day18「戴冠式」

 フェリスの要望で初日と同じワンピースを着た柊は、祖父母の家の鍵をしっかりと締めた。波の音だけが響く朝の街に、鍵が締まる音だけが響く。



「ねぇ、柊ちゃん」



 フェリスが静かに──寂しそうに、ぽつりと言った。



「来年も……絶対、一緒に来ようね!」

「……うん」



 柊は頷き、祖父母の家に背を向けて、駅に向かって海沿いを歩くのだった。




(何だか……さっきから、嫌な予感が止まらない。どうして──)



 しばらく歩いていても、柊の胸のざわめきは止まなかった。





 自宅に戻る前に、柊とフェリスは公園に立ち寄っていた。二人が出会った頃に遊びに行った、あの小さな公園だった。



「この公園に来るの久しぶりだね〜!」

「そうだね」



 フェリスは公園を駆けて一周してから、シロツメクサが生い茂っている公園の入口付近へ戻ってきた。



「よーし! 作ろう──シロツメクサの花冠!」

「うん」



 フェリスと共にシロツメクサの前にしゃがみ込むと、柊の脳内にはっきりと言葉が浮かんだ。



(作って……いいの? このまま、進んでいいの……?)

「……? 柊ちゃん?」

「……いや、何でもない」



 儀式を楽しみにしているであろうフェリスに、柊はそんな根拠のない疑問を伝えられず、シロツメクサの根に手をかけた。

 そして柊は他人に見られないようにスーツケースの陰に隠れて、フェリスに教わりながらシロツメクサの花冠を作ったのだった。





 微妙に大きさの違う二つの花冠を片手に、柊は自宅に帰った。一週間ぶりの自宅は、少し埃が立っていた。

 リビングのテーブルに花冠を置き、柊は荷解きを始めた。その最中、柊の不安はどんどん増していった。



(なんで……どうして、こんなに不安なんだろう)



 柊の首筋から流れた冷や汗が、ぽたりと冷たいフローリングに落ちた。そして、警鐘を鳴らすように鼓動が早まる。

 このまま進んだら、何か──恐ろしいことを思い出しそうな。柊の中で、そんな予感がしていた。




「柊ちゃん──大丈夫?」



 やっと冷房が効き始めた部屋に鈴を鳴らしたような声が響き、柊ははっと顔を上げる。


 

「さっきから……なんだか不安そうだから」

「……それは……別に、大丈夫だから」

「……もしかして、儀式が不安なの?」



 フェリスに核心を突かれ、柊は思わず荷解きの手を止めて黙り込む。



「わたしは、なんで柊ちゃんが不安になっちゃうのか分かってあげられなくて……ごめんね。でも、柊ちゃんが不安なら──もちろん、儀式はやらないよ」



 そして。フェリスは真剣な瞳で、迷いなく言い切ったのだった。柊はそんなフェリスの瞳から目を逸らし、高鳴る心臓をそっと手で抑える。




(いや。私は──フェリスを尊重したい)



 儀式に対して、フェリスが不安そうにしている様子は一切なかった。それなら──儀式を行うことが正しいはずだ。柊は心の底からそう思った。



「……儀式は、やる。それが正しい気がするから」

「そうなの……? 大丈夫?」

「うん。フェリスは……楽しみなんでしょ?」

「柊ちゃんとの記憶を思い出したいから、楽しみだけど……でも、柊ちゃんは本当に大丈夫なの?」

「うん」



 柊もまた、迷いなく頷いた。そして目を閉じ、心の中で呟く。



(私は──フェリスが笑っていれば、それでいい)



 フェリスはゆっくりとテーブルに歩み寄り、シロツメクサの花冠を二つとも手に取った。



「──分かった」

「……!」

「けど……柊ちゃんが不安になったり怖くなったりしたら、すぐにやめるからね」



 シロツメクサの花冠を抱きしめるようにして、フェリスはいつになく真剣に言った。その腕の中で、シロツメクサの花冠が異質な存在感を放っているように見えた。





「それじゃあ……始めようか、柊ちゃん」



 荷解きを終え、カーテンを締め切った部屋の中央で。柊とフェリスはシロツメクサの花冠を挟み、向き合って座っていた。部屋には、互いの息遣いと蝉の鳴き声だけが響いていた。



「……私はどうしたらいいの?」

「うーん、わたしもよく覚えてないからなぁ。……とりあえず、適当に合わせてみてほしいな」

「分かった」



 フェリスはこくりと頷き、シロツメクサの花冠を手に取った。柊は無意識に目を閉じる。フェリスの手によって、そっとシロツメクサの花冠が頭に被せられた。



(……これ)



 その瞬間、柊は強烈なデジャヴを覚えた。思わず、鳥肌が立った。


 

(私……やったことが、ある──)



 柊は目を開け、ほぼ無意識にもう一つのシロツメクサの花冠を手に取った。



(やっぱり、私は)



 そして、フェリスの頭に被せる。



(フェリスとの記憶を……取り戻したい)



 そして、不思議と独りでに口が動き出す。

 


「私は、貴方のことが好きです」

「わたしも、あなたのことが好きです」

「私は貴方に永遠の愛を誓います。なので、どうか貴方も──フェリスも、私のことを忘れないでください」

「はい。わたしも愛を誓い、そして。あなたのことを──柊ちゃんのことを忘れません」



 柊とフェリスは思わず目を見開く。お互いに、すらすらとセリフが出てきたからだ。

 

 それから、微かに視界が揺れた。そして、二人は──全てを思い出した。


 月も星も見えない暗い夜に出会い、語らったこと。不思議な女の子の手を引いたこと。不思議な女の子と絵本を読んだこと。──今と同じように、戴冠式を行ったこと。



「……フェリス」

「柊ちゃん……」



 二人は思わず、互いの名前を呟く。──瞬間。



「……あ」



 どちらからともなく、小さく声が漏れた。柊の脳内に、様々な声が槍のように降る。



『お母さんとお父さん、しばらく帰らないから』『柊ちゃん、いつも誰と喋ってるの?』『柊なら大丈夫よね』『気持ち悪い』『お留守番、よろしくね』『──死ねよ』



 割れるような頭痛に襲われ、柊は思わず頭を抑える。髪をくしゃりと握っても、暗い記憶の濁流は止まらない。



(怖い……怖い……怖い……嫌だ、やめて──)



 柊は無意識に救いを求めてフェリスの顔を見る。涙で滲んで、フェリスの表情はよく見えない。が、それでも分かったことがあった。



「お姉ちゃん、柊ちゃん……ごめん……ごめんね──」



 フェリスも、同じように酷く苦しんでいた。柊は思わずフェリスに声をかける。



「フェリス。フェリス……しっかり……」



 しかし、その絞り出した声がフェリスに届いている様子はない。



「あ……全部思い出した。……四葉ちゃんは、私の──」

「フェリス……!?」



 フェリスは頭を抱えながら、急に倒れてしまった。シロツメクサの花冠がフェリスの頭からぽとりと落ちる。柊は這うようにしてフェリスに近づき、その肩に触れる。



(なんで……何が、起きてるの──)



 そして柊も、ついに意識を手放した。





 数時間後に目を覚ました柊は、夕食も取らずにフェリスを呆然と見つめていた。外はすっかり日が沈んでいた。フェリスの目が開く気配はない。柊は何度もフェリスの口元に手を持っていき、呼吸を確かめた。



 家にこもり、禄に食事も睡眠も取らずにフェリスを見守り続けて三日が経った。部屋の隅で、茶色く変色したシロツメクサの花冠が二つ重なり合っていた。

 

 ──その日の朝。ついにフェリスが目を覚ました。



「フェリス……!!」

「……柊ちゃん」



 柊はフェリスを寝かせていたベッドに駆け寄る。空腹と睡眠不足で足取りは覚束なかった。二人はどちらからともなく、互いの手を取る。



「柊ちゃん、わたし、わたしね……全部、思い出したの」

「……!」



 フェリスは苦しみを吐き出すように、ぽつぽつと話し始めた。柊は深呼吸をしてから、フェリスの声に耳を傾ける。



「わたしは……死んじゃってたんだ」

「……え」



 フェリスの言葉に頭が追いつかず、柊は虚ろな瞳のフェリスを前に、声を漏らすことしかできなかった。

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