第4話 星降

 関内ラティスを鎧う分厚い山並み、その合間を縫う長い隘路を抜けた先に、ようやく、迂人ウルヴァールびとにとって行く手の開ける地が待っていた。

 荒蕪の処である。

 トハの地は、そのはるかなる北にあり、エイラーンは彼の地を防衛線として待ち構え、またそのトハ目がけてサンセントゥールの援軍が着実に行軍しつつあった。

 トハにはまだ冷淡にせよ名があったが、その地には冷笑的な名前さえなかった。関内から出てきた先で陣を構えた迂軍は、自分たちの居所の名がわからずに、多少まごついた。

 土地の者に尋ねようとしても、そもそも土地の者がいない。多少付近に集落があるようであったが、皆逃げてしまっていた。また例え逃げ残りがいたとしても、土地の名というのは彼らやその近隣の連中の住む各々の集落の名であって、迂軍がこれから集結し、四万にも届く多数が陣構えする広い荒れ地の名などというものは、存在もしておらず、それゆえに教えてもらえることもできなかっただろう。

 陣営を整えるために先発部隊の中にあった迂の王弟グリュグは、この地の名のなさに小首をかしげたが、次にはさっと、

ハルツテンツのハルツとでもつけよ」

 安直にそう答えた。 

 実用一点張りの性格で、命名についてこだわりに乏しいグリュグは、或いはハルツと安易に命名されたこの地から恨まれるかもしれないが、彼には彼の言い分があった。そんなことに頭を使う暇などは皆無、というわけである。

 関内からの長い隘路を、迂の差遣軍は着実に進んでいる。しかしその大軍はひどい行列であり、合間に兵站の馬車荷車もはさんでのことであったため、いつその全軍がハルツと名付けたこの地に集結し終えるか、グリュグとしては気が気ではない。

(或いは、関内を出でて早々のこの地で、瑛はしかけてくるか)

 その警戒はグリュグの内心から決して失せなかった。

 無論その場合は、迂も全軍未集結ながら、迂も長駆して襲撃を果たすことになるわけで、相互に兵力の充溢を欠く状態であるのは明白だった。

 戦は競技ではない。定数が揃わなければ行えないという規範など微塵もない。国力差から不利な瑛がやぶれかぶれで攻め寄せてくる可能性は十分にあるとグリュグは思っていた。

 このため、先着した部隊を遊ばせながら後陣を待たせることをせず、ハルツの本営を野営程度の簡素なものからより長期にわたって利活用できる陣屋として固める準備のために、あれこれと駆使した。グリュグ自身が地相を見定めた後、傍らの疎林を薙がせ、井戸を掘らせ、将来を見越して下水の敷設まで、その端緒に過ぎないにせよ行わさせた。最重要なのが本国から陸送される糧秣の集積場の建設だった。

 もし自分ならば、グリュグは瑛側の視点で思考を試みていた。もし自分が瑛の人間ならば、真正面から迂の大軍と戦うことを極力避け、何とかしてその兵站線を断ち切ることに腐心する。食いものがなくなり、馬匹がなくなり、矢や刀槍甲冑の代えがなくなり、衣服や軍靴がなくなり、医薬品その他のこまごまとしたものも尽きたとなれば、いかに迂軍が多数であろうと立ち往生せざるを得ず、精々その侵略は短期間の略奪程度にしか続かない。

 他方で、糧秣等の確保は、荒れ地でろくな生産性のないハルツ周辺から吸い上げることは全く不可能だった。

 となれば、本国から運ぶしかない。

 本国からの兵站は、血流に等しかった。敗れれば迂の全軍が崩壊する。

 この集積地の堅牢さを確保するために、グリュグは心血を注いだ。数万の兵力の長期的な対陣に見合うだけの糧秣の量を収められる巨大な倉庫の棟を慌ただしく建てさせると共に、その防備についても周到に築いた。柵、土塁、櫓、特に土塁については作業を命じたドルンという名の百戸長がなかなかに手際よく、グリュグを喜ばせた。

「土いじりについてはね、慣れているんでごぜえますよ」

 半裸に泥だらけ、それでむき出しの笑顔のドルンの精励を称賛しつつ、グリュグは瑛の動向を気にかけていた。

 この不十分な状況で無理押しに攻めてくるか。

(来るならば来い。撃退してやる)

 一日、また一日と着陣する後続部隊によって陣容を強化しながら、グリュグはじっと瑛の方をにらみ据えていた。

 一方、にらみつけられる側の瑛である。

 瑛は瑛で、迂が山塊の合間の隘路を出でて集結しているその出口付近の地名を知らなかった。後に迂がハルツと名付けたことを聞いて失笑したほどである。が、それはそれとして、迂軍の本営として整備されつつあるその地に対して、即刻こちらから攻撃をしかけるべきか。その議論は当然のように生じた。

 戦とは合わせ鏡である。迂の方で予期する程度のことは、瑛でも当然に検討されていた。

 瑛の口うるさき宰相メセディン・アルダンは、その議論を行う枢機の場で、軍の将帥や内治の重臣らと共に迂軍本営の即刻襲撃の是非を論じていた。将帥らは確かな戦意を示しつつも、即時襲撃には慎重な姿勢だった。

「迂もそれなりの備えをしつつ、後陣の来着を待っているとのこと。ここで攻め寄せても、単に相互の消耗戦にしかならんでしょう。そうなれば、われらにとって厳しい。こちらの損失と同じ損害を迂に与えられたとしても、手持ちの兵力は向こうが圧倒的に大ですからな」

 ユディシエ将軍が朴訥な口ぶりでそう語るのを是としてアルダンも軽くうなずいた。

 アルダンは本質的に文官で、政治の諸々の叱咤役、牽引役として飛び回っているのだが、瑛という所帯の小さな国にあっては時として鎧を着こんで部隊を率いていかねばならない。それだけに兵事は無縁無関心とそっぽを向いているわけではないのだが、国政を総括的に眺める見地からして、迂軍への慌ただしい先制攻撃は、

(賭博に過ぎる)

 というのが本音であった。

 撃退されれば、後がない。瑛の国力では損耗を回復するのに時間がかかりすぎる。

 勝ったとしても、迂は増援を後から後から繰り出してきて、結果的に消耗戦に引きずり込まれる。ユディシエ将軍の語るとおりの夢のない未来が到来する公算が高い。

「やはり、トハの線まで迂軍を押し上げさせ、その分兵站維持に負担を強い、長期対陣に持ち込んで損耗させ、向こうの根負けを待つというのが最善手のようだな」

 列席の文官武官の誰もが、苦い顔でうなずいた。好手妙手の類でないことは誰にでもわかりきっていたが、没理想の消去法で選んでいくと、そうならざるを得ない。

 ただ、

(おや)

 アルダンはやや驚いた。

 後学のためと列席を申し出られ、発言権はないものの特別の一席を与えられた王太子ラルスが、春風のように屈託のない少年の笑顔を浮かべていた。

(妙な御子だ)

 ラルス太子の父親であるカイラル王と子供の時分からの腐れ縁であるアルダンは、当然ながら、このラルス太子のことも襁褓の頃から知っている。

 朗らかな性格で、やや気まま性ではあるが、放蕩や粗暴といった眉をひそめる問題行動のそれではなく、ぷらりと王宮から姿を消して野山に遊んだり、市井に入り浸ったりする癖があった。父王のカイラルは、

「度が過ぎるのであればいかんことだが、まあ、程々ならばそれもよかろう。王族をやるのも気づまりなことだからのう」

 何とも子供に甘い放任主義であったし、それなりにラルスに信も置いていた。

 別に不真面目でもなければ、傲慢でもない。近臣からのお小言には素直にうなずき、十のうち八くらいまでは素直に従う。そのくせ、どこかが抜けている。魯鈍なのではなく、むしろ頭の回転は速すぎるほうではあったし、市井の出入りが子供ながらも聡明さ、見識のそれなりを育んでもいる様子だった。

 さる民政の問題で、実情にそぐわないながらも国政の体裁を守るために苦渋の選択をする必要がある、ということがあった。横でその報告を見聞きしていたラルス太子は、

「体裁などといっても、私も父上も、頓狂なところは頓狂だというのを民はよく知っているからなあ。担当官の大変なのは讃えるべきだけれども、そうかしこまらずともいいのでないかね」

 カイラル王もそれを聞いて笑い出し、体裁を二の次とする対処を執ることが決められた。のんきといえば確かに、父王にそっくりののんき者であった。

 もちろん、今年十五歳になる少年が、この先どのように変貌していくかはアルダンにもわからない。が、

(妙な御子だが、悪い人間ではない。いずれ民を慈しむいい国王におなりだろう。ただ、しっかりと締めるべきは締めるしゃんとした者がおそばでささえねばならんだろうがな)

 そんな予測なり目算なりは、胸中に蓄えていた。

 その王太子が、国難を協議する重臣会議に列席を求めたのは、行く末を考えれば頼もしいことで、確かに殊勝な態度だった。しかし、

(のんきに微笑んでおられるなあ)

 それが太い神経故なのか、どこまでものんびりできあがっているのか、それとも他人事という無責任さでの結果なのか、アルダンにも見定めがつかないところであった。 

 会議はその後、より具体的な話の報告と対処に話題が向かった。蚕、踏両援軍の来着状況と出迎えの饗応、糧食の供給、しばらく瑛の王都フィルテナ付近にとどまってもらい、瑛の本軍の進発と相前後してトハの地に布陣を依頼する旨の基本的な流れの打ち合わせ、それら散文的な話題のほとんどに、ラルスはほとんど興味を示さない様子だった。

 まあ、子供だから。アルダンは横目でラルスの様子を感じ取りながら、そのように断定してしまっていた。これは甘かった。

 会議が終わり、重臣らは重々しい足取りで次々に散会していった。 ラルス王太子も、列席を認めてくれたアルダンに礼を告げると、 こちらは闊歩といった様子で退席した。

 ラルス太子は枢機の間を抜けると、王宮の廊下を進み、何度か折れ曲がって、中庭に隣接する射場に向かった。

 そこには、この日もまたリーン・アレルナが、長身のしなやかな肢体を引き絞って長弓を射る姿があった。やや細面の美麗な相貌が、鏃の行く手をしっかりと見定める。

 弓弦が撥ねた。矢が猛然と飛び去り、的を貫いた。

「リーン姉、相変わらず見事だなあ」

 射終わるのを待って、ラルスは声をかけた。リーンは振り返りつつ、その声の主がラルスであることに気づいて、緩やかに微笑みを浮かべた。真白のかんばせに薄っすらと美しい汗が宿っている。

「リーン姉は相変わらず美しいなあ」

 屈託のない笑顔で、ラルスはそんな事をごく当たり前に口走った。年頃の青年の口説という気負いなど微塵もない。ただ単にありのままの心を口にしたというだけであったが、リーンはいくらか眉根を寄せる苦笑で、緩やかに従弟をたしなめた。

「殿下、女人に向かってそのような事を気軽に口走るものではありませんよ」

 ラルスには、まるで悪気もいたずら心もなかった。

「見たまま、思ったままだからなあ。実際にリーン姉は美しいのだから」

「また羚羊かもしかですか」

 リーンこそ、姉ぶって従弟をからかった。

 十五歳でも女の視線や思惑を意識して身構えるところの乏しいこの王太子は、十分に素直で裏表がないのだが、この数年前は更に歯止めというものを持ち合わせておらず、リーンの細くしなやかな肢体の見事さに、

「リーン姉は羚羊のように綺麗だよなあ」

 ありのままをそう賛美して、さすがにリーンを呆れさせていた。それはもちろん恋心などでなく、生き物の造形を賛美するも同然で、リーンにすれば不本意もいいところであったし、身分違いながら従姉で、童子の頃から親しくまとわりついてくるラルスに実姉のような気分にさせられていたものだから、ついついそれをたしなめた。

「殿下。女性をそのように、じろじろと眺めてはなりません」

「なぜ?」

「そういう事は、殿下にとって大事な女性にだけ許されるものですよ」

「リーン姉は私にとっては大事な人なんだがなあ」

 六歳年長のリーンは、色気づきもしない少年とはまるで別の世界にいる。しかもリーンは、母親の奔放さ、身勝手さで、殊更に愛や恋といったものに身構えてしまう歳月の直中にあった。他者もまた、そんなリーンをはばかり慮ってしまうし、その障壁を破って言い寄るような男というものは、基本的に無作法で配慮のたりないものばかりであったから、なおのこと別の世界のリーンは幻滅ばかりが連鎖していた。

 彼らが賛美し陶然とする美しさとやらは煩わしい。また、彼らが勝手に、自分の欠点とみなす長身の姿などという基準や論評も煩わしい。リーンが弓を射て騎射をよくするのは、そんなものを振り払うためでもあった。

 そんな世界の向こう側から、思惑も下心もない少年が、くすまぬ瞳で軽やかに扉を叩く。ついついリーンは弟の世話を焼く姉の心地になる。

 そんな心境の延長線上で、

「では私も赴きます。殿下をお護りいたしますよ」

 気軽にそう告げていた。

 ラルス太子もいかにもこの少年らしく、遠乗り程度の気楽さで従姉を射場に迎えに行った。

「リーン姉、では迂を襲撃に参りましょう」

 美しく、従弟のラルスにはどこまでも優しいリーンは、穏やかな笑みを浮かべてその言葉にうなずいた。



 リーンの生家アレルナ家は、瑛の官牧の差配を委ねられている。

 元来、トゥルタミ湖畔の西方高地で牧畜を営む中小勢力であったアルレナ一族は、数代前に瑛王家に従属し、その家臣団に組み込まれていた。

 西方高地は良質の牧草を産し、馬体の大きな名馬を始め、牛羊生産の格好の地であったが、従属当初は貢納をあくまで穀物か銀銭に限るとされ、畜産を無理に換金して商人らに買い叩かれるなど、苦労が絶えなかったようである。だが、列国争覇の中で彼らの戦争の形態に騎兵という概念が入り込み、抜き差しならぬまでの影響を持つようになってから、状況は一変した。王家はアレルナ家や他の牧畜諸侯らへの貢納を一変させ、生馬や皮革での納付を認め、むしろ奨励したし、またその負担も抑えに抑え、更なる生産量の拡大を促した。それでも騎兵の増員は急務であったため、小封家の次男三男などを張り付かせる官牧を開設し、その指導監督を含む差配の権限をアレルナ家に委ねていた。

 ただ、旧弊な序列感覚からすれば、なおその家格は高いとは言えない。リーンの母メルティア内親王の降嫁は、彼女がアレルナ家の惣領息子ヴァンスに熱烈に執心したことによる無理押しで成立した例外的で突飛な事態であった。もっとも、そのメルティア内親王はリーンが幼いうちに別の男に入れあげて出奔したものだから、王家は彼女の不品行に憤って王族待遇を削り落とし、逃げられた夫ヴァンスには平謝りに頭を下げ、その名誉を損なわぬ配慮を重ね厚遇を欠かさなかった。

 それゆえにヴァンスはなお王姻族として一段高い礼遇を受け、位階官爵もそれに似つかわしい。

 ただ、当のヴァンスは見事なる騎士ではあったものの、寡黙で控えめ、王家の姻族となっても一切思いあがるような態度に及ばぬ人物で、王都に詰める間は拝領屋敷で静々と過ごし、領内帰還の時期は馬産に専念してばかりの人であった。

 リーンが育ったのは、そんな家だった。幼いころから当たり前に馬に親しみ、馬に乗り、騎射の術に励むところから長弓の腕前も磨き上げた。

 そんな彼女のところに足しげく通い、姉弟同然にみ育ったのが王太子ラルスであった。王都のアレルナ家邸宅は無論のこと、西方高地に帰参のアレルナ家行列に加わってしまい、牧場で思うまま羽を伸ばしたことも一切ではない。

 こんな調子であったから、アレルナ家の騎兵騎士団の連中とも十分すぎるほどに親しく、官牧にも王太子を個人的にも好み熱っぽい忠誠を捧げる屈強な者らが多々あった。今般の迂の侵攻に際し、そういった面々が領内で盛んに気炎を上げ、迂は大軍と言えど騎兵の精度は甚だ劣り、われらの軽騎の快速には到底追いつけまいと喜んでいたところ、そこに潜り込んでいた王太子ラルスが例によって屈託のない笑みを浮かべつつ、

「それならば、みんなとちょっと迂にいたずらをしかけようか」

 そんな扇動を行ったものだから、たちどころに三百騎の精鋭が集まってしまった。

 リーンもその中に当然のごとく加わり、

「殿下から目を離すことこそ不忠です」

 ぬけぬけとそんなことを言い出して、ラルスを送って共に王都に入府しつつも、余念なく出戦の用意は整え、領地の三百騎との合流の手はずも万全であった。

 先行させた数十には杣人の扮装をさせ、細密な迂軍の偵察を行わせている。いたずらといって、真正面から迂軍総勢四万の直中に突っ込むわけではない。むしろ、

「いたずららしく、ろくに手傷も追わぬように算段しながら、たっぷりと連中に嫌がらせをしてやろうではないか」

 そんな調子であったから、この悪だくみの稚気の一行には悲壮感というものがまるで存在しなかった。

 そのくせ、異様に周到である。

 ラルスの事細かな指示で、三百の騎兵は容易に発見されがたい地点に潜伏し、偵察の報告を日夜受け、じっと機会を待っていた。ラルスもリーンと共にこっそりと戦備に慌ただしい王都を離れ、部隊と合流を果たし、迂の様子をじっくりと検分した。

 やがて、頃やよしと見定め、王太子ラルスは屈託のない笑みのまま、麾下三百騎に出撃を命じた。

 宵闇に、枚を含んでひそやかに接近した王太子ラルス、リーンらの麾下三百は、ラルスの合図で馬上の戦士となるや、久方の酒に陣の外で酔い惑う迂軍に対し、星降るがごとく騎射を行った。

 迂兵の悲鳴が、彼らの酒宴の血みどろを更に彩った。

                                                   

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