乙女昔噺【桃太郎編】

深海の竹林

第1話  桃太郎(プロローグ)

眼前には園児たち、その期待を込めた純真な視線に、俺は天を仰いでいた。


俺は向風浅葱むかいかぜあさぎ、平々凡々な読書好きの高校生男子である。本好きで万年金欠気味な学徒としては、姉からの紹介に願ったりと勇んで飛び込んだ市民図書館のアルバイト。人と話をするより、本の活字と戯れ会話する方が得意な人間にとって、力仕事ではあるものの、本に囲まれた聖域を保つ配架・書架整理は何ら苦行とはなり得なかった。


しかし、俺には大きな誤算があった。当然だが、市営の図書館では子どもの相手をする仕事も回ってきてしまうのであった。


園児たちの自身の半分もない矮躯は、子どもと高校生は完全に異なる生物だと錯覚させ、大きく好奇心に揺れる瞳は、無言の圧力を以て俺に何かを一方的に促しているのである。


「それじゃあ、向風君。お願いね」

振り返った先には、俺の上司、図書館の司書を務める亀山さんの姿。彼女に頷いて応じ、受け取った読み聞かせ用の絵本の表紙を見やる。


(桃太郎か——)


何が始まるんだろう、と期待に満ちた園児たちの視線に促され、口から零れそうになる溜息を飲んで俺は彼らを見据える。

「——じゃあ、みんな。今日は桃太郎を読むぞ」

「はぁい」

 開口一番からあまりやる気の感じられない俺の声にも、ちびっ子達は元気に反応する。


子ども好きならば、微笑ましいと光景と映るに違いない。しかし、子どもが苦手な俺にとっては、元々乏しい資源である活力が彼らに吸い取られているような感覚に既にげんなりしていた。

「えぇ、昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんが暮らしていました。おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。おばあさんが川で洗濯をしていると、大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきました」

「ねぇ、どんぶらこってなぁに?」

一部の児童から野次ともつかない質問が飛ぶ。


(残念なことに俺も分からん。何をどうしたら、どんぶらこという擬音になるんだ)


改めて考えると何とも首を捻ってしまうのであった。

「きっとそういう音がしたのかも知れないな」

 苦し紛れの愛想笑いを俺は子ども達に向ける。

「おばあさんは喜んで、大きな桃を拾い上げて、家に持ち帰りました。そして、おじいさんとおばあさんが桃を食べようと、切ってみるとなんと中から元気の良い男の子の赤ちゃんが飛び出してきました。子どもがいなかった二人は、これはきっと神様が子どもを授けてくれたに違いないと大喜びしました」

「なんで桃から生まれるの?」


(分からん、俺が教えて欲しいくらいだ)


俺は内心毒づきながら、答えに窮しその場の勢いで適当な返事をする。

「だってみんなが嫌いな、苦い苦いピーマンから生まれたと考えてみよう。それって嫌じゃないか?」

「そっかー」


これで納得してくれる単純さに助けられ、俺は気を取り直して朗読を続けるのであった。

「桃から生まれた男の子を、おじいさんとおばあさんは桃太郎と名付けました。桃太郎はすくすくと育って、とても強い男の子になりました。ある日、桃太郎が言いました。

『鬼ヶ島へ行って、わるい鬼を退治してきます』

桃太郎はおばあさんからきび団子をもらうと、鬼退治に出かけました。旅の途中で犬に出会い、桃太郎は鬼退治に行くことを言いました。

『桃太郎さん、お腰に付けた黍団子を一つ下さい。そしたら一緒についていきます』

犬は桃太郎から黍団子をもらうと、お共になりました」

「何で黍団子でお供になるの? 黍団子って高いの?」


(高いわけがない。黍団子なんて、お土産で売られているものでもせいぜい数百円程度だ。何故黍団子程度で鬼退治という命がけの契約を結んでしまったのか、俺には到底理解できない)


幼少の溢れんばかりの好奇心は無遠慮な問という刃で、絵本を開いているだけ俺に向かうのである。俺自身はその切っ先を受ける備えも無ければ覚悟も無い、ただただどうか訊ねること無かれと内心で祈らざるを得ないのであった。。


「黍団子が高いかどうかは分からないが、きっとすごく美味しそうだったんじゃないか。みんなも美味しそうなおケーキがあったら食べたいって思うだろ?」

「うん」

「そういうことだ、じゃあ続けるぞ。今度は猿と出会いました。桃太郎は鬼退治に行くことを言いました。

『桃太郎さん、お腰に付けた黍団子を一つ下さい。そしたら一緒についていきます』

猿は桃太郎から黍団子をもらうと、お供になりました。そして、桃太郎はさらに雉と出会いました。桃太郎は鬼退治に行くことを言いました。

『桃太郎さん、お腰に付けた黍団子を一つ下さい。そしたら一緒についていきます』

雉は桃太郎から黍団子をもらうと、お供になりました。こうして、犬、猿、雉の仲間にした桃太郎は、遂に鬼ヶ島へやってきました。鬼ヶ島では、鬼たちが盗んだ宝物やご馳走を並べて、酒盛りの真っ最中です。 

『それ、かかれ!』

桃太郎はお供に言いました。犬は鬼にかみつき、猿は鬼をひっかき、雉は嘴で鬼をつつきます。そして、桃太郎は刀を振り回しました。強い鬼たちも、流石にこれにはたまりません。

『まいった、まいった。降参だ、助けてくれ』

とうとう鬼たちは降参しました。桃太郎とお供の犬・猿・雉は鬼から宝ものを取り上げて、家に帰りました。おじいさんとおばあさんは桃太郎が無事に帰ってきてくれて、大喜びです。そして、三人は幸せにくらしましたとさ。お終い」


俺は最後のページを捲りながら、やっと終わったと嘆息したのであった。





なぜほとんどの読者諸賢が知っている童話をくどくどと書き記したかと言うと、即ち童話桃太郎を巡る物語こそが我が麗しの乙女が挑戦した謎だからである。勘違いしないで欲しいのは、そう評し讃えているのは俺ではない。これはあくまで本人の供述である。


——本人曰く、花も恥じらう麗しの乙女。


麗しの乙女が言うには、物語には謎がつきものであり、謎は解かれるものである。そして、その謎を解くのは昔から名探偵と相場が決まっているそうだ。


本作の名探偵、霧の都のホームズ役、麗しの乙女の名を南風原群青はえはらぐんじょうという。〝謎は謎めいているからこそ良いのよ〟、と彼女は愉快そうに謎を追う。 麗しの乙女が追いかけているのは謎であり、浪漫でもあるのだ。


南風原群青はえはらぐんじょうは俺、向風浅葱むかいかぜあさぎの級友である。だが、普通の学生かと問われると答えは否だ。入学早々興味の持てる僅かな授業以外は顔を出さず、そもそも学校にはいない生徒が普通であるはずがない。出席システムが緩い我が校だからできる技であろう。その反面、進級のために教師から課せられる課題はなかなかのものだ。授業自体に現れないため、様々な教科からのレポートに彼女はさぞ頭を痛めていることだろう、と俺も麗しの乙女を案じた時期もあった。しかし、彼女はそんな外野の懸念などどこ吹く風で教員が唸る出来の成果物を提出する、という離れ業をやってのける天才である。


その天才が言うには、ホームズにはワトソンがいるように、名探偵にはその謎を共に追いかける存在が必要なこともまた道理であるらしい。そう、名探偵の相棒役を仰せつかっているのが、筆者こと俺というわけである、どうぞよろしく。


では、気を取り直して本書で登場する大きな謎をまず紹介しよう。童話桃太郎の謎は、極論を言うと次の一言に集約される。


退


勿論、先の読み聞かせで、人に仇なす鬼を成敗するためとなっていたのは皆様のご承知のことだろう。しかし、答えがこのままでは到底謎にはなり得ない。では、麗しの乙女はそこに他の何を見出したのであろうか。


それを読者の皆様が知った時、きっと未だ明かされたことのない童話桃太郎が立ち現れてくるかも知れない。

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