6話 タワマン

今日は、誠一が大切な話しがあるからって、赤坂見附にある老舗フレンチに来ていた。

シャンパンで乾杯すると、誠一は息を飲み込み、緊張して静かに話し始める。


「これまで、いろいろな女と付き合ってきたけど、詩織って、変わっているというか、とっても魅力的だよな。」

「そうかな。普通だと思うけど。」

「いや、そんなことはない。僕はもう詩織のことだけしか見えないんだ。」

「大げさね。」

「それで、僕と一緒に暮らして欲しいんだ。」

「一緒に? まだ付き合って3カ月じゃない。」

「時間なんて関係ない。僕は、詩織の全てを知りたいんだ。」

「一緒にって、どこに暮らすの?」

「僕が、詩織に、タワマンの最上階の部屋をプレゼントする。そこに僕も住む。詩織は何も失うものがないから、いいだろう。それとも、別の男と暮らしているのか?」

「私には誠一だけよ。じゃあ、その部屋、次の土曜日に一緒に見に行こう。」


土曜日の朝、誠一の運転する車に乗り、そのタワマンに行く。

首都高を降りると白金高輪の街並みが広がっていた。

車を降りると、目の前には27階建てのマンションがそびえ立っている。


エントランスでは上品に水が流れる広い空間が広がる。

中央にはギリシャの彫刻のような石像が見える。

高級ソファーが配置され、時間がゆっくりと流れていく空間を醸し出している。


誠一は暗証番号を入れて27階へのエレベータに乗る。

暗証番号は誠一が私に最初に声をかけた日。誠一らしい。

部屋に入ると、想定以上に広い空間が広がっていた。


いくらでも収納できそうなミラー扉のシューボックス。

廊下の先には20帖もあるダイニング。対面式のキッチンとなっている。

そして、16帖の仕事部屋2つと、20帖のベッドルーム1つ。


お風呂や洗面所は見たことがない広さで、白を基調にし、上品さが溢れている。

窓からは、はるか下に多くのビルが並び、遠くには有栖川宮記念公園も見える。

夜景は綺麗に違いない。


「すてきな所ね。」

「まあ、テーブルに座って。」

「素敵な大理石のテーブルね。あれ、これは何かしら。」

「これは僕からのプレゼント。詩織の名前で作った、この部屋の権利証だ。受け取ってくれ。」

「嬉しい。でも、本当にいいの? 高かったでしょう。」


誠一は、日本でも有数の資産家の御曹司。

だから、こんな部屋なんてはした金なんだと思う。

誠一は、ここまですれば私が自分の物になってくれると自慢げな視線を送っている。


私は、男のトリセツのとおり、おっかなびっくりやってきただけ。

失敗してもいい男だと思って。

それが、こんなに効果があるなんて思わなかった。


これまで、男に捨てられると思ってびくびくし、尽くしてきた自分がバカみたい。

でも、その時には、気付かなかった。

その副作用として、誠一の私への執着心が大きくなりすぎていたことを。


一緒に暮らし始めたときには気付かなかった。

でも、誠一は知らぬ間に、私のスマホに位置情報がわかるアプリを入れている。

どうも、SNSもいつもチェックしているらしい。


私がでかける度に、今日はここに行ったねと疑うような目で見られることが増えた。

そして、私が自分のものだからと縛り付ける。

SNSで男をフォローとかしていると消せと言われる。


スマホの連絡先は全て見せろと言われる。

重い。息苦しい。もう、一緒に暮らすのは無理。

なんか、昔の私を見ているようだった。


そう、私は、こんなに重い女だった。

私を拘束する誠一の顔をみると吐き気がする。

これまで気にならなかったけど、誠一の顔が今まで以上に貧相に見えるようになった。


最近は、自由に空を飛び回っていると思っていたのに。

いつの間にか、羽を折られ、鳥籠に縛り付けられている。

誠一と顔を合わせるのも苦痛になってきた。


誠一は、にやにやし、私が自分のものだと自慢気な顔で私を見下す。

これって、私が闇の中で過ごしてきた日々と何も変わらないじゃない。

正樹に依存し、捨てられると怯えながら過ごしていた暗黒の日々と同じ。


しかも、誠一は、心から素敵と思える男じゃない。

ただ、お金があることだけが取り柄の男で、体もお金の対価として差し出していただけ。

そう思うと、本当に品格のない下品な男にしか見えなくなっていた。


まるで私の頬を札束で叩いているみたい。

そんなもので私は誠一の物になんかならない。

もう男を虜にする実験も終わったし、そろそろ潮時。


今日は、誠一がお父様と会食する日。

私はまだお父様と会う自信がないと伝えてある。

いずれは会って欲しいと一言いい、誠一はスポーツカーで出発した。

私は、早く帰ってきてねと言って、とびっきりの笑顔で手をふる。


私が勤めていたキャバクラには裏社会の人もいる。

そんな人に誠一の車のブレーキを壊してとお願いしていた。

すぐにではなく、時速120Kmを超えた時にブレーキは効かなくなる。


誠一はスピード狂だから、いつも高速では、そのぐらいのスピードは出す。

そして、案の定、誠一は事故を起こし、帰らぬ人となった。

カーブを曲がりきれずに壁に激突し、車は炎上して黒い炭となっていたと聞いた。


誠一は、小さくまるまり、貧相な姿だったという。

黒い灰になった誠一なんて想像もしたくないけど、お似合い。

私を押さえつけた罪で、当然の結果なのだと思う。


いえ、最後まで好きなスポーツカーと一緒で良かったじゃない。

私と結婚できる夢を見れたことだし。

誠一のレベルにしては幸せな人生だったと思う。


これまで払ってくれたお金も、このマンションも、私に相応しい当然の対価。

誠一も、親のお金かもしれないけど、それで私を買って、楽しんだでしょう。

私も、十分な接待をしたのだからチャラね。


誠一のお葬式で、お父様とは初めて会った。

誠一とは違い、厳格で品格のあるおじさまという感じ。

そんなお父様でも、息子を亡くし、立っているのも辛そう。


「はじめまして。誠一からあなたのことは聞いています。一緒に暮らしているとか。今回は、本当に残念です。誠一にスポーツカーを買い与えなければ良かったと悔やまれて。」

「こちらこそ、ご挨拶をしておらず、失礼しました。今回の件は、お父様のせいじゃありません。誠一が運転をミスしただけです。」

「あなたは、気丈な方なのですね。よければ、誠一と一緒に暮らす部屋を見せてもらえないでしょうか。」

「あの部屋は、売り払うことにしました。あそこにいると、誠一との日々が思い出されて辛いものですから。」

「そうなんですか。あなたも、辛いのですね。」


お父様の目の奥は空虚で、息子を失ってもう何も残っていないという気持ちが伝わる。

その目には、私は映っていないようにも思えた。


「どうですか? 親御さんはもういないと聞いていますが、我が家の養女になりませんか。私の遺産をあなたに渡せる関係を作っておけば、誠一も喜ぶと思うんです。誠一は一人っ子でしたし、妻はすでに他界していますから、私の遺産は、今のままだと国に接収されてしまうだけです。誠一が愛したあなたを、自由気ままな生活を送れるようにしたいと。」

「申し訳ありません。しばらく、1人で過ごし、悲しみを癒そうと思っているんです。何かあれば、ご連絡します。」

「そうですか。あなたはお金に執着はないのですね。素晴らしい人だ。誠一の人生は本当に幸せだったと思う。養女になりたくなったら、いつでも連絡ください。では、体にお気をつけて。」


あんな低俗な誠一のために、荘厳な空気の中、大勢の人たちが葬儀に訪れる。

誠一に信望があったとは思えないから、このお父様の影響力は本当にすごいのだと思う。

降りしきる雨は誠一への涙だと挨拶があったけど、私には誠一への涙は一滴もない。

お金を通じたドライな関係だったから。


私は、労わる眼差しでお父様を見て、お辞儀し、雨が降る中、葬儀場を去った。

お寺の前に停めたタクシーに乗り込み、ドアが閉まる。

誠一を天国に送り出す読経の調べが、強い雨音に消され、次第に聞こえなくなっていった。


誠一と暮らした部屋に戻ると、喪服を脱ぎ、白いドレスに着替える。

あんな拘束から解放されて楽になったと思いながら。

窓から夜景を見下ろし、シャンパンで夜空に向けて乾杯をする。


あんな政財界のトップも、女のことなんて何も知らないのね。

あなたの息子は私の虜だったことにも気付かないなんて。

男なんて簡単に騙される。


いずれ、騙されて一文無しになったと言ってお父様に泣きつこうかしら。

そうすれば、すぐに養女にして、財産を相続してくれるはず。

そして、お父様は時間をかけて病気にすればいい。


今でも、そんなに健康そうには見えなかったし。

そうすれば、何百億も手に入るのだと思う。

男って、本当にバカな生き物。


ところで、このマンションから見える夜景は素晴らしい。

どの一流レストランから見える夜景にも負けない。

このまま住み続けることを考えたこともある。


でも、誠一が用意したこの夜景はすぐに飽きてしまうと思う。

それよりは現金に変えて、その時の気分で自由に使った方がいい。

そもそも、ここでは低俗の誠一のことを思い出してしまい、気分が悪い。


翌朝、マンションの売買契約に押印する。

中古とは言え、2億5,000万円のお金が私の口座に振り込まれた。

あのマニュアル本を買ったお金には釣り合わない金額。


そこから、2,000万円をブレーキを壊した暴力団に送金する。

キャバクラで信用できるボーイ経由だから、これをネタにゆすられるリスクはないはず。

でも、男なんてこんなに簡単に操れる生き物だったことに初めて気づく。


男に依存していた頃の私はバカみたい。

これからは、私が男を支配する。

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