第3話
「っ!!」
痛みに耐え、そのまま床に蹲る。
部屋を移されてからアンカーは自分専用の使用人も奪われたが、今だってそれは同じ様なものだと蹲りながら考える。
熱が出ている間、使用人達は朝と晩の食事の時間に様子を見るのがせいぜいだった筈、だから早々にアンカーを見つけることはない。
「誰も気付かないわ、気づいた頃にはもう私は死んでいる」
子供の力だからなのか切りつけた傷は浅い様で、アンカーはすぐには死ねそうにない。
痛みがあってもこれは誰かに無理矢理つけられたものではなく、自分自身が逃げるためにつけた痛みだとアンカーは内心笑いながら、そういえば以前の記憶をなぜ今のアンカーが持っているのかと疑問を覚える。
今までの生でもアンカーは以前の記憶を思い出したことはあった。でもそれはアンカーが冤罪で捕らえられ牢に入れられてからだったと、たった今思い出したのだ。
アンカーは何度も生まれ変わったけれど、以前の記憶は全く無いから同じ人生を生きるだけだった。同じ様に惨めに生きて、無実の罪を着せられて処刑される。
捕らえられてから以前の記憶を思い出しても何も出来ることはない。
ただすべての人を呪い、世界と神を呪いながら死んでいく、それだけだった。
けれど今回だけ、こんな幼い頃から以前の人生の記憶がある。
その理由は分からなかったが、理由なんて今のアンカーにはどうでも良かった。
「今度は自分で命を終わらせてやるわ」
もっと深く傷つけなければと、ノロノロと手を動かして血に染まった破片をダメ押しとばかりにグリグリと首筋の傷にこすりつける。
少しでも多く血が流れて、万が一発見されても助からない様に。
アンカーには、破片をこすりつけて感じる痛みすら嬉しくて、ドクドクと血が流れる感覚に微笑んだ。
他人にすべて奪われてしまうくらいなら、今ここで自分で命を終わらせる。
何も出来なかった今までと違い、自身で選び死ねるなら本望だと、アンカーは考えたのだ。
『死ぬな、アンカー』
破片を持つ手に力が入らなくなって、もうすぐ死ねる。微笑むアンカーの頭の中に突然誰かの声が響いた。
「誰なの、死ぬななんて言われても私は死ぬわ」
声に出したつもりは無いのに、アンカーの声は部屋の中でやけに響いた。
『アンカー』
「誰だか知らないけれど、私がこの先生きる意味なんてないのよ。虐げられて疎まれて搾取される。その挙げ句冤罪で処刑される。そんな人生、何度繰り返したって辛いだけよ」
『アンカー、君は神の愛し子なのに?』
悲しそうな声に、アンカーは僅かに残った力で体を起こし、叫んだ。
こんな力が、怒りが残っているとはアンカー自身驚いたが、今自分を動かしているのはこの声に対する怒りだと分かっていた。
「愛し子、愛し子ってなに? 私は神なんて信じない」
『何を言う、お前を何度も生まれ変わらせた、それこそが神の奇跡だというのに』
「誰からも愛されず、辛い記憶しかない人生を生きることが、そんな苦行を何度も何度も繰り返すことが奇跡? 笑わせるんじゃないわよ。そんなの奇跡じゃなくて呪いじゃないの。ああ、神とは言っても悪神の方? それなら納得だわ。神の愛し子を苦しめるために私を何度も生き返らせる悪神なのね」
フンと鼻で笑いながら、アンカーは破片を自分の片目に躊躇いなく突き刺す。
かなりの血を流して破片を持つ手に力が入らなくなっていたのに、今のアンカーはなぜか思い通りに動けたし、話せる様になっている。
興奮のせいなのか痛みすら感じなくなっていて、アンカーは怒りに任せもう片方の目にも破片を突き刺した。
『アンカー、何を』
「愛し子を何度も生まれ変わらせる、不幸になると分かっていてそれをする。それなら私も協力するわ、不幸にしたいのよね? その姿が見たいのよね、だから傷つけるのよ。私が傷つけばあなたは嬉しいんでしょう? ほら、愛し子が自分自身を傷付けるのはどう? 楽しい?」
目だけでは足り無いとばかりに、今度は頬に破片を当てる。
こんなに破片の切れ味が良いのも、自分自身を傷付ける力があるのもおかしいと感じながら、アンカーの手は止まらない。
『アンカー、やめなさい。アンカー、神が悲しんでいるのが分からないのか』
「神が悲しむ? それじゃあなたは神じゃないのね。でもそんなのどっちでもいいわ。私が辛く苦しむ様子を見るのが嬉しいんでしょ。なら良いじゃない、今まで私は十分苦しんだ、それをまた繰り返すってことは、私の心がこんな風に傷付いて血を流すってことよ」
心の傷は見えないから、誰もそれに気が付かないけれど。
アンカーはそう呟いて、今度は両手で破片を握り喉元に突き刺そうとして何かに止められた。今なら死ねると、なぜか確信を得て躊躇いなんてものは無かったのに、なぜ止めるのだと見えなくなった目で声の主を睨みつける。
「なに」
『それ以上は止めてくれ、本当に死んでしまう。自死は生まれ変わらせることは出来ないんだよ。命の環から外れてしまうから』
「それならば尚の事今すぐ死ななくちゃいけないわね。自分で死ねばこの苦しみから解放されるのなら、今すぐに死んでやるわ!!」
破片をわざと落とすと遮る何かの力が緩んだから、アンカーはふっと笑って舌を噛む。
「んんっ! んんんっ!!!!」
予想外の行いに、さすがに止めることが出来なかったのか、声は『アンカー!』と叫ぶだけで邪魔されることなく、アンカーは自分の舌を噛み切り倒れた。
『アンカー! なんてことだ、君にそんな選択をさせるために記憶付きで生まれ変わらせたわけではなかったのに』
今まで聞こえてきた声とは違う声が、アンカーの頭の中に響いて、それと同時に体から痛みが消え去った。
「……」
口の中に大量の血がたまり、息苦しさにそれを吐き出すと血や唾液と共に赤い塊が床に落ちたのが見えた。
「え……」
赤い塊は丸でも四角でもなく、先端が細くなった葉っぱを途中で切断した様な形にアンカーの目には見えた。
「目を潰した筈、舌を噛み切って、首だって」
目が見えた、舌に血がまとわりついて気持ち悪いし噛み切った物は床に落ちているのに、アンカーの口の中に舌が完全な形で存在しているのが分かった。
まさかと思い首元に手をやると、何度も切りつけた筈の首元にも傷が無くなっている。
ぬるりとした血は手についても、首に傷があった形跡が無い。それがアンカーには不快で不快で堪らなかった。
「馬鹿にしないで!」
咄嗟に床に転がっていたアンカーの一部だったものを拾い上げ空に向かって投げつけてから、破片を拾い自身の腕を切りつける。
そこで感じる痛みと、吹き出した赤い血に安堵の息を吐きながらアンカーはにやりと笑う。
『アンカー、何を、何故治したばかりの体を傷付ける。私の愛し子は正気を失ったのか』
「治してなんて頼んでないわ! 生き返りたいなんて私は一度も頼んでないっ!」
『愛し子、君には幸せな人生を歩んで欲しくて、だからやり直しをさせてあげたくて』
怒り以外の感情を失ったアンカーは、オロオロとした様子の声に更に怒りを覚える。
「幸せな人生を歩んで欲しい? そのために生き返らせたというのなら、何度も首を落とされるしかなかった私の人生はなんだったのよ」
はっと息を吐き、また勢いに任せて腕を切りつける。
斬りつける度に吹き出す血、それは断頭台で首を落とされた時最後に見た色だと、アンカーは唐突に思い出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。