day18「戴冠式」
フェリスの要望で初日と同じワンピースを着た柊は、祖父母の家の鍵をしっかりと締めた。波の音だけが響く朝の街に、鍵が締まる音だけが響く。
「ねぇ、柊ちゃん」
フェリスが静かに──寂しそうに、ぽつりと言った。
「来年も……絶対、一緒に来ようね!」
「……うん」
柊は頷き、祖父母の家に背を向けて、駅に向かって海沿いを歩くのだった。
(何だか……さっきから、嫌な予感が止まらない。どうして──)
しばらく歩いていても、柊の胸のざわめきは止まなかった。
◇
自宅に戻る前に、柊とフェリスは公園に立ち寄っていた。二人が出会った頃に遊びに行った、あの小さな公園だった。
「この公園に来るの久しぶりだね〜!」
「そうだね」
フェリスは公園を駆けて一周してから、シロツメクサが生い茂っている公園の入口付近へ戻ってきた。
「よーし! 作ろう──シロツメクサの花冠!」
「うん」
フェリスと共にシロツメクサの前にしゃがみ込むと、柊の脳内にはっきりと言葉が浮かんだ。
(作って……いいの? このまま、進んでいいの……?)
「……? 柊ちゃん?」
「……いや、何でもない」
儀式を楽しみにしているであろうフェリスに、柊はそんな根拠のない疑問を伝えられず、シロツメクサの根に手をかけた。
そして柊は他人に見られないようにスーツケースの陰に隠れて、フェリスに教わりながらシロツメクサの花冠を作ったのだった。
◇
微妙に大きさの違う二つの花冠を片手に、柊は自宅に帰った。一週間ぶりの自宅は、少し埃が立っていた。
リビングのテーブルに花冠を置き、柊は荷解きを始めた。その最中、柊の不安はどんどん増していった。
(なんで……どうして、こんなに不安なんだろう)
柊の首筋から流れた冷や汗が、ぽたりと冷たいフローリングに落ちた。そして、警鐘を鳴らすように鼓動が早まる。
このまま進んだら、何か──恐ろしいことを思い出しそうな。柊の中で、そんな予感がしていた。
「柊ちゃん──大丈夫?」
やっと冷房が効き始めた部屋に鈴を鳴らしたような声が響き、柊ははっと顔を上げる。
「さっきから……なんだか不安そうだから」
「……それは……別に、大丈夫だから」
「……もしかして、儀式が不安なの?」
フェリスに核心を突かれ、柊は思わず荷解きの手を止めて黙り込む。
「わたしは、なんで柊ちゃんが不安になっちゃうのか分かってあげられなくて……ごめんね。でも、柊ちゃんが不安なら──もちろん、儀式はやらないよ」
そして。フェリスは真剣な瞳で、迷いなく言い切ったのだった。柊はそんなフェリスの瞳から目を逸らし、高鳴る心臓をそっと手で抑える。
(いや。私は──フェリスを尊重したい)
儀式に対して、フェリスが不安そうにしている様子は一切なかった。それなら──儀式を行うことが正しいはずだ。柊は心の底からそう思った。
「……儀式は、やる。それが正しい気がするから」
「そうなの……? 大丈夫?」
「うん。フェリスは……楽しみなんでしょ?」
「柊ちゃんとの記憶を思い出したいから、楽しみだけど……でも、柊ちゃんは本当に大丈夫なの?」
「うん」
柊もまた、迷いなく頷いた。そして目を閉じ、心の中で呟く。
(私は──フェリスが笑っていれば、それでいい)
フェリスはゆっくりとテーブルに歩み寄り、シロツメクサの花冠を二つとも手に取った。
「──分かった」
「……!」
「けど……柊ちゃんが不安になったり怖くなったりしたら、すぐにやめるからね」
シロツメクサの花冠を抱きしめるようにして、フェリスはいつになく真剣に言った。その腕の中で、シロツメクサの花冠が異質な存在感を放っているように見えた。
◇
「それじゃあ……始めようか、柊ちゃん」
荷解きを終え、カーテンを締め切った部屋の中央で。柊とフェリスはシロツメクサの花冠を挟み、向き合って座っていた。部屋には、互いの息遣いと蝉の鳴き声だけが響いていた。
「……私はどうしたらいいの?」
「うーん、わたしもよく覚えてないからなぁ。……とりあえず、適当に合わせてみてほしいな」
「分かった」
フェリスはこくりと頷き、シロツメクサの花冠を手に取った。柊は無意識に目を閉じる。フェリスの手によって、そっとシロツメクサの花冠が頭に被せられた。
(……これ)
その瞬間、柊は強烈なデジャヴを覚えた。思わず、鳥肌が立った。
(私……やったことが、ある──)
柊は目を開け、ほぼ無意識にもう一つのシロツメクサの花冠を手に取った。
(やっぱり、私は)
そして、フェリスの頭に被せる。
(フェリスとの記憶を……取り戻したい)
そして、不思議と独りでに口が動き出す。
「私は、貴方のことが好きです」
「わたしも、あなたのことが好きです」
「私は貴方に永遠の愛を誓います。なので、どうか貴方も──フェリスも、私のことを忘れないでください」
「はい。わたしも愛を誓い、そして。あなたのことを──柊ちゃんのことを忘れません」
柊とフェリスは思わず目を見開く。お互いに、すらすらとセリフが出てきたからだ。
それから、微かに視界が揺れた。そして、二人は──全てを思い出した。
月も星も見えない暗い夜に出会い、語らったこと。不思議な女の子の手を引いたこと。不思議な女の子と絵本を読んだこと。──今と同じように、戴冠式を行ったこと。
「……フェリス」
「柊ちゃん……」
二人は思わず、互いの名前を呟く。──瞬間。
「……あ」
どちらからともなく、小さく声が漏れた。柊の脳内に、様々な声が槍のように降る。
『お母さんとお父さん、しばらく帰らないから』『柊ちゃん、いつも誰と喋ってるの?』『柊なら大丈夫よね』『気持ち悪い』『お留守番、よろしくね』『──死ねよ』
割れるような頭痛に襲われ、柊は思わず頭を抑える。髪をくしゃりと握っても、暗い記憶の濁流は止まらない。
(怖い……怖い……怖い……嫌だ、やめて──)
柊は無意識に救いを求めてフェリスの顔を見る。涙で滲んで、フェリスの表情はよく見えない。が、それでも分かったことがあった。
「お姉ちゃん、柊ちゃん……ごめん……ごめんね──」
フェリスも、同じように酷く苦しんでいた。柊は思わずフェリスに声をかける。
「フェリス。フェリス……しっかり……」
しかし、その絞り出した声がフェリスに届いている様子はない。
「あ……全部思い出した。……四葉ちゃんは、私の──」
「フェリス……!?」
フェリスは頭を抱えながら、急に倒れてしまった。シロツメクサの花冠がフェリスの頭からぽとりと落ちる。柊は這うようにしてフェリスに近づき、その肩に触れる。
(なんで……何が、起きてるの──)
そして柊も、ついに意識を手放した。
◇
数時間後に目を覚ました柊は、夕食も取らずにフェリスを呆然と見つめていた。外はすっかり日が沈んでいた。フェリスの目が開く気配はない。柊は何度もフェリスの口元に手を持っていき、呼吸を確かめた。
家にこもり、禄に食事も睡眠も取らずにフェリスを見守り続けて三日が経った。部屋の隅で、茶色く変色したシロツメクサの花冠が二つ重なり合っていた。
──その日の朝。ついにフェリスが目を覚ました。
「フェリス……!!」
「……柊ちゃん」
柊はフェリスを寝かせていたベッドに駆け寄る。空腹と睡眠不足で足取りは覚束なかった。二人はどちらからともなく、互いの手を取る。
「柊ちゃん、わたし、わたしね……全部、思い出したの」
「……!」
フェリスは苦しみを吐き出すように、ぽつぽつと話し始めた。柊は深呼吸をしてから、フェリスの声に耳を傾ける。
「わたしは……死んじゃってたんだ」
「……え」
フェリスの言葉に頭が追いつかず、柊は虚ろな瞳のフェリスを前に、声を漏らすことしかできなかった。
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