第22話

 澪の葬儀が終わってから、俺は初めて澪の家に呼ばれ、澪の両親と話した。

 

 澪の暮らしていた家は、白い外壁に灰色の屋根瓦の、二階建ての家だった。

 応接間に通された俺は、正座して彼らと向き合う。

 病院を連れ出して水族館に行った時も思ったが、今度の今度は本当に殴られるどころか、殺されても仕方がないと思った。

 大切な一人娘を連れて病院から逃亡し、彼らは娘の死に目にも会えなかった。

 きっと許されることじゃない。俺だったら、一生許さない。


 だが、彼らは澪の話を聞きたがった。

 俺はなるべく、実際にあった出来事を簡潔に伝えようと努力した。

 深夜非常階段から病院に忍びこみ、彼女と病院を抜け出したこと。

 コンビニで食料を買い、タクシーで廃校に向かったこと。

 学校の教室で、生活を始めたこと。

 澪と結婚式の真似事をしたこと。

 最後の瞬間翼が広がり、澪は屋上から転落した俺を抱きしめ、命を助けてくれたこと。


 俺に泣く資格はないと思ったが、それでも涙があふれて止まらなかった。

 話を聞いていた澪の両親も、静かに涙を流しながら、俺が話し終えるまで黙って耳を傾けていた。


 ――澪がいない。

 この部屋には澪を愛している人間しかいないのに、澪だけが存在しなかった。

 彼女はもう、俺に明るい笑顔を向けてくれることも、冗談を言って俺をからかうことも、優しい声で俺の名を呼ぶこともない。


 澪の両親は、最後まで俺を責めることはなかった。

「澪が氷槻君に生きていて欲しいと言ったなら、どうか、君はその約束を守ってくれ」

 澪の父は、涙に濡れた顔でそう告げた。

 彼らは最後に家の中を見せてくれた。

 澪は入院してからこの家で暮らすことはほとんどなかったが、それでもこの家には、たしかに澪が過ごしていた痕跡が残っていた。

 部屋の柱につけられた、背丈をはかった傷。

 幼い頃に澪がクレヨンで描いた絵。

 将棋の大会でもらった賞状は額に入れて飾られ、その近くには澪の写真が何枚も飾られていた。

 ここで見た、澪の生きていた証を、ずっと覚えていようと思った。

 俺は最後にもう一度お礼を言い、神波家を後にした。


  ♢


 澪の死から、一ヶ月が過ぎた。

 季節は九月に入り、夏休みが終わり、学校が始まった。

 ずっと家にこもっていたかったが、学校に通えなかった澪のことを思うと、そうするのも許されない気がして、惰性で学校に通った。

 俺は未だに、彼女の死を受け入れられていない。

 何もする気になれなかった。

 いっそ、俺も死んでしまえればいいのに。

 そう考えるが、澪は「蒼真君は生きて、私のことを覚えていてほしい」と言った。

 こうなることを理解した上で、彼女はどうしても、俺を生かしたいと願ったのだ。

澪との約束が、呪いのように俺を縛った。


 きっと、彼女を忘れることはできないだろう。

 すべて受け入れて、生きるのを続けるしかないのだ。 


 ♢


 それから月日が経ち、俺はある目標を見つけた。

 その目標を叶えるため、俺はひたすら勉強に打ち込んだ。

 志望した大学の合格発表を見た俺は、ようやく目標への一歩を踏み出せた気がした。

 

 母との関係は、相変わらず改善することはなかった。


 家を出ることを決めたある日の夜、母に向かって告げた。

「俺は、あんたの思い通りにはならない。俺の将来は、自分の意思で選ぶ」

 母の身体は、以前よりずいぶん小さくなったように見えた。俺の背が伸びたからだろうか。

 相変わらず、陰鬱な表情で、母は諦めたような表情で俺を見ていた。

「……けど、今まで育ててもらったことについてだけは、感謝してる」

 その言葉を聞いた瞬間、ずっと暗かった母の瞳に、ほんの少しだけ光が宿る。


「もう二度と、ここには戻って来ない」


 それは、母への決別の言葉だった。


 その後俺は大学への進学を決め、一人暮らしを始めた。

大学に通う六年間、ずっと成績が優秀なら、奨学金は返済しなくてもいいという条件だった。


 もう二度と、母の住むこの家には帰らない。

 母も、本当はただ寂しいだけだったのだろう。

 俺を縛り、自分の手元に置いておきたかったのだろう。


 澪を――娘を失った両親の気持ちを理解した今、以前ほど母親が憎いという感情ではなくなっていた。

 それでも、彼女を完全に許すこと、ましてや好きになることは、一生できそうにない。


 物理的に距離を置くことが、俺と母親の関係において、最善だと思った。


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