第9話

「記憶のない相手を罵ったり恨みを告げたりはしないわ。そんなことは無意味だもの、でも相手が何をしたか覚えているの。一度も話したどころか挨拶すらしたことのない人ですら私の敵だったわ。だって私が処刑される時、王都中の人が私の処刑を喜び石を投げたのよ。私に何の関係もない人がそれをしたのよ。義妹達の側にいた人たちなんて、もっともっと酷い事をしたし言って来た。それを忘れることなんて出来ないの、彼らが何も覚えていなくても、今の彼らが何も私にしていなかったとしても、私は彼らを許せない永遠に憎むし恨むわ。優しくなんて出来ないし笑顔で話をするのも無理よ」


 自死をせずに、ただ生きる事はするから、それだけで許して欲しいとアンカーは声に出さずに願う。

 アンカーにとって、この世のすべて、母以外はすべて敵だけれど、それでも生きるから許して欲しい。

 父と義母と義妹には奴隷の腕輪をつけさせ、母に魔力を譲渡させることで溜飲を下げるとアンカーは決めた。

 常に魔力譲渡を強制される生活は辛いから、何も出来なくなるくらいに辛いから、それでいいとアンカーは妥協したのだ。


「兄はどうでもいい、本音を言えば顔も見たくないけれど、血が繋がっているだけの他人と思えばいいわ。貴族の兄妹なんてそんなものだもの」

『それでいいのか』

「心穏やかに暮らせることは無いでしょうね。私から見たらお母様以外は敵しかいないのだから、そうねあなたが神託を出すのはどう? 『愛し子は大神殿の最奥で祈りの日々を送る』とか、そして私は神殿で生涯暮らすの」

「神殿で祈り暮らすのですか? それであなたは心穏やかに暮らせるとは思えないのですか? 神を敬わない不敬な態度を取るあなたが神に祈りを捧げられるのでしょうか。祈りというものは人にとって希望であり救いです。でもあなたはそうではないでしょう。あなたには苦痛なのではありませんか」


 祈りの日々を送るという神託、それが出てしまえば神殿は愛し子のアンカーにそれを強要することは、今迄の人生でアンカー自身も良く分かっている。

 神官達は自分を神かなにかと勘違いしているところがある、義妹の姿をしたアンカーに「愛し子様を不快にさせる不義の子の存在は、神殿を穢す」と言い、神殿に入ることすら神官達は許さなかった。

 愛し子の神託を受けたアンカーが、祈ることすらせずに神殿に暮らしたら神官達はうるさく騒ぐだろうことは、アンカーにも予想が付いた。


「貴族の令嬢が婚約者を持たずに生きるのは難しいでしょう、でもそれを回避するため神殿に暮らすのも苦痛ではありませんか。形だけ祈るのも苦痛でしょう、それに神を敬おうと思わないのは口に出さずとも周囲に伝わるでしょうし」


 神の使いは、神に不敬な態度を取るアンカーが不快で、でも心配なのだろうとアンカーは気が付いた。

 不快そうにしながらも心配そうにも見える神の使いの反応に、アンカーはつい笑ってしまう。


「何がおかしいのですか」

「その通りだなって思ったのよ、だって敬う気持ちなんてないもの。何度も人生をやり直しさせた上、義妹の成りすましに気がつかなかった事はまだ少し怒っているわ。正直無能だなともまだ思っている、でもお母様を救ってくれたから許してあげてもいいわ。祈ってあげてもいい。でもそれだけ、敬う気持ちは無い」

「許してあげてもいい? 祈ってあげてもいい? なんて不遜な」


 わなわなと怒りに震える神の使いを、アンカーはふふっと笑う。


「いいじゃない、長い付き合いになるんだし」

「長い付き合い?」

「お母様以外のこの世のすべてを恨むし嫌うけれど、あなた達だけは除外するって言ってるのよ」

『除外してくれるのか、アンカー。私の愛し子よ』


 少し嬉しそうに聞こえる声で、神はアンカーを愛し子と呼んだ。

 そう呼ばれるのはまだ少し不快だけど、でも許してやってもいいと、譲歩する道をアンカーは選んだ。

 母の命を救った瞬間から、神はアンカーの本当の意味の敵では無くなったからだ。母以外のすべての人を憎んでいるし、生涯恨みも憎しみも消えないだろうけれど、それでも神はもうアンカーの敵ではない。


「成人までは屋敷から神殿に通うわ、学校にも通わない。毎日神殿に通って祈りの間で過ごすの。成人後は結婚せずに神子として神殿に住む。結婚は絶対にしない、夫の寝首をかく自信しかないもの。そんなことしたら今度は冤罪じゃなく、本当の私の罪で処刑されちゃうわ」


 明るく言うけれど、夫を殺すなんて決して笑顔で言って良い話ではない。

 それなのに、これからのことを話すアンカーは笑顔で、アンカーの話を聞いている神の機嫌も良さそうで、神の使いは一人頭を抱え始めるしかない。


「それでいいのですか」

「自死させてくれないし、お母様を救ってくれたのだから、約束は守らないと」

「生きていれば夫にしたいと思う人も出て来るかもしれませんよ。それに一緒に暮らしていたら兄のことも許せる日が来るかも……ひっ」


 神の使いの話の途中で、アンカーは水差しの破片を掴み神の使いに投げつける。


「何をするのですか」

「許せる日が来るかもしれないとか、何も覚えていないのだから許すべきだとか、そんなフザケタことを言うなら、お前が許せと言った相手を私が殺すわ。そうして潔く笑顔で処刑されるわ。自死じゃないのだからそれで私が死んでも仕方ないわよね。お前が私を怒らせたのだもの」

「だって、今の世界ではあなたは誰にも虐げられていない……やめて下さい!」


 破片を次々と投げ続け、神の使いは悲鳴をあげて後退る。


「今虐げられていないから、許せと言うの? 私の心にどれだけの傷があるか、分かりもしないくせに。記憶の無い相手なのに許せない私が悪いとでも思っているの」

「そこまでは……あなたと関りが無かった人だって大勢いるでしょう」

「そうね、そうかもしれない。でも……ね。私はね、もう人が信じられないの、本当はお母様に会うのも怖いわ。今までの生で、お母様は亡くなっていたけれど、もしお母様が生きていても私と義妹の入れ替わりに気が付いただろうか、もしかしたらお母様も兄の様に私が義妹だと思い込んで私を甚振ったかもしれない。そうしなかったなんて保証はないわ。人は自分が見たいようにしか見ないもの。義妹はまだ生きている、神が奴隷の腕輪をあの子にはめてもそれは絶対の安全じゃない」


 アンカーの手首を斧で切り落とし、牢番がアンカーの腕輪を外した様に、誰かが義妹の手首を切り落としたら? そんなありもしない未来がアンカーを苦しめる。 

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