勇者、家政夫になる

@belue

第1話 勇者、捕まる

「勇者も……つかまえた?」


耳に届いたその声に、俺は目を細めた。

……いや、聞き間違いだろう。そんな馬鹿なことがあるはずない。


芳しい香りが漂う小さな部屋。


両腕は太い麻縄でぐるぐる巻きにされている。

だが――締め方は甘い。結びも雑で、力を入れれば関節を外すまでもなく抜けられるだろう。

むしろ、どうしてこの程度の縄に、妙な威圧感を感じる。

その違和感が俺の動きを止めさせていた。


「勇者って、本当にいたんだ」

10代半ばの少女?が、じっと俺を覗き込む。

さらりとした黒髪に涼しげな瞳。

無邪気に見える微笑の奥に、妙な計算高さを感じる。


「凛。勇者、目を覚ましたかの?」

奥から現れたのは、赤髪の女――いや、魔王だ。

両手鍋を抱え、穏やかな笑みを浮かべている。

古風で落ち着いた声色。だがその存在感は、さっき感じた威圧感の正体だった。


「魔王、お腹すいたからごはん食べようよ」

「うむ。では食すとしようかの」

二人は机を囲み、まるで日常のように食事を始めた。


――いや、解けよ!!!


「強いんだから自分で解けるでしょ?」

「勇者よ、か弱いふりをしても無駄じゃよ」

「違うわい。……まあ、この程度の縄」


俺は軽く肩をずらし、縄を抜き取った。

凛の目が輝く。


「ほんとに勇者なんだ……」

魔王は凛の頭を撫でながら薄く笑った。


「ふむ。じゃが、様子がおかしい気もするのう……」

「そりゃそうだろ、魔王に捕まってんだからな」


魔王は「ふふ」と笑い、湯気の立つ鍋を机に置く。

何もかも日常のような空気の中、俺だけが場違いな感覚に取り残されていた。


縄を解いた俺を、――凛は面白そうにじっと見つめている。

魔王はそんな凛の頭を、当たり前のように撫でていた。


「偉いぞ、凛。ちゃんと捕まえてきたじゃな」

「えへへ。勇者ってもっと怖い人かと思ってたけど……案外、普通?」

「普通ってお前な……」

 思わず返すと、少女はくすりと笑う。


その笑顔が無邪気すぎて、余計に得体が知れない。

魔王の側にいるってことは、何か特別な理由があるはずだ。

だが本人はそんな雰囲気を一切出さない。

ただ子供らしく――いや、どこか計算高いようにも見える微笑を浮かべている。


「なああんた……本当に魔王なのか?」

俺は慎重に魔王を見据える。

薄い笑みを浮かべた女は、想像していた“魔王”とはかけ離れていた。――赤髪を除いて

魔物の軍勢を率いて世界を恐怖に陥れている“絶対悪”――そんなものはここにはない。

あるのは、穏やかに少女を見守る女の姿。

ただ、その瞳の奥だけが底知れない闇を湛えていた。


「そうじゃよ。お主ら人間が勝手にそう呼んでおるだけじゃがな」

「……だったら、なぜ俺を殺さない?」

「殺してもつまらんじゃろう?」

魔王は肩をすくめ、まるで茶でも飲むような調子で言った。


そのやり取りの間も、凛は俺をじっと見つめている。

その視線がどこか探るようで落ち着かない。

子供の目をしているはずなのに、やけに鋭い。


「ねえ、勇者さん」

「なんだ」

「寝込みを襲うのって、卑怯だと思う?」

凛は首をかしげて、さらりと放った。

俺は思わず言葉を失う。

「はあ?」

「魔王はね、“勇者ならいつでも襲いに来ればいい”って言ってるんだよ。でもさ、普通にやったら勝てないでしょ? だったら手段を選ばなければいいのに」

「お前なあ……」

とても少女の口から出た言葉とは思えない。

なんだこいつは。


「卑怯者の勇者なんて見たくないのう」

魔王がくすくす笑い、凛の肩を軽く抱いた。

どういう関係なんだ、この二人。


俺は気配を悟られぬよう、意識を集中させる。

魔力の流れを指先に集め、柄の感触を思い浮かべる――

次の瞬間、手の中にいつもの剣が形を成した。

光を帯びた長剣。その存在が、この家の異質さを際立たせる。


しかし魔王はまるで興味なさそうに視線を流しただけだった。

「勇者よ。少しここで過ごしていくがよい」

その一言で、背筋に冷たいものが走る。

この女は、俺が剣を出したことすら計算済みだ。


「ねえ、勇者さん。おじさんって呼んでいい?」

凛が俺の剣を見ても怯む様子もなく、にこりと笑った。

「……好きにしろ」

「ふふっ、やっぱり反応が面白いね」


 少女の笑顔に背筋が冷える。

 縄の痕が残る手首を握りしめながら、俺はどうやってここを出るかを考え始めた――。

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