第2話 夜明けの抱擁 — Embrace Before Dawn

 付き合ってから、まだ一週間。

 でも、もうずっと前から惹かれ合っていた気がする。

 映画を観終えた帰り道、並んで歩く距離がいつもより近い。

 涼介の肩が、何度も碧の腕に触れるたび、心臓が大きく音を立てた。


 そして自然に、涼介のマンションの前に辿り着いていた。


「……寄ってく?」


 低く落ち着いた声が、夜の空気に溶ける。


「うん」


 拒む理由なんてなかった。碧は唾を飲み込み、小さく頷く。

 その瞬間、涼介が少し安心したように微笑んだのが分かった。

 周囲に誰もいないことを確認してから、碧はそっと涼介の手に触れる。涼介は、迷うことなくその指を絡め、強く握りしめた。



 玄関のドアを閉めると、街のざわめきがすっと遠ざかる。

 静寂が二人を包み、涼介の香りがふわりと碧の鼻をかすめた。

 落ち着いた照明と、整えられたリビング。黒とグレーを基調にしたインテリアは、涼介そのもののようにシンプルで誠実だった。


 ソファに並んで腰を下ろす。何を話せばいいか分からず、ただグラスの水滴がテーブルに落ちる音だけがやけに大きく聞こえた。

 碧の落ち着かない仕草に気づいて、涼介がふっと笑う。


「そんなに緊張しなくていい」

「……だって……男とは、初めてだから…」

「俺もだよ」


 からかうでもなく、優しく告げる声に、碧の肩の力が少し抜ける。

 やがて二人は、好きな映画の結末や、休日の過ごし方を語り合った。笑い合ううちに、強張っていた心がゆっくりと解けていくのを感じる。


 けれど会話の合間に、ふと沈黙が落ちると、胸の奥にしまい込んでいた不安が顔を出す。

 グラスの縁に残った水滴を指先でなぞりながら、碧は口を開いた。


「……俺、恋愛に関してはあんまり上手くいったことがないんだ」


 言いながら、自分でもこんな話をするつもりじゃなかったと後悔する。

 涼介はただ静かに聞いていた。


「学生の頃も、社会人になってからも……気づいたら距離ができて、結局続かなかった。だから、もしまた同じことになったらって思うと……」


 言葉が途切れる。

 けれど涼介は、笑ったり茶化したりせず、まっすぐな目で碧を見ていた。


「俺は違う。碧を手放すつもりはないよ」


 低く落ち着いた声に、胸がじんと熱くなった。


「本当に……俺でいいの?」


 思わず漏らした声に、涼介は驚いたように目を瞬かせた。

 すぐに大きな手が、震える碧の手を包み込む。


「碧だからいいんだ。他の誰でもなく」


 その真っ直ぐな言葉に、胸が熱くなった。見つめ合う視線が絡み、空気が変わる。


 不意に、涼介が碧の頬に触れた。

 指先がかすかに震えているのは、自分か、それとも彼か。

 ゆっくりと顔が近づき、唇がそっと重なった。


 最初は、確かめるような触れるだけのキス。

 けれど、どちらからともなく角度を変え、もう一度深く重ねる。涼介の舌が唇をなぞり、許しを乞うように開かれた隙間から入り込んできた。熱い舌が絡み合うたびに、思考が溶けていく。碧の背中に腕が回され、支えるように強く抱きしめられた。


「……ベッド、行こ」


 掠れた声で囁かれ、碧はこくりと頷いた。

 手を引かれ、寝室へ向かう。白いシーツが、間接照明の柔らかな光を反射していた。


 ベッドの縁に腰掛けた碧の前に、涼介が膝をつく。見上げるような視線に、息が詰まる。


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「嫌なら、本当に止める。ちゃんと言って」

「……嫌じゃない」


 声は震えていたけれど、嘘ではなかった。

 涼介の瞳に映る不安そうな自分を見ていると、不思議と恐怖よりも、この人をもっと知りたいという気持ちが勝った。


 涼介の指が、碧のシャツのボタンに触れる。一つ、また一つと外され、露わになった胸に彼の指先が滑った。びくりと身体が跳ね、熱い疼きが全身を駆け巡る。

 肌に直接触れる涼介の手は、ためらいがちに、そして慈しむように碧の身体をなぞっていく。唇が首筋を辿り、耳元に熱い吐息がかかった。


「碧……」


 名前を呼ばれるだけで、身体の奥が痺れるように甘く疼く。

 なされるがままにシーツへ横たわると、涼介が覆いかぶさってきた。彼の体重を感じながら、碧は恐る恐るその背中に腕を回す。


 初めて触れる、男の硬い筋肉。自分とは違う、骨張った感触。そのすべてが新鮮で、どうしようもなく官能的だった。

 涼介は焦らなかった。碧の身体が完全に力を抜き、彼を受け入れるまで、何度も髪を撫で、額や瞼に優しいキスを落とし続ける。


 やがて、ためらいがちに互いのすべてを晒し、一つに重なった時、碧は息を呑んだ。

 初めての感覚に戸惑い、身体が強張る。


「大丈夫…? 痛い?」

「……っ、大丈夫…」


 涼介は碧の返事を待って、ゆっくりと動き始める。それは想像していたよりもずっと優しく、碧を気遣うものだった。与えられる熱と、身体の奥で増していく痺れるような快感に、碧はシーツを強く握りしめる。

 何度も視線が交差し、互いの名前を呼び合った。愛されているのだと、全身で感じていた。それはこんなにも甘く、切なく、そして幸せなものなのだと初めて知った。


 夜が更け、静寂が戻っても、二人は眠れなかった。

 涼介は碧のために水を用意し、汗で濡れた髪を優しく撫でながら「大丈夫だった?」と何度も尋ねた。そのどこまでも優しい気遣いに、碧は胸がいっぱいになる。


「涼介といると……すごく、安心する」

「俺もだよ。碧となら、どこまでも行ける気がする」


 夜明け前、窓から差し込む淡い光の中で、二人は裸のまま抱き合った。

 窓の外は、群青から橙へとゆっくり色を変えていく。

 碧は涼介の胸に耳を預け、規則正しい鼓動を数えていた。


「……寝ちゃった?」


 小さく囁くと、頭の上から低い声が返ってくる。


「起きてる。碧のこと考えてた」

「なにそれ、ずるい」


 そう言いながらも、頬が熱くなる。

 ただの冗談じゃない。彼の声からは、確かな愛情が滲んでいた。

 胸がいっぱいになり、碧は思わず目を閉じた。


 ──この人となら、大丈夫だ。

 碧は、その温もりの中で強く確信しながら、目を閉じた。


***********


今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「夜明けの抱擁 — Embrace Before Dawn」をベースに作成したものです。良かったら、楽曲のほうも聴いてみてくださいね♫


「夜明けの抱擁 — Embrace Before Dawn」はこちら⇒ https://youtu.be/mBkSRksDHb8

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