第11話
「人ではありません、竜です。ここから遥か遠い竜の国に魂が抜けた竜の卵が一つあります。卵のまま十年以上体は成長を続けていますが、魂が無いから殻から外に出られないのです」
竜というのは今では伝説の、はるか昔に生きていたと言われている生き物だ。
竜擬きと言われているワイバーンという魔物はいるが、あれは竜とは違う。それは知識の乏しいアンカーでも知ることだった。
『竜になりたいのか、なぜ』
「アンカーは、人であればきっと誰であろうと信用出来ないと思います。でも竜は表裏の無い生き物です、はかりごとを巡らすことをしません。生き物として長寿で力があるから、そんなものを必要としないのです。そして番を生涯守り愛し決して裏切らない」
竜とはそんな存在なのか、夢物語の様だとアンカーはこっそりと思う。
力があるから誰かを騙したりしない、それだけでなく番を裏切らない者がこの世に存在するとは思わなかったとアンカーは驚く。
「つまり、竜に生まれ変わりたいの? でもどうして」
「一人で、味方は誰も無く生き続け自分の死を待つなんて、虚しく悲しい事です」
「だから何なの?」
「人に生まれたらその瞬間から、私はまたあなたの敵に戻ってしまう。それなら敵にはなりえないものになります。私はアンカー、あなたの番の竜に生まれ変わり、あなたと再会したらそこからあなたの命が尽きるまであなたを守り生きる」
なぜ急にそんなことを考え始めたのか、アンカーには理解出来ない。
アンカーの気持ちを考えず『今罪を犯していないのだから、許せ』と言った事を悔いているのはアンカーにも分かるが、それだけで神の使いの立場を捨て竜に生まれ変わりアンカーの番として生涯生きるなんて、そんなのは自分に呪いをかける様なものだ、そんなの能無しどころかただの馬鹿だとアンカーはまた呆れる。
「竜の国って、ここからどの位離れてるの」
「魔法大国と言われている、アンカーの母上の母国よりさらに二つの国をまたいだ先にある山脈の中です。そこはずっと凍える様に寒く人の身では決して辿り着けない場所です」
『もし卵におまえの魂を移しても、すべての記憶は残っていないかもしれない。卵の殻は結界の様なもの、本来生まれる予定のない者を生かす為に結界を超え魂を移すには、何かを対価にしなければならない。お前の記憶はその対価に使われてしまうだろう』
「アンカーを守る、そのために生まれるのだとさえ覚えていられたら十分です」
「ま、まって、そんなことしてくれなくていい。そんなの無駄でしょう? 私にそこまでの価値はないわ」
何かを吹っ切れたかの様に言う神の使いを、アンカーは慌てて止める。
「価値がある無いの問題ではありませんよ、アンカー。あなたは私を敵ではないと言ってくれた、主はアンカーの願いを叶えたからその理由はありますが私には何もない。むしろ私は無神経な言葉であなたを傷つけた。それなのに敵ではないと言うあなたに、あなたが私に向けてくれた信用に、私は返さなければならない」
「そんなことしなくていい、そんなことしなくていいから。私は一人で平気、敵しかいない場所でだって生きていけたんだから、敵にしか思えない人しかいない場所でだって生きていけるわ」
アンカーはこの先生きていくのは、ただ自死しないと誓ったからだけだ。
幸せになる必要はないし、そうなれるとも思わない。だから大丈夫だとアンカーは虚勢ではなく思う。
「あなたは全て諦めているからそう言うのかもしれません。でもね、人は幸せになる為に生まれ生きるのです。それをあなたはずっと蔑ろにされていたのです」
人は幸せになる為に生まれ、生きる。
神の使いの言葉を呟き、アンカーは自分が幸せだと感じたことはあったのだろうかと考える、母が生きていたころは幸せだったのかもしれない。そうとは知らず幼いアンカーは生きていた。
辛い、苦しい、悲しい。そういう感情に苦しむことは数えきれないほどあった、母が亡くなった後そういう感情しかアンカーは持てなかった。
「私はあなたの命が尽きる時にほんの少しでも幸せだったと思って欲しいのです。何度も何度もあなたが命を落とす瞬間を見て来ました、私は何も出来ずただ見ていた。あなたがこの世と神を恨みながら命を落とす瞬間を」
「だから? 憐れに思ってる?」
「憐れに思っている? そうではありません、ただ幸せだったと、そう思って欲しいと思っただけです。今あなたに誰も危害を与えていないのだから許せなんて馬鹿なことはもう言いません。ただ」
「ただ」
「誰もあなたを幸せに出来ないのなら、私があなたを幸せにしたいと思ったのです」
そんなことしてくれなくていい、そう言うのは簡単なのにアンカーは言えなかった。
何度も何度も生まれ変わっても、アンカーを幸せにしたいなんていう人は誰もいなかったからだ。
奴隷の腕輪の力で、抵抗することも、抵抗しようと考えることも何かに縋ることも出来ない様にされて、アンカーはただ虐げられ搾取され続けるしかなかった。誰かと親しくなる機会はただの一度もなく、そう思うことすらアンカーは奪われていた。
だから、神の使いの言葉にアンカーはどう反応していいのか分からなかった。
胸の奥がむずむずとして、どうしていいか分からなくなってアンカーは両手で顔を覆ってしまう。
期待させないで欲しい、安易に期待して裏切られてしまえばもう立ち上がれない、神と自死はしないと誓ってもそれを守れなくなってしまうと、アンカーは体を震わせる。
「だからって無茶苦茶だわ。そんなことしても遥か遠い国からここまで私を探しに何て来られないでしょう? 記憶が殆ど無くなるのならどうやって私を探すのよ。私は竜なんて見たことないし、そもそも竜が王都に現れたら大騒ぎになるわ」
この感情がなんなのか、アンカーは答えを知らない。
今まで経験したことのない感情の中に、不安があると分かった。不安以上の何かが心の中に芽生えていて、でもそれが何なのかアンカーには分からなかった。
『それは問題ない。竜は人の姿になれる、記憶が無くてもアンカーに辿り着ける様にする方法は……』
神は少しの間考えた後、ふいにアンカーが自分を傷つける時に使った水差しの破片を宙に浮かべた。
「何をするの」
『これにはアンカーの血がついている。この血に宿るアンカーの魔力を辿ればアンカーのもとに来られるだろう』
宙に浮かんだ破片は、神の力に包まれながら神の使いが伸ばした手にぽとりと落ちる。
「辿るってでも、今それを持っていても」
しかたない、そう言おうとしたアンカーの目の前で、神の力に包まれた破片は神の使いの首の付け根に吸い込まれた。
『破片にアンカーを守る者になりたいというお前の願いを封印した。封印は竜が生まれた時にとける。破片は竜に生まれた時竜のうろこの一枚になる。アンカーは生まれ変わった竜の番になる。おまえはうろこになった破片についた血の持ち主であるアンカーの居場所を本能で理解し、探し始めるだろう』
「ありがとうございます。主、私の我儘を許してくれたこと感謝いたします」
『もう行きなさい。無事に生まれるだろうが、その先は私は関与出来ない。竜の神は私ではないからな』
「ま、待って、本当に? 本当に竜になるつもり?」
本気だと気が付きながら、それに気が付き期待しそうになる気持ちを無理に抑えながらアンカーは神の使いを止める。
「竜になります、アンカー私を待っていてくれますか。あなたに会うために竜になる私を」
駄目だと言わなくてはいけないのに、神の使いが地に降りてしまうなんて駄目だと言わなくては、そう思うのにアンカーは頷いてしまった。
「待つ、待つわ。空」
「空?」
「私が死ぬ時、いつも空を見上げたの、生まれて初めて私は空を見上げて、その広さに驚いたの。いつも、俯いてばかりいたから知らなかったのよ」
何を言っているのか、急に自分は何を言い出したのかとアンカーは内心焦りを感じながら、でも一度出た言葉は止まらない。
「竜は空を飛べるのよね、本に書かれている伝説の竜はそうだったわ」
「はい、飛べます。アンカー、竜になった私があなたを空に連れて行ってもいいですか? 空の広さをあなたに教えるのは竜になった私でいいですか。どこまでも広い空をあなたと飛びたいのです」
「ええ、教えて。ずっと待っている。竜になり本当に私のところまで来たら、私を連れて空を飛んでくれる?」
アンカーが応えると「その約束が二人の絆を強くするだろう」神がそう言うと、神の使いは深々と神に向かい頭を下げた後「アンカーまた会える日を楽しみにしていて下さい」と言い残し光になって消えた。
「良かったの? あの人の望みとはいえ竜になんて」
『いい。アンカーが、私の愛し子がそれで幸せになれるのなら、あれもきっと幸せだ』
「わけが分からない。でも神託だけお願いするわ『愛し子はアンカーだと』ね」
アンカーがそう言うと、神は苦笑した様な声で『分かったすぐに出そう、愛し子よ誓いは守れ。もう自ら死を望むことはしないで欲しい』と言い残し去った。
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