鉅鹿 その2


 劉秀、翌日から柏人を攻めるが、李育は堅く守る。二日三日となっても守りは揺るがぬ。折角せっかく得た突騎、平原での戦いこそ真価を発揮はっきするが、城攻めには反って不利である。それを考えた劉秀、評定ひょうじょうを開いて如何いかにすべきかを問う。ある者、柏人は小城、ここを落とすことに執着しゅうちゃくするよりも鉅鹿を平らげるべしと言う。続けて、邯鄲から助けが無ければ、柏人は兵二千で閉じ込めることができましょうぞと言う。よって劉秀は一偏将軍に囲ませて、真直ぐ南、冀州一の沢・大陸沢を左に見ながら鉅鹿郡の主都鉅鹿県へ向う。

 劉秀の兵、鉅鹿に到れば、王郎の守将王饒おうじょうと争う。銚期、王郎の将倪宏げいこう、劉奉を城外に撃つ。銚期は先に登り陣を陥れ、自ら五十人余りを殺し、矢を額に受け傷を負うも頭巾ずきんを正してまだ戦い、敵を破る。倪宏、劉奉は城に入れず北東に逃げる。

 王饒の居城鉅鹿を囲んだが、幾日経てど落ちず。五日過ぎ、十日過ぎ、十五日が過ぎる。

 一方、王郎は将を遣って信都を攻めさせる。信都の豪族馬寵ばちょうら、城を開いて軍を入れ、信都王を立て、行太守宗広そうこう邳彤ひとうの父・弟・妻子、ちゅうの母・妻を捕える。邳彤には親族に自筆で手紙を書かせて曰く「降れば封爵ほうしゃくされよう。降らざれば一族皆殺しにされよう」。また李忠には親族の名でまねき寄せる。

 邳彤、劉秀に涙を流して報じて曰く「君主に仕える者は家をかえりみることを得ず。我の親族が今に至るまで信都に安んずることを得た所以ゆえんは、劉公の恩なり。公はまさに国事を争う。我はまた私を思うことを得ざるなり」

 また李忠、校尉である馬寵の弟を招き寄せ、責めとがめ、恩に背き城を反すゆえ、これを殴り殺す。諸将みな驚いて曰く「家族は人の掌中しょうちゅうに在るに、その弟を殺すとは、何と勇猛な」

 李忠、応えて曰く「し賊を赦してちゅうせずば、すなわち二心を抱くなり」

 劉秀これを聞いて善しとし、李忠に言いて曰く「今、我が兵、体を成せば、将軍帰って老母と妻子を救うべし。よろしく自ら吏民りみんの良く家族を取り返せる者をつのるべし。銭千万をたまわらん。来りて我から受け取れ」

 李忠曰く「明公の大恩を蒙り、命を捧げられればと思えばこそ。誠に敢えて内に一族を顧みず」

 劉秀、そこで信都郡太守任光じんこうに兵を率いさせて信都を救わせるも、読みをたがえた。信都の兵である、故郷を攻めるをいといて道中に散じて王郎に降れば、任光、功無く帰る。


 膠着こうちゃく状態に陥った劉秀の下に、常山太守鄧晨とうしんが元氏から間道かんどうを使って現れた。鄧晨は劉秀の苦戦を聞きつけ、常山は元氏県令張況ちょうきょうに任せ、自ら従軍したいと申し出る。

 劉秀、ありがたいと思ったものの、信都を失ってまた常山を失ってはと、本音で返して曰く「偉卿いけい、一身を以て我に従おうより、一郡を以て我の北州の案内人と為るに如かず」

 すなわち鄧晨をって郡に帰らせる。鄧晨、劉秀の態度に怒ることなく、反って人物が大きくなったと感心し、これなら大丈夫と笑みを浮かべて帰れば、兵糧や矢を準備させ、鉅鹿に送る。

 時に、皇帝劉玄から遣わされた尚書しょうしょ僕射ぼくや謝躬しゃきゅうの軍、既に邯鄲を攻めたが歯が立たぬとあって、劉秀に連絡を取る。援軍が来れば、劉秀、任光の敗北より信都に遣るには南陽の兵が良かろうと、信都の賊を討ちたまえと言えば、すなわちぼく龐萌ほうぼうが兵を率いて信都に向い、李忠が随行ずいこうする。


 事態を打開したいと思ったのは劉秀だけでなく、鉅鹿を救おうとする王郎の側も同じであった。信都を基点に将倪宏・劉奉に兵を集めさせて、数万の軍は南下する。劉秀は鉅鹿から北へ対抗軍を出せば、空いた信都は龐萌が襲う所となり、太守宗広、邳彤・李忠の宗族は救われ、李忠が太守を兼ねる所と為る。李忠、豪族の邯鄲にく者を捕えて数百人をちゅうした。

 一方の劉秀、王郎の将の倪宏らを南䜌なんれんに撃とうとする。ここで劉秀は突騎の力を試そうと、上谷・漁陽の将に攻める手順を示し、突騎の総大将として景丹に、これを命じる。

 まず歩兵が当るが、王郎の兵勢いあれば劉秀の軍は退く、輺重しちょう鼓車こしゃは奪われる。いや退しりぞいて王郎の戦線を延ばさせ、輺重を奪わせて兵の動きを止める策なり。倪宏・劉奉、これに嵌る。そこで景丹ら幽州の将らは突騎を放つ。

 上谷・漁陽の騎兵、手綱を離し、左手で弓を構え、右手でえびらから矢を引き出して弓につがえ、疾駆しっくしながらこれを射す。熟練を要し、馬に乗れないものが最初からこれを真似れば、体を馬に繋ぐ唯一の手綱を放した以上、落馬するだけである。されど、祖先の東胡とうこ匈奴きょうどに追われてより漢に近い幽州北端に住み、漢とも交流のあった騎馬民族烏桓うがん、その兵は幼き時から馬に馴染なじみ、ものを覚える頃には馬上の射撃も覚えていた。揺らいで踏ん張りも利かぬ馬の背で、ぐいっと馬の腹を両の足で挟んだまま、流れるようなすばやい動きで射れば、それが当る。たいさばきにて馬を進ませ、足が浮かせられれば、瞬時にその足をさばくだけで馬の向きを変え、来る矢を避ける。王郎の兵、ましてや南陽の兵には出来ぬ芸当。その騎兵が突撃すれば、敵に射られることなく、逆にこれを射る。景丹は、その突騎を自在に采配する。

 幽州突騎、王郎の構える兵には側面から攻めてわざと射させ、ひらりとかわし、向き直したる兵のその側面から虚を突いて矢を射る。数騎が一隊の塊となって、数隊がこれを繰り返す。突騎は狙いすませて射り、敵には狙いを定めさせない。堪えてじっと騎馬を狙った王郎の兵、脇から矢が刺さる。かといって刹那に弩弓を合わせて当てることは出来ない。

 王郎の兵、流石にたまらず逃げ出せば、景丹は突騎にその背を撃たせる。よって逃げる敵を数里と追えば、敵の死傷したるものが累々と路上に散乱する。戦が終われば首を斬ること数千級。倪宏・劉奉も討ち取った。景丹が還ると、劉秀は感歎かんたんし、言いて曰く「我、突騎は天下の精鋭なりと聞きしも、今にしてその戦いを見る。楽しきというべきなり」

 劉秀は、飾らず自分の思うことを言う。しかし、しこの突騎が王郎に附いておればどうなったかとは言わぬ。味方にすれば、実に頼もしく、これほどの強兵を敵とすれば、敗北は必至である。そういう思いは一片も顔に出さず、にこやかに笑む。


 平原の戦いは制しても攻城戦はまた違う。完全に包囲し、援軍を潰走かいそうさせたが、いまだに鉅鹿城・守将王饒は落ちない。劉秀、負傷した朱祐しゅゆうらを見舞って帰った営舎えいしゃで、どうすべきかを考えていると、前将軍耿純が到って拝謁はいえつを求めれば、即ちこれを迎え入れる。

 耿純曰く「いつまでも王饒に構っておれば兵は疲弊ひへいします。大兵の精鋭なるに及んでは、進んで邯鄲を攻めるに如かず。若し王郎を誅せれば王饒は戦わずして自ずから服せん」

 劉秀、耿純に返して曰く「良くぞ申した。それ善とする所なり」

 劉秀が攻城の長きと為るを厭うのは当然であった。まだ一年と経たない昆陽こんようの戦いで、囲んだ王邑おうゆうの軍を壊滅かいめつさせたのは劉秀自身。本来、王邑の打つ手は、昆陽を残してえんを攻めることであった。劉秀がそうすべきかどうかを考える所へ、耿純は背を押したのである。劉秀、偏将軍鄧満とうまんに鉅鹿を囲ませ、敵兵が逃がれられるように南の守りのみ緩めよ、また王饒が降ると言えばそれを受け入れるべしと命じ、残り全ての兵力を邯鄲に向ける。

 南䜌の決戦が決定的であった。この戦いで王郎の主力はついえ、その勢力圏は一気にせばまった。王郎が派兵するにしろ援軍を頼むにしろ、平地なら幽州の突騎がこれを潰す。よって邯鄲の王郎に残された手はひたすら城守することのみ。柏人、鉅鹿、そして邯鄲は陸の孤島と化していた。

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