第26話 消えたお酒と楽しい宴の記憶

 一日の作業を終え、自室の椅子に深く腰掛ける。

 仲間たちと建てたこの新しい家も、すっかり俺たちの生活に馴染んできた。木の匂いが心地よくて、窓から入る夜風が頬を撫でる。


 リビングからは、仲間たちの穏やかな気配。スズカが毛づくろいをする音、キリハが静かに寝息を立てている気配、シズクがシュロスの足元で丸まっている様子が目に浮かぶようだ。


 ああ、なんて平和なんだろう。こういう時間のために、俺は毎日頑張っているのかもしれない。


「さてと……今日の晩酌にしますか」


 俺は一人ごちて、ささやかな楽しみがしまってある棚へと向かった。

 以前プルソの街で買った果実酒だ。毎晩、ほんの少しだけ飲むのが日課になっている。

 棚の扉を開けていつもの瓶を手に取る。


 ――俺はわずかな違和感を覚えた。


「ん……?」


 手に取った瓶が昨日よりも心なしか軽い気がする。

 まさかな。俺は瓶を光にかざして中身をまじまじと見つめた。昨日寝る前に飲んだ時の残量は、確かラベルのこの辺りだったはず。

 それがどうだろう。明らかに指一本分くらい減っているように見えるじゃないか。


 いや、俺の記憶違いか……? 昨夜は疲れていたし思ったより多く飲んでしまっただけかもしれない。

 しかしどうにも拭えないこの小さな疑念。今日だけではなく、最近はなんか飲んだ量よりも減っている気がしていたのだ。


 これはもしかして、誰かがこっそり飲んだ……とか?


 この家にはネズミ一匹いやしない。スズカたちの結界は完璧だし、そもそも彼女たちの嗅覚をごまかせるはずがないからだ。となると犯人はこの家にいる誰か、ということになる。

 疑いたくはないが、はっきりさせないと奥歯に物が挟まっているような気持ち悪さがある。


「なあみんな。ちょっといいか?」


 俺の神妙な声に仲間たちが一斉にこちらを向く。

 俺はくだんの瓶をテーブルの中心に置き、全員の顔をじっと見渡した。


「正直に答えてほしいんだけど……このお酒、知らないか?」


 俺の言葉に仲間たちはそれぞれの反応を見せる。完全に俺の主観だが、反応は次の通りだ。


「こん?」

 スズカが優雅に首をかしげた。わたくしがそのようなはしたないこと、するはずがありませんわ。そんな声が聞こえてきそうな、完璧なポーカーフェイス。


「キュア」

 キリハはフイッと顔をそむけて前足の毛づくろいを再開した。我関せずといったクールな態度だ。興味すらないとでも言いたいのだろうか。


「きゅぅん?」

 シズクはきょとんとした顔で、瓶と俺の顔を交互に見上げている。純真無垢な瞳。……シズクは絶対にないな。


「キュイッ!」

 カナメがビシッと胸を張り俺を真っ直ぐに見つめてきた。主、この私を疑うのですか! その忠誠心に一点の曇りもございません! そんな毅然とした態度。


「リィン!」

 テンコウは前足をドンと一度、床に打ち鳴らした。我は神聖なる麒麟きりんぞ! とでも言うような威厳たっぷりのアピールだ。


 ……ダメだ。全員、見事に反応が悪い。本当に気のせいなのか?

 でもなあ。みんなあの時、あんなに美味しそうに飲んでたじゃないか。

 そう、全ての始まりはあの夜だったんだ――。








 あれは数日前のこと。この家がほぼ完成したことを祝って、集落の皆を招いてささやかなお披露目会を開いた夜のことだった。


「いやー、うめえ! リオ君の料理は最高だな! それにしても、この家を本当に自分たちで建てちまうんだから大したもんだぜ!」


 カスパルさんが豪快に笑いながら、俺が作ったハンバーグを頬張る。ハンバーグはやはり大好評だ。そのうちハンバーガーでも作ってみようか。それとコーラとポテト。


「うむ。この柱の組み方、素人とは思えん。お主の仲間たちも大した腕じゃ」


 ウルリクさんも感心したように家の造りを見回していた。


「リオさんのハンバーグ、おいしい! また作ってね!」

「このスープも……野菜の味がすごく濃くて、体が温まります」


 ミアちゃんとリータちゃんも嬉しそうだ。


「ふふ、リオさんの力が野菜の甘みを引き出してくれたのかもしれませんね」


 ダリアさんの優しい言葉に、俺は少し照れてしまう。


「皆さんに手伝ってもらったおかげですよ。さあ、遠慮しないでどんどん食べてください!」


 食卓には俺が腕を振るった料理が並び、皆の楽しそうな笑い声が響いていた。仲間たちも集落の皆にすっかり懐いていて、とても和やかで温かい時間だった。


 宴もたけなわという頃。俺は自分用に買っておいたお酒を少しだけ開けた。

 その芳醇な香りに、テーブルの下で丸まっていたカナメが鼻をひくつかせ、じーっと俺の手元を見つめていることに気が付いた。


「ん? カナメ、興味あるのか?」

「キュイ!」


 まるで待ってましたとばかりに、カナメがコクコクと力強く頷く。


「ははっ、しょうがないなあ。みんなも飲んでみるか? ほんのちょっとだけだぞ。大人の味だからな」


 俺は小さな皿に数滴ずつお酒を注いで、仲間たちの前に置いてやった。


「こん……」

 スズカはまず匂いを確かめてから、ペロリと上品に舐めた。悪くないですわ、とでも言うように静かに佇む。


「……キュア」

 キリハは少し警戒しつつもおずおずと舐めてみる。顔はクールを装っているが尻尾をぱたぱたと振っていた。……おいクールなキリハさんよ、気に入ったのがバレバレだぞ。


「きゅるん!」

 シズクは一口舐めて嬉しそうな声を上げた。甘い香りが気に入ったのかもしれない。


「キュイ!」

 カナメは皿をあっという間に空にして俺を見上げてきた。これはうまい! と全身で語っている。


「ブルルッ!」

 テンコウもすぐに飲み干して満足げに鼻を鳴らした。テンコウには体の大きさに対して少し少なかったかもしれない。それでも気に入った、と言わんばかりの堂々たる態度だ。


「みんな結構いける口なんだな。気に入ったみたいで何よりだ。でも今日はもうおしまい。また今度、何かのお祝いの時にな」


 俺がそう言うと皆どこか名残惜しそうな顔をしていたけど、素直に引き下がってくれた。








 ――ということがあったのだ。

 みんな美味しそうにしてたからなあ。誰が飲んでてもおかしくないんだよな。

 俺は仲間たちをもう一度見渡すが、全員が「なんのこと?」と澄ました顔をしている。


「うーん、悩んでも仕方ないか……」


 結局犯人を特定することはできなかった。

 俺は疑惑を抱えつつも、その日は「気のせいだった」ということにして眠りにつくことにしたのだ。

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