第10話 風が結ぶ邂逅



風の精霊だというリリュエルが楽しそうにイエレナの周りを飛び回る。

キラキラと舞う細やかな光は、まるで童話の一幕のようで、思わず息を呑むほど幻想的だった。


「ねぇねぇイェナ! 外、散歩しよーよ!」


くるりと宙で一回転し、ふわっと舞い降りる。

小さな羽ばたきが風を生み、イエレナの髪がそっと揺れた。


突然の誘いに戸惑いがよぎる。

けれど――期待に満ちた金色の瞳で見上げられた瞬間、胸がふっと緩む。


「……少しだけ、なら」


「やったーっ!」


弾けるような笑い声が庭いっぱいに広がり、

イエレナも思わず微笑んだ。


軽い足取りで立ち上がり、

リリュエルに導かれるようにして小道へ踏み出す。


陽を受けた花々がゆらりと揺れ、

風が草木の間をするりと抜けていく。

リリュエルが通るたび、細かな光がきらきらと軌跡を描いた。


畑のほうからは、村人たちの朗らかな声が聞こえる。

空気はどこか軽やかで、足元の草花さえ嬉しそうに揺れていた。


「ほら、わかるでしょ?

 みんな、なんか元気っていうか、空気がぴかぴかしてる感じ!」


リリュエルはイエレナの肩のまわりをくるくる飛びながら、

花の香りを胸いっぱいに吸い込むように羽ばたく。

小さな羽音は、鈴の音のように耳の奥でやわらかく響いた。


イエレナはそっと目を閉じて風を感じる。


「……確かに。やさしい風……」


その言葉がこぼれた――まさにそのときだった。


「――ああ……やっぱり、来てたんだね」


柔らかな声が背後から届く。


振り返ると、菜園の外れにセレストが立っていた。

小脇に書物を抱えたまま、風の流れを辿るように一歩、また一歩と近づいてくる。

瑠璃の瞳は、どこか確信めいた光を宿しながら細められていた。


「セス……?」


驚きに目を丸くするイエレナに、

セレストはふっと優しく目を細めて言葉を返す。


「驚かせちゃったかな。……風の揺らぎを感じて、気になったんだ」


その言葉に重なるように、

ふわり、と空気が揺らぎ、宙に淡い光の粒が舞う。


陽光を受けて集まった輝きは、ひとつの小さな影へと形を変え――


透ける羽根が光を弾き、

風そのもののような髪がふわりと揺れ、

金色の瞳がきらきらと瞬いた。


風の精霊、リリュエルが舞い降りた。


その幻想的な姿に、セレストは一瞬息を呑み、目を見開く。


「……まさか。伝承の……」


驚きと敬意が混ざった声が漏れる。

幼い頃に書物で見た“幻”が、今こうして目の前で羽ばたいている。


「高位風精霊――固有名を持つ存在(ネームド)」


静かに口にしただけで、

庭の空気がすっと澄んだように感じられた。


すると一転、リリュエルは全身で動揺しはじめる。


「ちょ、ちょっと!?

 なんか綺麗な人にめっちゃ見られてるんだけど!?

 え、見えてるの!? ボク、バレてるの!? やばっ!」


慌てて空中でばたつきながら叫ぶ姿に、

イエレナは思わずおろおろとセレストを見上げた。


「……セス?」


セレストは軽く息を吐き、けれど驚愕を隠し切れない声音で答える。


「……あぁ、失礼。

 本当に……存在するとは思わなくて」


その瞳は、リリュエルへ向ける敬意と

イエレナへ向ける柔らかな光を同時に宿していた。


セレストはゆっくりと二人を見比べ――

確信を抱いたように、静かな声で告げた。


「……イェナは、やはり“祝福者”なんだね」


その響きは風に溶けるように柔らかく、

けれど揺るぎない真実だった。


リリュエルの羽ばねがぱたぱたと揺れ、

イエレナの髪がそよいだ風に静かに震える。


その瞬間――

庭に満ちる空気が、

まるで二人の運命を祝福するかのようにきらめいて見えた。



 ◇ ◇ ◇



セレストは、金色の瞳をきらめかせて宙に浮かぶ小さな存在を見つめた。

半透明の羽が風に揺れ、陽光を受けて淡く輝く――

その姿は、現実とは思えないほど美しかった。


「……あなたの名を、お伺いしてもよろしいでしょうか?」


静かで礼を失さない声音。

高位の存在へ向ける、自然な敬意が込められていた。


声をかけられた精霊は、ぱっと顔を明るくすると、

胸を張って空中でくるりと回転する。


「ボクはリリュエル! 風の精霊ってやつ!

 ボクみたいなの、そう簡単に見れないんだから!」


誇らしげに両手を広げたかと思えば、次の瞬間、

金色の瞳がきらんと輝き、ふわっとセレストの目の前まで急接近した。


「――あっ、でもね!」


くるり、と軽やかに一回転。

風をまとわせながら、セレストの目の前にすいっと滑り込んだ。


「まどろっこしいの苦手なの!

 敬語もいらないよ! ボク、かしこまられるとね――

 羽根が、むずむず~~ってするから!」


ぱたぱた、と本当に羽根をふるわせ、

羽音が朝の光にちいさく溶けた。


「……むずむず……?」


セレストは思わず目を瞬かせた。

普段の丁寧な礼節とは真逆の発言に、軽い衝撃を受けたように眉尻が下がる。

でも――不思議と、嫌ではない。


リリュエルはその反応に気を良くしたのか、

ひゅんっと空気を切ってセレストの鼻先すれすれまで飛び寄った。


「そうそう! こんな感じ、こんな感じ!

 鼻をくすぐられるとむずむずするでしょ~?」


ふわっと羽根が触れそうな距離でくるくると舞いながら、

金の瞳をきらきらと輝かせる。


「だからね、ほら! ボクには楽に話していいよ~?

 かしこまった声だと、羽根がぞわぞわって立っちゃうから!」


セレストは思わず小さく息を漏らし、

困ったように眉を寄せ――それでも、どこか嬉しそうに目元を緩めた。


「……ふふ。じゃあ……ありがとう、でいいのかな?」


「うん、それそれっ!」


ぱぁっと笑ったリリュエルの明るさに、

空気が一気に柔らかくほころぶ。


イエレナはそんな二人をそっと目で追い、

胸の奥にあたたかな光が灯るのを感じていた。


――静謐の王子と、風の精霊。

こんなにも自然に距離が縮まるなんて。


そして何より――

セレストの笑顔が、あまりにも優しくて。

その優しさに、イエレナまで息を吸い込むようにほっとしてしまう。


リリュエルはそんな二人を交互に見て、

ぱあっと花が咲くような笑顔を浮かべた。


「それでさ、お兄さんってば――なんかキラキラしてるよね!?

 人間なのに空気が違う。もしかして……キミも祝福者?」


「祝福者とまでは言えないけど、魔力は……人より多いかもしれないね」


セレストが軽く肩をすくめて言うと、


「ひぇぇ~~っ!!」


リリュエルは金色の瞳をこれでもかと丸くして、

大げさに両手を広げながら空中で転がるように飛び回った。


「“かもしれない”どころじゃないよ!

 それ、精霊から見ても“だいぶ強い”ってレベルだから!!」


「……じゃあ訂正するよ。けっこう、多いみたい」


困ったように微笑むセレスト。

その穏やかな響きに、リリュエルはぴたりと止まり――


「へへっ、いいねー!君、気に入った!」


またすぐに機嫌よくふわふわ舞い上がった。


――なんて自由で無邪気な存在なんだろう。


その飾り気のなさが、セレストの胸に静かで柔らかな安堵を落としていく。

精霊がこんなふうに近づいてくる光景を、まさか目にする日が来るとは思わなかった。


リリュエルはイエレナのまわりをくるくると飛び回りながら、

ふいにきゅっと表情を引き締める。


「ボク、しばらくイェナのそばにいるからね!

 これからよろしく~!」


「ふふ、にぎやかになりそうだね」


優しく応じたセレストの声に、イエレナはふっと肩の力が抜けていくのを感じた。


その横で、リリュエルは嬉しそうにまたひとまわり。

羽根の光が風に乗って、淡く軌跡を描く。


――こうして、彼女の穏やかな日々に、

確かに新しい“風”が吹き込んだのだった。


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