昆陽 その9

 天が黒雲で隠れだした昆陽では、劉秀が決死兵を募っていた。日中の連戦連勝で兵士は意気上がり我も我もと加わろうとする。勝った、大兵であろうと勝てるぞと、兵士が思えばこそ決死兵が集ったのである。劉秀は天が加勢せん、天候が崩れるこの時を逃さず攻めるべしと告げる。そして今度も一点を攻めることを強く言う、狙うは只一つ、新の大司空王邑の首、来る雷を恐れるな、寧ろ死ぬ覚悟で取りに行け、取れば勝ちなり、首を得し者には最高の珍宝を選ばせよう。

 様子見の馬成の帰した斥候は、つまびらかに王邑の位置を知らせていた。昆陽城の西、東から劉秀らに攻められ追われて、城の裏に回った形だが、未だに派手な車で動くのですぐに見出せる。劉秀にとってはこれも幸いに思えた。昆陽城は南北に長い城である。北端は直に滍川ちせんに面している。東の兵は城によってさえぎられた。王邑の援軍は城の南を回り込まねば西へは移れない。また王邑・王尋は城壁を背にすれば北か南に走るしかない。

 そこで劉秀、集まった精鋭三千を率い見つからぬように隠しながら、昆水の南岸から浅瀬を渡って城の西に回り込み、時期を待った。遠雷えんらいが始まり、ぽつりぽつりと雨が降り始め、驟雨しゅううとなる。辺りは薄暗くなり、がらがらと雷鳴らいめいが聞こえ、稲光いなびかりひらめき、強い風が巻き起こる。粒の大きな強い雨が敵味方問わず撃ちつける。

 この時だと雷鳴にひるまず劉秀は立ち上がり、馬に上ると突撃を号する。馬武がまた大音声上げて飛び出し、臧宮・王覇・傅俊も負けじと敵陣に飛び込む。

 営舎の中で宛から兵の対処のため評定を重ねていた王邑・王尋・厳尤・陳茂は響き渡る雷鳴に何事かと飛び出し、雷雨と知る。一瞬敵兵かと思ったが、雷と知り、その中に隠れた漢兵の喚声かんせいを知らず安堵する。王邑、営舎に戻ろうとして、再び大音声に振り向き、怒涛どとうの軍が自らに襲い掛かろうとするを知る。

 豪雨の中、昼というのに辺りは夕暮れのように暗く、ために新軍は敵軍勢の方位人数を把握できず、このための備えがあったわけでなく、諸営は雷鳴に喚声を消され何も知らず、ましてや王邑を守ろうと動くこともできなかった。厳尤が王邑に言って、漸く兵に向い撃たせる。劉秀の軍、意気盛んであれば、多少の弓矢、向い撃つ騎歩兵ものともせず、一気に陣奥まで押し寄せる。恐慌きょうこうおちいったのは王尋であった。馬に飛び乗ると陣を抜け、独り北へ脱出しようとした。しかし、そこはもう既に増水した滍川、しまったと馬を返せば、追いついた漢兵かんぺいがそれを刺し貫く。

 漢軍、敵将討ち取ったりの声に歓声が和し、新軍、大将を失いし報に驚愕きょうがくする。城内からは太鼓の音が響き渡り、王常が兵を率いて打って出る。この戦いに勝てなければ、城の中で朽ち果てるだけ、戦いの中で勇を振るって死すか、城内で押し寄せる敵兵に潰されて死すか、何れかを選ぶ。もし勝てるならこの一戦のみ、もし生き残れるとすれば、この一戦に勝利するのみ。王常の言に奮い立った将兵、ここを死に場所とばかり奮戦する。劉秀らも城の軍勢がくみしたと分かると、更に気勢を上げる。

 他方、新軍、百万の軍と号した、甲冑かっちゅうに身を固めた兵士四十万の軍、雷雨の中、べる大将を知らず、敵の所在を知らず、雷鳴をも敵として聞き、味方すらも敵として見る。そして将が討ち取られたと聞くと只逃げる。王邑は斬られずとも勝敗は帰した。敗兵は逃げるのみ、何処いずこへ、来し方へ、北へ。互いに倒れる者を踏みしだいて、我先に北へ。そこは滍川が妨げとなる。はや上流にて雷雨を集めて、茶黒に染まった濁流となった滍川は、後から後からと押される敗兵を飲み込んでゆく。濁流と雖も人のほうが多かった。溺死できしするもの数万、流木がせきを作るところ、人が堰を成してついには流れを止める。戦いに連れていた虎豹犀象は雷雨におびえ、それ以上に数十万人の成す喚声に怯え、虎豹は僅かな隙間を見出すと逃げ出す。犀象は新軍も漢軍もなく人を踏んでは逃げ去ろうとす。王莽が送り出した巨人・巨無覇も、目立つがゆえ、反って槍や弓の餌食となり雨中に沈む。厳尤・陳茂・王邑、単騎となると、死人でつかえる川の浅瀬を渡って逃れる。厳尤・陳茂は東へ逃げ、王邑は僅か数千の手勢をまとめると洛陽に走る。


 雷雨は止んでも、漢兵の新兵を追う動きは止まらず、漸く漢兵が我に帰ったのは陽が暮れてからであった。そして如何なる敵に打ち勝ったかを知るは、再び陽が昇ってからであった。漢軍はことごとく武器や兵糧の乗った輺重を押える。車甲冑、珍宝は数え上げる気にもならない。宛の皇帝劉玄に戦利品としてみつぐにしても一月二月ではすまない。兵糧も持て余す。四十万の軍勢が一月分の兵糧を持たせるつもりならば百二十万斛はある。兵が一万たらずの昆陽なら四十月以上保つが、三年分の蔵があっても三十六月分、こんな小城にそんな膨大な蔵は元より無い、せいぜい一年分である。よって、使える輺重を使い切り、昆陽の蔵に詰め込んでもなお持て余す。近隣諸県にばら撒いても、それでも余りある。野晒のざらしにして腐らせるわけにもいかず、ついにはこれを焼く。死んだ兵士たちも埋めてやるが、ゆうに十数万の死体となると、一人で十数人分埋める勘定になり、朝から晩まで死体担ぎに精を出さねばならぬ。漢兵、ここに至って、改めてどれほどの敵を破ったのかと気付くことになる。いや新軍は自らを以て自らを殺したのである。味方同士が踏みにじりあった、その結果が亡骸なきがらの山であった。生き残った兵たちは分散し、故郷に帰り着いた者はまだしも、おそらく多くは食い繋ぐために群盗となるしかなくなる。少なくても数万の群盗が生まれたことになる。たとえ郷里に戻れたにしろ、敗兵であれば、百万の軍勢が漢軍によって破れたと喧伝けんでんすることになる。僅かな噂でも尾鰭おひれが付く、ましてや百万の軍勢が破れたとなると、漢軍は一騎当千のやからばかりであるとか、天が新王朝を見放した故と輪を掛けた話になる。王莽の新の大兵は、敗れることにより、王莽を滅ぼすことに加担かたんする。

 劉秀は、将を集めると戦いは続くぞと、再び采配を行う。皇帝劉玄の兵とて無傷ではない。五威偏将軍趙憙を始めとした傷兵はこれを介護させ、動けるものは後方に遣り、動けぬものは城内に留め、また兵を募り、新から漢に鞍替えしようとする者をゆるす。しかし、天下分け目の戦いに勝利したとは、ついぞ思わなかった。


 男は手元の竹簡をぽんぽんとてのひらで叩くと独言して、曰く「普段臆病おくびょうとも揶揄やゆされる慎重な将が勇を振るう、それには訳があろう。一つは、勝つ手が敵の御大将を斬るしかなければ、おびき出さねばなるまい、それが我が身をさらさねば為せないならそうするのみ。二つは、兵の好む武勇に合わせ、兵の敵兵を憎むに合わせれば、兵は躊躇いもなく闘えるものである。三つは、計を立てそれが全て成り、後は戦うしかなければ奮戦するのみ。勝者の勝ちは不思議かも知れぬが、何もしなかったわけではない。敗者の負けは不思議でもない、何より兵を知らないものが、将に制約をつけるがゆえ、勝つための常道を捨て、勝つための算段を捨てさせている。むしろ大兵であったが故に大敗したのである」

 男は、そこで笑いて曰く「それにしても史書の大仰なことよ。最後には星まで落ちてくるとは。雷ならかく、流石にそれは無かろう。されど史家もそうとでも書かなければ、この尋常じんじょうでない勝利を説明できなかったと見える」

 されど男には、史家に見えなかったものが見えた。通常、史家は出来事を記すのみ。しかるに兵法家は戦いが何故勝ち何故負けたかを考える。それは常に兵法家が言う事を行えば勝たねばならぬ、少なくとも負けては為らぬからである。負ける兵法は兵法にあらず。よって戦地、布陣、将兵、知り得る限りを調べ、知り得ない所は戦いの帰結から、もっとも確からしい所を見出す。さすれば史家には一見、未曾有みぞうとしか見えぬ僥倖の勝利も、不思議では無くなる。そして兵家に見えるのは、幸運とはかけ離れた事実、この将軍の兵才である。男にも将としての矜持きょうじがあれば、たぐいまれだとかは言わぬが、史家が目を付けなかった優れた兵略がそこにあるのを見る。何故、史家がそれを書かぬ、それは兵略にうといからである。ふふふと、男は笑いながら、うむと自らにうなずくと、席を立つ。机の上を一回り見回して、人に見られても大事無いと思ったものの、男は必要と思うものは机の上に置き、他は巻いて棚に戻す。再度机上を確かめて部屋を出る。

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