ふくりこうせいや、どこに人がいるかもわかるだろう。

 学園の警備状況も確認しておきたい。

 見つからずにダンジョンに入るルートを確保しておく必要もある。

 

 そんなことを思いながら、俺は廊下に通じるドアのノブに手をかけた。


「……ありがとう。シン。この借りは絶対に返すからね」


 俺が部屋を出る前に、アストラが自室のドアを開けた音がした。

 ……本当に隙が多いな。


 俺はアストラの部屋のドアが閉じる音を聞いてから、廊下へと出たのだった。




 これから俺は学園で生活することになる。


 短い期間になるだろうけど……たぶん、この人生では唯一の学園生活だ。

 できるだけ多くのものを手に入れておこう。


「……というわけで、協力よろしく。サリア、フルフル、ヌルヌール」

『了解です。マスター』

『ふるふるふるふる!』

『ぬるぬーるぬるるー』


 マジックアイテム『使い魔の宿』の収納空間から、みんなの声が返ってくる。

 学園に来ても使い魔たちは元気だ。

 この子たちが外に出られる場所も、見つけておかないとな。


 あとは……クラリス先生にもあいさつしておこう。

 どうして俺を特待生にしたのか、探っておく必要もある。


 アイナとも顔を合わせておきたい。

 女子寮にいるから会うのは難しいだろうけど……メイドのメアリに、伝言を頼むくらいはできるはず。

 3年生のロイド兄さんは……始業式までにはダンジョンから戻ってくる。

 そのときにあいさつをすればいいな。


 ──俺が淫魔いんまだということを、かくとおせますように。

 ──淫魔の力を健全に使って、強くなれますように。


 そんなことを祈りながら、俺は部屋を後にしたのだった。



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