第4話 国境へ
話は現在にもどる。
ノルトラント女子大留学中の私に父から帰国の指示が出た翌朝、学生課で欠席の届け出をしていると聖女様がステファン殿下といっしょにやってきた。偶然通りかかったはずはない。ゲルリンデさんの報告をもとにわざわざやってきてくれたと考えるべきだ。
「おはようございます、オクタヴィア姫殿下」
「おはようございます、大聖女様」
「その大聖女様というの、ホントやめてもらえないでしょうか」
聖女様は自分から私のことを「殿下」と言ってきたのに自分への敬称には文句を言う。面白い人である。
「いえ、いずれ我がヴァルトラントの聖女職も兼任して頂く予定ですので」
私は帝国からの留学生エルフリーデさんが「大聖女様」と呼んでいるのを知っていたのでちょっとふざけたのである。エルフリーデさんは帝国の聖女見習い筆頭であるが、聖女様の信奉者であり、暗殺未遂事件には憤慨していた。憤慨どころか最近はかなり過激な言動をしているのも聞いていた。ノルトラントに帰化するとまで言い出しているらしい。
私としては「大聖女様」と軽い気持ちで言ったのだが、聖女様の表情は真剣だった。
「その話、ヴァルトラントとしては本気なのですね」
つぶやくような聖女様の言葉で、こないだのヴァルトラント行きでお二人は、私の父ヴァルトラント国王と接触していたことがわかってしまった。そういえば父の手紙にも「大聖女」との記載はあった。あのような手紙で冗談を書くような父ではない。
私としてはここでなにか言質をとられるわけにはいかないので、
「このたびは我が家族のこととはいえ、学業に穴をあけることになり、申し訳ありません」
と繕っておいた。
「うん、ちゃんと話してきてほしいと思っています。ノルトラントにとっても大事な話だと思いますから」
聖女様のお言葉に、ステファン殿下はしょうがないな、という顔をしている。親衛隊のレギーナさんも苦り切った顔をしている。
確かに私は王族だから「家族の問題」とは内政上の問題であることは言うまでもないが、それが「ノルトラントにとって大事」というのは外交的には限りなくダメに近い。これが普通の政治家とか外交官の発言ならなんらかの意図でそういう表現をしているのだとわかるのだが、聖女様は本音しか言わない。「大聖女様」への反応と合わせて、父は聖女様にヴァルトラント聖女の兼任を打診したことは間違いなかろう。聖女は政治的にも宗教的にも影響力が強い存在だから、このことはヴァルトラントの統治にノルトラントが影響力を持つことを意味する。しかも聖女様は民衆を大事にされるから、結局のところヴァルトラントにとって悪影響はおきないはずだ。
ただ私は楽観していた。アン聖女様は絶対にステファン殿下と離れたがらない。だから兼任といっても名ばかりで、実質的に現状維持になるだろう。
私はかろうじてここで、父からの指示を思い出した。
「大聖女様、父はお二人に、春夏秋冬それぞれのヴァルトラントの食べ物をぜひ、お味わいいただきたいと申しておりました」
「ええ、そうですね、冬はなにが美味しいのでしょうか」
「そうですね、ノルトラントほどでなくてもヴァルトラントもそれなりに寒いのですが、地域によっては冬野菜の栽培が可能です」
「それはいいですね、冬場こちらでは新鮮な野菜が不足しますから」
「保存食ばかりになりがちですよね」
「ええ、私達はまだ恵まれていますが、民衆は単調な食事になってしまいますから。栄養のバランスが心配です」
甘かった。私は今、外交的なことしか考えていなかったが聖女様は国民のことをお考えだった。
「将来的にはヴァルトラントもその解決にお手伝いさせていただきたいものです」
なんとか言い繕って、その場をはなれることができた。
帰国には馬車でなく、騎乗で行くことにした。時間を稼ぐためである。表向き授業の穴を最小限とするためだが本当は一刻も早く本当の情報を得るためである。私は一国の姫だから単独行動はゆるされず、聖騎士団から護衛が4人もついてきてくれることになった。これなら馬を乗り継げば国境まで1日、国境から首都まで1日合計2日で到着できるはずだ。
故郷へと急ぐ馬上で私は考えた。
私がノルトラントへ留学するにあたり、父から申し付けられたことは2つあった。
ひとつは学問である。現在ノルトラントを象徴する存在はアン聖女様である。聖女様は自然の理の学問にたいへん力を注いでいるらしい。だからアン聖女様の学問に一番近い理学部に入学した。私の身分のこともあってか、聖女様はなにかにつけ親身になってくれている。
もうひとつ、これは全くうまく行っていなかった。私の婿探しである。
敗戦国であるヴァルトラントの国王である父は、戦勝国であるノルトラントの王族との結婚がもっとも望ましいと考えていた。その事自体私も賛成である。王族でわたしとつりあいそうな年齢の方というと、ミハエル第一王子とステファン第二王子である。どちらもご結婚されているから側室になるしか手はない。ただお二人共奥様をこころの底から愛していらして、私のつけこむ隙などまったくなかった。無理をすればヴェローニカ様に手打ちにされ、聖女様に魂ごと消し去られそうな気がした。
だめなら多少薄くても王室の血が入っている方なら誰でもいいと父は言っていた。要は人質である。
私はヴァルトラントの王女である。物心ついたときにはもう、自分の人生はヴァルトラントに捧げると思っていたし、自身の結婚が政治の道具でしかないということも理解していた。だから恋愛などしたことはなかった。女子大に入学したとき、私はこの任務にも励む気でいた。しかし勉学が忙しく、まったくもってそれどころではなかったのである。そもそも女子大だから、男性との接触自体がとても少ない。これについては父上に説教されるだろうが、しかたがない。
国境手前の街で一泊したが、その晩のうちに父からの叱責に対する覚悟はできた。
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