第6話 危惧
宰相アルダンの説教の主題は軍令違反であった。
「王命もなく出撃し、王命もないまま戦端を開いた。最終的に戦うかどうかの判断は、王権に帰属するところ。例え太子であられる殿下であっても王権は決して侵してはならぬものであります」
王城の中の宰相の執務室、その名のわりにこじんまりとして、窓と扉以外はひたすらに壁が本棚になっている、筆記机と椅子、それに対面する者の椅子ばかりがある部屋に、アルダンは王太子ラルスを伴って入室し、じっくりと説教を行った。
アルダンの論理は細密である。王太子は次代の王として、その不慮の継承の際の混迷を回避するために公設されるものであると共に、やはり将来の王権の担い手として、国王稼業の見習いを行うべき職責でもある。ただし、
「王権の中には、太子を廃嫡する権限も含まれております。王太子は国王の承認あってその王権の一部を代行することができますが、国王はその王太子を罷免することができる」
「父王は私を廃嫡なさるということかな」
ラルスは少年らしい笑顔を崩しもせず、屈託なくそう宰相に尋ねた。その表情をどのように受け止めるべきか、いくらかの沈黙の合間でアルダンは熟考した。
「殿下をどうなさるかは、国王陛下がお決めになること。どのように処されるかは、そのうちに陛下からお達しがございましょう」
そう聞かされて、ラルスはやはり笑みを浮かべ続けていた。アルダンは多少とも舌打ちしたくなった。国王が決めることで自分は知らない、という答えは逃げであると、この殿下は受け取ったのかもしれないと思い、自分の示した答えに腹立たしさを覚えたためだった。
「どのような御裁きになるにせよ、殿下もご準備だけは整えておかれるがよろしかろう」
言葉で継いでいくらかすごんでやったが、後づけのいいわけくさい口上だと宰相自身は自分に対して無様さを思った。現に王太子の屈託のなさは崩れてはいない。にこやかに微笑んでいる。
「反省しております」
口だけは殊勝である。アルダンは嘆息した。脅し文句を並べたところで、実際に廃嫡にまで及ぶかというと、もしそのような意見が枢機の場で生じたならば間違いなく反対に回る彼であった。よほどの暗愚というならば別であるが、ラルスはそうではない。そして彼と競合する有力な国王候補というのはほぼ存在しなかった。カイラル王の実子はラルスただひとりであり、傍系の王族を見渡しても遠縁ばかりが目立つ有様で、瑛の後継問題はラルスに一本化されて久しい。
(それに思いあがってのお振る舞いだろうか)
そう勘繰りたくもなったものの、そのような傲慢増長ぶりは眼前の少年からはまるで感じられない。
ラルスの王城参内よりも前に、城下の市井の方で戦勝に歓喜し、民が自発的にラルス一団を凱旋祝賀のようにして出迎えたことについて、実はアルダンは多少の疑念を感じていた。あまりに手際が良すぎた。或いはこの少年太子が周到に根回しをして、自分のもぎ取った勝利の余光を最大限に活用すべく、迅速に市井を扇動してその挙に結びつけたのでないかと疑ったのである。だが、密やかに調べを入れてみると、そういうわけではないようだった。迂軍の侵攻で流通は足踏み状態となっており、民は憤懣を募らせると共に迂の動向について過敏なほどに神経を尖らせていた。特に一旦瑛で荷を下ろし、新たに積みなおして迂へと向かう類の物品ほど先行きが不透明で、長々抱えて瑛に滞在がかなわない列国よりの隊商などは、損を承知で投げ売りを始めていた。この市価の値崩れは急激であったために、それで大損をした者は失地の挽回を歯噛みして狙っていたし、安値で受け入れた者も状況が状況だけに安穏としていられず、更なる底値崩れに戦々恐々していたところであった。
その中での瑛にとっての吉報、快挙である。密偵が伝送してくるよりもよほど迅速に、それこそ紫電のようにして、勝利は瑛の王都にまで伝播してきた。それまで民は、不安と鬱屈をため込んでいただけに、想像もしなかった快勝に狂喜して、祭礼騒ぎをやらずにはいられないほど高揚した。それが自ずから形となって王太子一行を出迎えた様相に及んだらしい。
(そこまで計算して迂から戦勝をもぎ取ったのであれば、この坊やは魔人であろうが)
勝利そのものはともかく、その効能はただただ僥倖であったのだろうとアルダンは推察した。それが最も蓋然性の高い結論であった。そもそも、そのような手練手管を用いるならば、矛先を宮廷工作に向けて出戦の許可を手回しよく取得した方がよほど容易であったはずなのである。戦の勝利そのものは王太子の手腕そのものだろう。しかしながら宰相は、政治という塩辛い世界で生きてきただけに、その手腕がもたらした余慶の方のつきの良さをむしろ危ぶんだ。
国政を担うものとしての辛辣な指摘を行った後、アルダンは純軍事的な話を、ラルスに対して口調を改めて行った。
「戦を始めるまでは、その可否は国王大権ですが、陛下が直接指揮を執られず戦の采配を将帥に委ねられれば、戦が始まってからは軍の進退は将帥の専断となってきます。殿下は大事な前段を端折られてしまわれましたが、戦を始め、始まった後の手際は、報告を受け、また後発の偵察が持ち帰った迂側の損耗の様子と照らし合わせ、実に見事であったと判断されるものです」
ラルスの抜け駆け騎士団は三百ほどで、迂の大軍からすれば過少であり、夜討の被害もその進軍をたちどころにとどめるほどには到達していなかった。にせよ、彼我の損失は、迂の方は死傷はどう少なく見積もっても百を超え、此方は死者なし重傷なしの傷ひとつない完勝である。
「向こうは全く油断をしていたし、また油断を見計らった。軽騎兵に対する備えの編成もまるで為されていなかった。攻撃の際の進路さえ誤らなければ、あとは偶発的な流れ矢くらいしか危うさはないと判断した」
ラルスは少年の声色で淡々とそう説明を行ったが、まるで白面の画布に好き勝手に絵筆を走らせたかのようにして、彼の思惑が思惑のとおりに推移し、絵に描いたかのように実現してしまったことがその声色で語られると、アルダンはさすがに、そのことをどう整理し、どう意味づけるべきか、考え込まざるを得なかった。正直なところ、彼のような大人には理解ができない思考であり結論だった。錯綜とする様々な要素を、子供の飛躍と単純化で、好きな絵を描く。往々にしてそれはありがちである。子供は世間を知らず、世の中の奇怪さを分からず、乱麻をやすやすと切り捨てられるとばかり思う。その延長線上に瑛の勝利がもたらされ、迂には少なからず死人が出て、彼らは遠征先の見も知らぬ山野の懐に埋められて土にならんとしている。
ラルスを兵事の天才、用兵の天稟の持ち主と決めてかかるのはたやすいことであり、また自分の理解の及ばぬ領域をそう定義して始末してしまうのは、当座の結論の見えない思索を一区切りさせるには、最も有効な道筋であった。だがアルダンは、
(本当にそれが正解なのか)
これまで直面したことがない事態について、答えが出ないことを承知の上で、なお悩まざるを得ないのだった。
「何はともあれ、お怪我もなく、その点は何よりでありました。御身を大事になさり、二度とかくの如き軽率さをなされませぬよう屹度申し上げます」
「相わかった。浅慮を詫びます」
殊勝に頭を下げた王太子を引き取らせると、アルダンは執務室に一人籠って、しばらく黙ったまま瞳を半眼させ、じっと考え込んだ。王太子に兵事の才気はどの程度備わっているのか。眼前の危急に対しそれを用いるべきか。それは瑛という国家にどれほど益をもたらし、また弊害はどの程度生じてしまうのか。
単純に英雄俊才を礼賛する気には到底なれなかった。もし彼に才気があるならば、その才気を表現せしめるには絵筆や楽器でなく戎装させた人間の命が数多く必要になり、その表現の欲望が求めるにしたがって命をすり減らしていくことを是認しなければならなくなる。そして、才気が全きに及ばず半可な程度に過ぎないのであれば、その中途半端さに委ねた国運の行く先がいかなるか、思索はいくらでも暗澹とした未来を想定してしまう。
王太子は、まるで才なく、運ばかりで今般の勝利を得たのではなかろう。それがアルダンにとっては深刻な悩みであった。
迂軍の侵攻は、ラルスの夜討によって、少なくとも数日の足止めをもたらした。瑛側のトハの地への出陣も多少とも日延べでき、
勝手知ったる王の部屋である。アルダンはさっさと棚から玉杯をふたつ取り出して、卓の王の前と自分の前に置き、持参してきた琥珀色の度の強い酒を粘度を思わせる水音を立てて注いだ。王は宰相よりはわずかに典雅な挙措ながらも、さほどに落差があるわけでもない乱雑さで、玉杯を取り上げるとさっさと宰相の盃に音を立てて乾杯で合わせ、矢継ぎ早に飲み始めた。
「アルダンじじい、佳い酒を持ってきたではないか」
酒気が熱を呼び寄せ、王のまなじりを澱ませた。
「じじいはなかろう。わしの子は陛下のご子息より十以上も年若の幼子だ」
アルダンは遅子持ちで、四歳になったばかりの娘はかわいい盛り、目の中に入れても痛くないほどであった。
カイラル王はうなった。「それに引き換え、陛下のご子息には困ったものだのう。宰相殿よ」
口調には自嘲と困惑が入り混じる。アルダンなりに王太子にかかる悩みを抱えはしたが、父王の方は、
(まあ、わしの比ではなかろう)
公人としての立場は宰相より国王の方がはるかに重く、私人としての父親たる関わりもそのもつれを助長してしまう。
「あれに戦の方の才気はありそうなのかね、やはり」
苦々しそうにそう語るので、アルダンは腐れ縁の主君に酒を注いでやりながら、逡巡したいところを我慢してきっぱりと答えた。
「才気はあります。間違いなしに。どの程度かは、わしにもわからんが」
カイラル王は注がれた酒をぐっと飲んで、それから、首を左右に振った。
「わしにもわからん。さっぱりわからん。戦のことは本当にわからんのだ。親たるわしがこの体たらくで、倅の何たるかも見定めができず、この先どうなるかも見通しが効かん。じじい、おかしかろう」
「嘲笑って終わりになることならば、いくらでも陛下を笑うところであるが、これはどうにもならんことですからな。わしにもいかにすべきか、いかなる方に推移していくか、まるでわかりませぬ」
その後しばらく、年来の付き合いの二人は無言で飲み交わした。
酒瓶を二人で一本空にしてしまったあとで、それを契機にぼそぼそと国王と宰相は密談を行った。
王太子ラルスへの処分は譴責。リーン・アレルナら騎士団の主だった将領へも同様。トハで会敵を想定する次の戦では、王太子には一軍を委ねず「国王の本営で、陛下直々に首根っこを押えていただく」措置とする。
「殿下は戦の資質がある。それは事実です。厳しい戦となりましょうが、本営で一軍、一国の命運がぶつかり合い、削られていく様を体験していただくことは、その資質を必ずやいい方に向けるでしょう」
カイラル王は何度かうなずき、やがて口を重々しく開いた。
「なあ、宰相よ。倅は我が瑛を益するかな。それとも仇をなすであろうか」
アルダンはぼそっとつぶやいた。それがわかるのは神々の神識のみ。人がそれを窺い知るは無理な話でありますと。
翌朝、国王カイラルより、王太子ラルスの軍令違反の咎に対する処分が正式に下された。宰相アルダンとの密談のとおり譴責。ただし、
「ラルス及びリーン・アレルナは、本朝及び西方大陸国家の史書より、軍令違反により亡国を招来せしめた事例を複数引用し、その経緯と結果を取りまとめて宰相の元に提出せよ」
現代風に敢えて語れば、始末書兼反省レポートの提出ということであった。けん責処分は予期していた王太子ラルスも、反省文の提出、しかも提出先が宰相であるとまでは想定外で、実に少年らしい表情の豊かさでげんなりしたし、美貌のリーン・アルレナもただでさえ硬質の表情をいっそうこわばらせた。
「リーン姉、父上と宰相殿にしてやられた。どうしよう」
「殿下。申し上げておきますが、私は私の反省文で手一杯。殿下の分はご自分でなさらなければなりませぬよ」
宰相メセディン・アルダンの厳しさに、容易なことでは反省文の及第を出さないことが予期される。従姉弟同士の王族ふたりは、交々に重苦しい溜息を吐き出した。
この第一次トハ会戦に先立つ、瑛王太子ラルス・エイラーンの反省文というのは、現存すれば間違いなしに第一級の歴史資料となるものであるが、今日までその記録は残されていても、反省文そのものの存在は確認されていない。研究者はどこかの古神殿の祭壇の奥にでもそれが奉納され、何かの偶然で発見されるという幸運を待ち望んでいる。彼らが知りたいのは、ラルス・エイラーンの天才性が彼のこの時点に置いてどの程度発露し、それが資料からどれほどに窺い知ることができるか、という点においてであったが、軍事的な才能というものが史実において展開された事実の範疇と、未発の可能性として潜み続けたままの領域との危うい拮抗を思えば、永遠に解決の及ばない領域であるのかもしれない。
瑛軍は、反省文にかまけて寝不足になった王太子ラルスやリーン・アレルナを引き連れ、譲りがたい防衛線であるトハの地へと赴いた。敵手迂との対決は目前に迫っていた。
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