第7話 触れそうな距離


セレストもまた、その“異変”に静かに気づきはじめていた。


ある日の昼下がり。

書斎で書類整理をしていると、ふいに視界の端にふわりと光が揺れた。


そっと顔を上げると、机の上に小さな光の粒が舞い降りている。

銀色に近い淡い青――どうやら、風の精霊らしい。


指先を伸ばしかけたその瞬間、

まるでじゃれつくようにくるくると回ってから、すっと消えた。


「……また、か」


セレストはペンを置いて、静かに息をついた。

この数日、こうした小さな現象が何度も起きている。


ふと屋敷の外を見ると、菜園の縁に立つイエレナの姿があった。

彼女のまわりには、やはり小さな精霊たちが浮かび、ふわふわとその後を追うように飛んでいる。


風、火、水――ときに草の精霊まで。

本来、これほど目に見える形で現れることはまずない。

それも、人に恐れる様子もなく、あたたかな気配を漂わせながら。


(……まるで、懐いているようだね)


セレストは目を細めて窓辺に立ち、その光景をしばらく見つめていた。



また別の日。

王国からの急報を受け、出先で騎士団とともに簡易転位の術を展開したときのことだった。


魔力を放った瞬間――

術式が、予想よりも一段階“強く膨れ上がった”。


空気が震え、ざわりと森が揺れる。


「……っ、しまった」


周囲の木々が魔力に引かれ、枝葉がぱし、と跳ねる。

空間が薄くたわみ、転位の光が一瞬、必要以上に眩しく脈動した。


セレストは即座に制御の糸を引き戻し、魔力を急収束させる。

その一拍遅れの揺らぎに、近くにいた副官が息を呑んだ。


「セレスト殿下!? いまの……術式が暴走しかけ――」


「……少し、過剰になってしまったようです。すぐに収束します」


淡々と答えてはいるが――

セレストの指先では、まだ魔力の尾が細く震えていた。


本来なら一度で安定する術式。

なのに、必要量の“倍近い”魔力が勝手に流れ込んできた感覚があった。


おそらく1.5倍――いや、2割は上振れている。


(感覚を狂わせるほどの、増幅……これは)


思考が瞬時に計算を始める。

だが導き出される答えは、どれも“ありえないはず”のものだった。


無意識に、視線が胸元のペンダントへ落ちる。


――違う。


これは魔導具の補助ではない。

もっと――根源に近い部分が引き上げられている。


セレストの魔力そのものが、

何かに触れ、揺らぎ、増幅している。


風の精霊の反応。

森のざわめき。

植物の異常な成長。

術式の過剰反応。


それらすべての中心にいるのは、ただ一人。


(……イェナ。君の“祝福”が、ここまで……?)


まだ不完全で、制御もままならない。

ときに危うささえ孕んでいるはずなのに――


それでも確かに、


大地を癒し、

精霊を惹き寄せ、

周囲の魔力の流れそのものを“優しく、けれど確かに”変えている。


ほんの小さな存在だったはずの彼女の力が、

気づけば世界の理さえ揺らすほどの影響を生んでいた。


セレストは静かに息を吸い込む。


恐れではない。

畏れでもない。

ただ胸の奥に、ひたひたと熱が満ちていく。


それは――決意。


(……ならば、僕が支えなければ)


彼女の祝福がもたらすすべてを拒まず、

目を逸らさず、受け止め、

必要とあらば導く。


その力が誰かを傷つけぬように。

彼女自身がその力に怯えぬように。

そして何より――その才能が正しく“未来”へ向かうように。


――それこそが、自分に課せられた役目だ。


静かに、揺るぎなく。

その思いだけは、魔力よりも確かに胸の底へ刻まれていた。



 ◇ ◇ ◇



そして翌日も、そのまた次の日も――

イエレナは静かに屋敷で暮らしながら、

日々の中に少しずつ“彩り”を落としていった。


午後の畑は、陽を浴びた野菜の葉が風に揺れ、

青々とした匂いがふわりと広がっている。


イエレナは袖を少しだけ捲り、

膝立ちになって土を柔らかく払う。


「見て、ギウンっ、大きいのが採れた!」

「おぉ~、さすが姫さん、手際いいっすね!」


笑い合うふたりの声はどこか家族のようで、

イエレナの頬には陽の光のような赤みが差していた。


「これ、台所に運んできますねー!」

ギウンは収穫かごを抱えて軽い足取りで去っていった。


イエレナはそれに気づかず、

土から抜いたばかりの野菜をそっと両手に乗せて振り返る。


「これも大きいよ! 大収穫だね――」


弾む声が宙で止まる。

そこにいたのはギウンではなく――


いつの間にか背後から覗き込んでいたセレストだった。


「……っ!」


イエレナは手にしていた野菜を落としそうになり、

顔が一瞬で真っ赤に染まる。


「ご、ごめんなさい! 夢中になってて……!」


慌てて手を引っ込める彼女に、

セレストは驚くどころか、静かに目を細めた。


「謝る必要なんてないよ。

 イェナが楽しそうにしてる姿を見られて、嬉しいから。」


言いながら、彼は自然な動作で

イエレナの隣にしゃがみ込む。


距離が近い。

触れれば温度が伝わりそうなほど。


「――大収穫だね、イェナ。」


にこやかに向けられた微笑み。

ふっと近づいた距離に、イエレナは思わず息をのんだ。


「……っ」


頬に熱が上り、視線を落とす。

その仕草さえ、セレストの目にはいとおしく映ったのだろう。


くすりと喉を鳴らし、

彼はそっとイエレナの指先へ自分の指を重ねる。


さらり、と土がこぼれ落ちる。

重なった指先が微かに触れた瞬間――心臓が跳ねた。


「……セレスト様……?」


顔を上げかけた彼女へ、

柔らかい声が落ちる。


「砕けた口調でいいよ。

 アウルやギウンに話すみたいに――僕にも。」


押しつけがましくない。

けれど、どこか甘く求めるような響き。


胸の奥に、あたたかい風が吹く。


離そうと思えば離れられるはずの指先が、

どうしてか、そのまま重なり続けていた。


イエレナは言葉に詰まり、視線を落とす。


言葉を探して口が開きかけた、その瞬間。


セレストが、ふっと優しく笑った。

その笑みにつられるように距離が縮まり、

肩先に影が落ちるほどすぐ近くへ覗き込んでくる。


「……これも採れそうだね」


囁く声音は柔らかく、低くて、耳に溶ける。


彼の視線はイエレナの手元へ落ち、

ゆるく土を崩す指先が彼女の手にかすめた。


その仕草はあまりにも自然で――

まるで昔から、こうしてふたり並んで畑にしゃがんでいたかのような。


ささやかな光景のはずなのに、

触れた指先ひとつで心臓が跳ねてしまう。


イエレナは息をひそめ、ただその横顔を見つめた。


光の中で揺れる銀髪。

穏やかで優しい瞳。


その距離に――胸の奥が、静かに、甘く、熱くなる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る