第40話 秘策
内紛を経て、主を改め、ゴルテイの首領に取って代わった赤毛のベレンは、
「連中、どこまであてになるかね」
ベレンより、ガルガスに代わって自分がゴルテイの頭領になった旨の急使が送られてくると、瑛王カイラルは愛想よく応じつつ、使者を宿舎に引き取らせると途端に相貌を改め、嘆息交じりに、片腕の宰相アルダンと王太子ラルスに危惧を吐露した。
アルダンは王と王太子に、諜者が観測したゴルテイ参着の兵力規模を語った。
「各部の連動が追いついていないところもあるようですが、後発部隊も合して、ゴルテイの総勢はおよそ三千」
どうにか予定通りだ、カイラル王はその数字にひとまず安堵した。
更に瑛にとって思わぬ僥倖があった。不意を突かれたためにさして期待も抱けずに発した列国への援軍要請で、
ベレン率いるゴルテイ三千騎は、国境たるタシュタン関を超え、道々後発の部隊を合流させつつ、王都に来着した。カイラル王はベレンに対し瑛の爵位を与え、ガルガスの後継者であることを国家として承認した。これは瑛の国外爵であり、封土が伴わない名誉ばかりの称号であったから、瑛は地を一切咲かず、収益という形の実利が伴うものではなかった。だが、瑛としてはベレンを貴種として扱う。先々ベレンがゴルテイの中で首領たる位置を守り通せるか、またゴルテイそのものが
(せめて目前の一戦、乗り切ってくれればそれでいい)
宰相アルダンが差配したゴルテイの将兵に対する傭兵対価も行き届いたものだった。前金を十分に渡し、成功報酬にあたる後払いを審議で約し、個別の手柄についての報償も別に行う旨を提示すると、ゴルテイの剽悍な騎兵らはみな喜んで歓声をあげた。
ゴルテイの来着、踏の救援を加え、瑛軍は歩兵三万一千、騎兵諸軍を合し九千騎を超える規模となった。それら全軍を差配する王太子ラルスは、籠城ではなく野外での決戦を決意し兵馬を南に進めた。因縁のトハの地である。
既に迂軍は
迂軍、若干の兵力散開、部隊編成の都合もあり、総勢八万を切る規模であった。だが、ざっと比較すれば瑛軍の倍である。ただその兵力の大半は歩兵で、機動性に富んだ騎兵の編成はさしものグリュグでも手が十分に回らず、従属諸侯軍の供出を加えてようやく二千の騎兵戦力を保持していたに過ぎない。迂では騎馬は貴重で将領が権威に用いることが一般的であり、独立兵科として集中運用するという思想に、先のトハでの戦で痛打を受けてもなお開花していなかった。
これら規模は全くの正確でないにせよ、瑛側の詳細な偵察である程度類推されていた。瑛にすれば自分たちに向かって侵攻してくる迂の拠点がハルツ城塞一点に限られる以上、ハルツ及びそこまでの道筋を定点的に観測していると、敵軍駐屯の出入りの状況が見えてくる。そこに炊煙の様子を加味したり、或いはもっと大胆に、ハルツに出入りする商人らの一向に加わって懐に飛び込んで見聞したりと、情報を取る術は多様に及んでいた。迂側も防諜意識は高いわけでなく、むしろ自らの強大さを誇示してやる意識があったので、様々な手段によって入手した情報を突き合わせ、まずまず悪くない数字が王太子ラルスの元に届けられていた。逆に迂側は、そこまで瑛の情勢把握に固執していたわけではなかったにせよ、それでも不逞な振る舞いさえ行わなければ、王都城下に旅人や商人を装って潜り込むことができる。そこからかき集めた情報で、瑛の国を挙げての兵力規模がどの程度になるか、おおよその算段はついていた。
迂の全軍を率いる双名王族カノ・テディンは、決して凡庸な人物ではなかった。瑛の軍勢が四万程度であることは把握していたし、迂に比して、その戦力攻勢には騎兵に力点が置かれていることも知っていた。先例に学ぶことを惜しむ人物でもなかったから、特に先般のトハの戦についてはよく情報収集し、グリュグを始め従軍した将領には話を聞いて、ルフェン翁が率いた先の征西での敗因を彼なりに把握していた。カノはルフェン翁が、兵力にものを言わせて正面から平押しした構想それ自体は誤っていないと考えていた。ただ、当時の瑛による合従連合軍を打破するには、その正面攻勢が蚕の重装歩兵らによって阻まれ、局面的に優勢ながら決定打を欠いていたずらに時間を徒労し、それがためむざむざと
今般は、迅速な征西で六朝の連携する時間的な余裕を与えず、仇敵と言えた蚕の来着をまず阻んだ。そこはカノの雄略の手柄であった。ただカノは、敵の防壁の最難部を戦略的にひっぺ返しておきつつも、それだけで必勝とは思わず、更に敵軍正面を崩壊させる秘策を用意していた。重装歩兵、機動力を断念する代わりに身を重厚な鎧で包み、更に盾を持たせて守りを更に堅牢とし、右手に長槍を持たせて、百名程度の小隊を単位として進退させる、文字通りの戦場の主力であった。短時間のうちにこれを打ち破るのは容易なことでない。実際に先のトハの戦で実証されている。迂も列国に倣い、国力にものを言わせて重装歩兵の整備に余念がなかった。野外において交戦する会戦形式に至るのであれば、迂としては敵の正面にこの重装歩兵部隊を置いて、平押しに押す戦法を執る。敵もそれに呼応するかのように、正面に重装歩兵を布陣させるだろう。そうでなければ迂の大軍の殺到を防ぎえないからである。カノはそこで更に、敵の堅陣を打破する一手を構想した。それが、
「敵重装歩兵部隊の右側面から襲いかかる戦形」
すなわち、自軍左方に兵力を膨らませ斜形に布陣し、敵の重装歩兵の槍の持ち手で防御力の劣る敵右側面を狙う斜線陣であった。カノはこれを自らの手勢で実践するという。軍議の席でこれを秘中の秘として示されたグリュグとガイナ・ルシュアは、共々にうなった。両名は嫉まれて手勢の大半を後備していたが、カノの後ろめたさもあって扱いは丁重で、あらゆる軍議に進んで招かれていた。その席上である。
カノの構想は、机上論ではある。が、空理空論と一蹴するには説得力が有り余っていた。
「実際に手勢による演習を繰り返した。少なくとも、敵の右を圧迫することで、その長槍の攻勢を衰えさせることが可能である」
柔軟に重装歩兵が部隊単位で戦闘方向を改め、常にその正面に向き合うようにして小気味よく動ければ、右側面の圧迫の苦境は回避できる。が、敵を相手にしつつ方向を変えるなど現実問題として至難だった。そのような柔軟性を捨て去る代わりに重厚な防御力を選び取ったのが重装歩兵である。
混乱を確保で舳先を改めるか。損耗を承知で前を向かせ続けるか。この判断に時間を費やせば、それだけで敵の損耗の度合いは増す。その敵正面を押しに押し、突破できれば、寡兵の敵は迂の怒涛を防ぎようがなくなる。
「これで勝てる」
カノはそう力説した。彼にすれば、この戦に勝てば、次の王位は間違いがなくなる。遠征の司令官としての決断命令が、将来は勅命となる。彼にすれば瑛の存在は彼の王位へと進む階梯の踏み台でしかないのだった。
カノにはそのような構想力も、想定も、打開策の構築も備わっていた。ただ彼は、想定なり打開なりは別に自分だけの専有物でなく、敵もまた当たり前にそうするという視点を欠いていた。カノが先鋭的に斜線陣形を採用するとまでは読まれていなかったにせよ、開戦の緒戦に正面に敵が殺到し自らの重装歩兵人の突破にかかるというのは、瑛側でも十分に想定されていた。迂にとって悪いことに、その想定の智嚢の頂点に在って、なおかつ打開を自らの意思で決断できる大権を国王より委ねられているのが、瑛王太子ラルスその人であった。ラルスは天稟で神韻を垣間見た。つまりは脳裏で次なる戦いの想定を幾度も繰り返していた。この天才が出した答えは、
「迂の正面攻勢を跳ね返して勝利する術はない」
というものだった。幾度思考を巡らし、条件を細かに入れ替えても、正面攻勢を受け止め跳ね返す術は見いだせなかった。創設した左利き重装歩兵部隊を用いても、打開には及ばず、精々が破綻までの時間を引き延ばすだけだった。
「それでいい」
ラルスは割り切った。正面部隊は、勝ち目がないままに堪えてくれればいい。ただしそれをできるだけ長く、できるだけしぶとく足掻いて。そこで稼いだ時間内に情勢を転換させる。そこが賭けであった。ラルスは神韻でその賭けの勝ち筋を見出していた。ただし、脳裏の想定が実地で背馳しないか。それには疑念があった。
ラルスも人の子だった。誰かに自分の想定を打ち明け、彼の感じている算段がどれほどに妥当か、また危ういか、評してほしかった。不備を指し示し、より高みの助言をもらいたかった。だが、それは彼一人が秘め、漏洩することなく抱えねばならなかった。そして、彼の見解や予測に互する他者というのは、少なくとも彼の声の届く範囲には一人として存在しなかった。ラルスは孤独に堪えなければならなかった。孤独を引き受けなければならなかった。ラルスにはカイラル王がいた。宰相アルダンという頼もしい辣腕家がいた。リーンという姉同然の人もいた。しかし、軍略に限れば、誰も彼の視座には居合わせてくれなかった。それは信愛や肉親愛とはまるで異なるものだった。ラルスは一人、出立前の寝所でその夜、夜具を頭からかぶって孤独でいた。様々な思念がよぎった。打ち明ける相手は傍らに誰一人としていなかった。
リーン・アレルナは、父ヴァンスと共に、所領屋敷の方に下がって出陣の支度を行っていた。ヴァンスは離縁して戻ってきた娘の出陣を複雑な心境で眺めていたが、留める声を出せもせず、ただ武人のたしなみとして、それとなく、生きて戻れぬ場合に備えた別れの言葉を淡々と交えていた。リーンもそれに静かに応じた。こんな生き方でいいのかね、そう問いただしたい願望をヴァンスは抑えた。リーンは優良な将領で、この国難に欠かせぬ人材ではあった。ヴァンスはそれを馳駆せねばならぬ立場だった。
慌ただしさの中に、家人が来客を伝えた。困惑の色が浮かんでいた。来客の名を聞いてヴァンスも驚いたしリーンも息を呑んだ。客はリーンと縁を絶ったタルレイ・ヴォルンタリであった。かつてのマハルゴウの戦いで脚に重傷を負ったタルレイは、若さに似合わず杖を持ち、片足を引きずって王都からの道を歩んできたとのことだった。ヴァンスは立ち、邸宅の玄関で出迎えた。リーンも意を決して後を追った。
戸口に立つタルレイは、従者も連れず一人でやってきた。不自由な足で何日かけて来たのか、相貌には疲弊と旅塵とがこびりついていたし、出立の際に整えていた髭が幾日放置していたのか、見苦しく乱れて広がっていた。タルレイはヴァンスに先んじ、出陣前の多忙の折にお邪魔してと、虚心に頭を下げた。ヴァンスはタルレイの様子を見て、邸内に上がるよう勧めたが、タルレイはそれを断った。
タルレイはヴァンスと、ヴァンスの後ろに控えるリーンとを交互に眺めやり、ただ、出陣前にご挨拶がしたかったのだと告げた。
「戦に赴くのに、こんな口上もないでしょうが、どうぞ命冥加に」
荒くついた呼気の中の言葉に、激励も何もあったものでもなかった。武人を遇する作法からは当人が語るように逸脱もいいところだった。だがタルレイの誠意は確かにそこにこもっていた。何の益もない、今更に好意も感心も得られようはずがない、それを承知でタルレイは杖でじりじりと歩み来て、死んでほしくないと告げた。ヴァンスに対してもだろうが、リーンへの願いがほとんど全てであることは問いただすまでもなかった。おそらくはリーンの出征を聞きつけ、居てもたってもいられなくなったのだろう。あのような見苦しい別れを悶えるほどに悔いたのだろう。それで動かぬ体を引きずってただ一人来たのだろう。
ヴァンスは丁重に一礼した。リーンもまた、「ありがとう」と元夫に告げた。タルレイはそれを受けると、名残を一切見せることなしにさっと踵を返し、また片足を引きずって来た道を帰っていった。ヴァンスとリーンはその頼りない後姿が見えなくなるまで、じっと見送った。
瑛軍は、踏やゴルテイの兵を含め、陸続と南に向かった。その行軍によって籠城戦の意思なきことを示し、赤き漠野たるトハの地に実に九年の歳月を隔て、迂に先んじて布陣した。
特段に秘匿した行軍などではなかったため、王都を進発した瑛軍の動向を迂軍はたちどころに察知した。行く先はトハか、トハを越えた先の、マハルゴウのさらに南の、迂の出城になっているハルツ城塞そのものを打撃するものか、迂軍の首脳の見解はその察知の初手こそ分かれたが、続報が瑛軍の列に攻城兵器を伴わぬことを伝えてきて、迂の見解としても瑛の望みはトハでの再戦にあると確信するようになっていた。
それに応じるか。それとも、いなすか。
悩むまでもない。カノ・テディンは即断した。
「トハの地にて相対す」
若いガイナは壮挙に身震いした。だがグリュグはいくらか考え込んだ。瑛王太子ラルスは自軍の不利を承知で野外での戦いを挑んできた。よほどの自信がある。そうとしか思えなかった。しかし同時に、だからといって手をこまねいて観望するのが正解とも思えなかった。迂にとって、籠城戦でもたもたしていれば、いつ列国の救援が到着するかわからない。できれば瑛が単独に近しいうちに叩いて、決定的な勝利を確保しておきたかった。その算段のからすれば、トハに布陣した瑛軍は好餌としか思えぬのだった。
しかし、
グリュグは思った。かつてまみえたあの王太子ラルスが、何の勝算も持つことなしに易々と好餌になどなるものであろうか。
疑念を抱き、釈然としない思いを抱え、それでもグリュグは迂の全軍の行軍の中に我が身を埋没させ、共にトハの地へと向かった。
迂と瑛、あたかも偶然と思しき対決は、しかし地霊たるトハにすれば、とうにわかり切ったことであった。
都合三度。その二回目。
また血が流れる。赤き土が血潮を吸う。不毛な漠野に石礫のように骸がそこかしこに無造作に転がる。
トハばかりが、迂瑛の相克の帰趨を知り得ていた。それゆえに皮肉も帯びる。わずかばかりの憐憫もにじむ。
かつてのトハの戦、トハはラルスを
この国の歴史から消すことのできぬ二次トハの戦いが、始まろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます