第1章 1-6 階段前の遭遇戦

三階層を抜け、ようやく二階層へ上がる階段の前にたどり着いた。


湿った石壁に囲まれた踊り場は、普段なら安堵を覚えるはずの場所だ。

ここまで来れば、一度態勢を整え、息をつける。

それが迷宮における暗黙の了解だった。


だが、《神の義眼》が告げていた。


――罠のような静寂。


空気が、張りつめている。

音がないのではない。

音が、潜んでいる。


低い唸り声が重なり、闇の奥から六つの影が浮かび上がった。


二体の前衛。

後方に弓を持つ者、杖を掲げる者。

中央には双剣を振るうリーダー格。

さらに、その周囲を素早く回り込む斥候役。


――人間の冒険者パーティを模したかのような陣形。


嫌な汗が背を伝う。


「ギャッ、グルゥ! ガラッ、ギジッ!」


奇声とともに、二体の前衛が突撃してきた。


「高坂! 踏ん張れ!」


俺の叫びに、高坂は即座に反応する。

剣を構え、正面から衝突を受け止めた。


金属がぶつかり合い、火花が散る。

押し込まれた体勢のまま、歯を食いしばり、必死に踏みとどまる。


後方――杖を持つゴブリンが動いた。


《神の義眼》が幾何学模様を描き、魔力の流れを可視化する。

火球の形が、組み上がっていく。


――詠唱だ。

対象を視認すれば、即座に放たれる。


「橘! 援護!」


弓弦が鳴り、矢が闇を切り裂いた。

肩を射抜かれ、詠唱が乱れる。


その一瞬の隙を、俺は逃さない。


踏み込み、小剣で杖を弾き飛ばす。

魔力が霧散し、焦げた匂いが鼻を刺した。


「佐伯さん、後ろ!」


藤堂の叫び。

振り返るより早く、影が迫る。


藤堂が祈りを捧げ、光盾が展開する。

刃が弾かれ、高坂の背が守られた。


その瞬間、三浦の詠唱が完成する。


「――〈マナ・ボルト〉!」


光の矢が放たれ、双剣の片方を弾き飛ばした。

リーダー格の体勢が、わずかに崩れる。


――今だ。


《神の義眼》が、未来を線で描く。

踏み込み角度、体重移動、刃の軌道。


俺は小剣を突き出した。


線に導かれ、刃が喉を正確に貫く。


リーダーが崩れ落ちる。


連携を失った残りのゴブリンたちは、もはや脅威ではなかった。

橘の矢、高坂の剣によって、次々に倒れていく。


やがて――階段前に、静寂が戻った。


全員が肩で息をし、互いの顔を見合わせる。


――全員、生き延びた。


その安堵のまま帰ろうとした俺を、藤堂が呼び止めた。


「佐伯さん……緊急連絡、しなくていいんですか?」


「あっ……」


踊り場には、緊急連絡用の魔道具が設置されている。

異常があれば、報告するのは義務だ。


本来、ここはセーフティゾーン。

安全が保証されるはずの領域。


――だが、モンスターが侵入してきた。


ならば、報告しないわけにはいかない。


カードを翳し、魔力を流す。

魔道具が光を帯び、ギルドの声が響いた。


『こちら東船橋ギルド。緊急回線、内容をどうぞ』


「三階層で二度の交戦がありました。


一度目は、上級冒険者用の武具を持つゴブリンを確認。討伐済みです。


二度目は二階層へ上がる階段前で、ゴブリン六体と交戦しました。


前に二体、後方には弓と杖を持つ者、中央に双剣を構えたリーダー格、さらに素早い動きで翻弄してくる者。……まるで冒険者パーティのような編成でした。


そして……セーフティゾーンに侵入してきました」


――切られる。


そう思った瞬間、別の声が割り込んだ。


『代わります』


朝、俺に声をかけてくれた受付嬢の声。

だが、窓口での柔らかさはない。


『……特異個体が出現した可能性があります』


「どうしてそう言えるのですか?」


『低級モンスターが上級冒険者の武具を所持していたこと。


群れの編成、そしてセーフティゾーンへの侵入。


この二つが揃うのは、背後に異常な存在がいる証拠です』


彼女は、即座に結論を下した。


『……スタンピードの前兆かもしれません。全冒険者に退避命令を出します』


その瞬間、肩に浮かぶ浮遊ボールが真紅の光を放つ。


血のような赤が脈打ち、命令が耳元に直接響いた。


『――緊急退避命令。直ちに活動を中止し、ダンジョン内から退避してください』


さらに続けて、凛とした声が全冒険者へ告げる。


『繰り返します。全冒険者は至急ダンジョン内から退避してください。


……東船橋ダンジョン副支部長、桐生の命令です』


一拍の沈黙。


そして――


『――スタンピード発生を宣言します。


全冒険者はすみやかに支部の指揮下に入り、最終防衛線へ集合してください!』


踊り場には、俺たちしかいない。


だが、赤い光と命令の声に、全員の表情が強張る。


――これは偶然じゃない。


東船橋ダンジョンで、確かに異常が始まっている。


高坂は悔しさを噛み殺すように拳を握った。

俺はただ、手にした小剣の重みを感じていた。


――戦利品じゃない。

俺と同じ役割を担った斥候の“遺品”だ。


赤く脈打つ魔道具の光が、沈痛な沈黙を際立たせる。


その沈黙に耐えきれず、俺は問いを投げた。


「……確認したい。三階層に、俺たち以外のパーティは?」


『三階層には、間引き任務で入っていた上級冒険者パーティがいました。しかし……現在、連絡は完全に途絶えています』


胸が冷たくなる。

嫌な予感が、確信に変わった。


「……赤い小剣と軽鎧。あれを使っていたのは誰だ?」


『――それは、そのパーティの斥候役が使用していた装備です』


仲間たちの表情が凍りつく。


祈る者、矢を数える者、唇を噛む者。

そして、前に立つ覚悟を固める者。


俺は小剣を見下ろす。


――同じ“シーフ”が、仲間を導こうとして握っていた剣。


「……残された時間は、どのくらいだ?」


『門が完全に閉じるまで、残り二時間。


閉じれば入り口は迎撃要塞と化し、内部からの突破は不可能になります』


二時間。


決して余裕のある数字じゃない。


俺は深く息を吐き、仲間たちを見渡した。


「――階段を抜けるぞ。振り返るな。一人も欠けるな!」


誰も言葉を返さない。

だが、全員の目に覚悟が宿っていた。


そして俺は殿に立ち、赤い小剣を構える。


石段を踏み鳴らす音だけが響き、

沈黙の誓いが、階段を満たした。

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