昆陽 その5

 翌日、今度は潁陽から使いが戻る。やはり陽翟の使いとほぼ同じ内容である。王鳳がもう行って良いぞと言いかけると、劉秀は、徴発された糧食の数量のみ使いに尋ねる。その数、およそ四万こく、しかし潁陽の使いの報じた数、十六万斛よりも少ない。

 それがどうしたと首をひねる者もいる中、劉秀のみが納得しているので、鄧晨が尋ねて曰く「劉将軍は何ゆえ、得心顔である」

 劉秀曰く「百万の軍勢が一日に費やす兵糧を計算し故。一兵卒は月におよそ三斛食し、百万の軍なら三百万斛、一日なら三十分の一、十万斛。陽翟から一日置いて潁陽で徴発された糧食はその四割、となれば王邑の軍は百万に非ず、四十万と言うこと。ただそれは、新軍は糧食には困らず、補充するのは行程一日に空いた輺重しちょうを埋めんがため、つまり兵糧は十分持っていると言うことでもあります」

 李軼は顔をしかめて曰く「昆陽にとり四十万も百万も変わらぬ。寧ろ幾ら籠城して飢えに耐えども、新軍は飢えぬと知れば、嬉しからず」

 李軼の言に諸将は恐怖し、妻子を気にしだし、諸城に散じ帰ろうと欲す。

 劉秀は目をすがめて李軼を見るが、向きを変えて諸将に曰く「今、兵糧は既に少なく、外敵は強大なり。力を併せてこれを防ごうとすれば功名こうみょう成ることも有り得るが、もし分散するなら、この集兵の勢いは失われん。且つ、えん城は未だ落ちず、互いに救い合う事も出来ぬ。昆陽もし破れれば、一日のうちに全部隊が壊滅せん。今、心を一つにして共に功名を挙げずして、逆に妻子財物を守ろうとするか」

 諸将怒って曰く「劉将軍、何故そのようなことを為しましょうぞ」

 劉秀笑って立ち上がる。その時、斥候の騎兵が戻り報告せんが為に広間に入った。

 斥候曰く「大兵今まさに城の北に至ろうとし、軍陣は数百里、後続の数えるにあたわず」

 諸将慌てて互いに言い合いて曰く「それではどうすれば良いのか、劉将軍。計略を立てたまえ」

 劉秀そこで勝利の算段を述べる。先ず、王邑・王尋の将としての器量を問い、諸将に突け入ることが可能であると気付かせる。突け入るには四十万の兵をここ昆陽に釘付けにし、その動きを止め、四十万の兵自体が王邑のかせとなるようにすることである。その上で王邑を撃つには、劉秀自身が、昆陽城の外へ抜け出し兵を集めねばならない。なぜなら、王邑が狙うのは劉縯りゅうえん、劉秀はその弟である。王邑は劉秀が差し向かえばこれを狙う筈。そして王邑を撃つ具体的な手立てであるが、敵に漏れてはいけないので言えない、我が胸のうちにあるが、信用して頂けないかと尋ねる。そして主だった将には、昆陽を守り通して貰いたい、と言う。

 王鳳が渋っていると、その横で王常が「だく」と一声いっせいを上げる。他の将軍も切羽詰せっぱつまって「諾」と承諾の意を表す。ではと、劉秀、将兵らを順に呼んで、小声で采配を伝える。

 王鳳と王常に昆陽の守将を頼むと、夜中に劉秀、驃騎ひょうき将軍宗佻そうちょう、李軼、鄧晨ら、総勢十三騎は南門近くのうまやで隠れ待つ。そうすると、及び腰の兵が捕虜を集めてやってきた。厩の騎兵たちには気付かない。更にその長らしい兵がやって来て、監視兵や捕虜には、何かしらの上の評定の結果でと、評定の噂を聞かせ、兵糧が少ないので、朝には捕虜を斬るつもりでここに集めたのではと脅かしを掛けて大笑いする。そばで聞くことになった劉秀は、話が王邑の噂になって、漸くにんまりとした。もとより、逃げ腰の兵を見繕みつくろって、縄をわざと緩ませた捕虜たちを門近くに集めたのである。采配は正確に伝わり、意図的に漏らす情報は確実に漏らされ、隠し通す情報は確実に守られた。劉秀はそれを確認することが出来た。

 劉秀がそれほど待つことも無く、南門が開かれ、「逃げ来らん」「降ろうと欲す」と捕虜に降兵がわっと声を出して城外に出る。矢が城外に向かって放たれる。外からも弓や弩が放たれ、「ぎゃっ」という声も聞かれるが、その悲鳴が消えると、今だと、一行は馬を走らせる。

 城を出る最初の歩兵の幾分かは敵と思われ斬られる、射られる。降兵だと分かって、それが止んだ後に騎兵が出たが、攻めるわけではないのでやはり降兵だと思われる。新兵の躊躇ためらいが疑惑に変わり、騎兵が降兵ではないと確信に変じた時には、もう遅い。追えども夜中であり敵味方の判別がつかない。劉秀らは城の南を流れる昆水こんすいの浅瀬を渡り、もう弓矢も届くまいという距離に至って、馬を並足に変える。数えてみれば十三騎、見事抜け出していた。

 鄧晨曰く「秀、見事脱せりや」

 劉秀曰く「先ず、一手目は成りし」

 李軼曰く「文叔殿が、あの様に新市しんし下江かこうの将を手玉に取るとは思いもよらぬ所なり。しかして何処いずこに向かわれん。宛は西南、しかるに馬は東へとは」

 劉秀答えて曰く「定陵ていりょうえんなり。兵を募らん」

 李軼一瞬あっけにとられるが生唾なまつば呑んで曰く「何を。本気なりしか。胸に秘めた計とあるは、あれは逃げ出すための方便では無かりしか」

 劉秀答えて曰く「逃げ出すための無様な嘘など言わぬ。計はある。いや計の初手は放たれた。只、それを知るのは我のみ」

 李軼曰く「それは如何に」

 劉秀答えて曰く「今は教えられず」

 李軼、眉をひそめて曰く「挙兵以来、常に共に戦いし我を信じられぬと言われるか」

 劉秀曰く「左様にあらず、万全を期すのみ。諸卿しょけいに話す時、聞き耳を立てし間者がおるやも知れぬ」

 憮然とした李軼は返答しかけるが、それを噛み潰して黙り込む。劉秀も何か言うべきかと思うが、ついに黙ってしまった。

 鄧晨が気まずそうに割って入る「秀が考えに考えたことなり。事が成れば分かろう」

 騎兵はまずは定陵へと夜を駆けた。

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