鶺鴒鳴(せきれいなく)

三日目。

如月稲荷のホームから聞こえてくるセキレイの鳴き声で目が覚める。

カナにも強く言われたのだが、この場は私の深層心理に影響される空間(阿頼耶識と言うそうだ)だから、絶えず如月稲荷と言う認識を持たなければならないのだそうだ。

そして、セキレイが住む事は瑞穂國の概念では浄化された空間である証拠になるそうで、如月稲荷にセキレイが住んでいる限り、ここは稲荷信仰の概念内にあると教えてくれた。

そして当のカナだが、既に社近くに居たりする。

朝早いのは流石に狐と言うべきか。

私は朝食を見繕い、そのまま社に向かう。そして参拝を済ませてから食事だが、無論カナとセキレイの分もある。


今朝のカナの話はセキレイになる。

セキレイは元来水辺に住まう鳥であり、社から向かって左側に路地を挟んで流れる小川が影響している感じらしい。

「セキレイは縄張り意識が強いでな。四反(約4000平方メートル)ほどの範囲にはツガイしか存在せね。」

カナが言うには、その約4000平米が私の概念の範囲になるようだ。意外と広い。

更にカナはセキレイが古事記に記される鳥である事を話し始める。

「イザナギとイザナミが国づくりをする時に、どうしても国の産み方が分からぬでな。そこに現れたセキレイの尾の振り方を見て、やり方を閃いたのだな。」

セキレイを観察すると尾を上下に小刻みに振っており、私は内心「そういう事ね」と呟く。

「つまりそういう事じゃ。」

とカナも悪戯っぽく言葉を出して私の目を覗き込んだ。

「こういう話の時にそういう仕草されるとなあ。」と私は内心思いながら目をそらす。

そういえば、本来の神道はこういう事にはおおらかだったな。

カナもニヤつきながら、何時でも良いだぞと付け加えた。


満月が小川の水面に映え、河原からカラコロとコオロギの奏でる音色が聞こえる。

三日目にして改めて此処の夜空を見たことに気づいた時、心地良い夜風が頬を撫でる。

「鶺鴒鳴(せきれいなく)じゃのう。」

カナが隣で呟く。鶺鴒鳴は暦の七十二候の内、中秋にかかる時期の事を指す。

時期的に中秋名月となり、満月やコウロギ等の虫たちの奏でる音色が象徴的な時期である。

セキレイ自体は留鳥だが、水田にて動き回るのが目立つ時期からなのか、鶺鴒鳴と言われる侯になるとカナは密着しながら説明する。

しかし、日中の師匠面してる時とはまるで印象が違う。流石は女狐(褒め言葉である)。

カナはおそらくは地元にある民話に出てくる「お紺狐」なのだろう。

紺絣を着た妙齢の娘に化ける狐の民話は、地元だけでも四カ所有るのだが、宿場町や門前市の様な賑やかな所が舞台となり当時の稲荷の流行り方が分かる、そして古今東西の男はつくづくこの手の娘を作り出すのが好きだというのも理解可能だ。

「お主、余程この時期が好きなのだな。」

とカナは不意に呟く。

いくら きさらぎ駅というネットミームの概念を稲荷信仰の概念が取り込んだとはいえ、この空間を作り出しているのは私の阿頼耶識(無意識下にある世界観)だとカナはクドいほど言う。

「鶺鴒(セキレイ)が舞い、名月が水面に映え、蟋蟀(コオロギ)が奏でる。良い趣味じゃ。そこに私も居るのを忘れなければ、お主が現世(うつしよ)に戻ったとしても、何時でも此処に来れるでな。」

とやや意味深な事を話しつつ、私とカナは微睡みの中に落ちた。


四日目の朝は深い霧が立ち込めていた。

しかし、何故か如月稲荷の敷地には霧がかからない。この霧がかからない場所が朱印四石の土地と言うことか。

そして今朝になり、セキレイが一羽増え、短い鳴き声を上げながら寄り添っていた。

「番いになった様じゃな。」

カナが呟き朝の参拝の支度を始めた。私はカナに霧に関して話しかける。

「何も起きてない内から慌てても仕方あるまい?起きる前から慌てておっても疲れるだけじゃ。」

と言いつつ、そもそも瑞穂國の概念では里の霧は国之狭霧(くにのさぎり)、山の霧を天之狭霧(あまのさぎり)と言い、それぞれ神格を持つ存在だと話してくれた。

春の朝霞(あさかすみ)と秋の朝霧(あさぎり)と言うが、秋の霧はどちらかと言えば立秋(8月上旬)直後が多く、立秋直後には蒙霧升降(ふかきりまとう)と言う侯もある。

つまり、如月稲荷だけが鶺鴒鳴(せきれいなく)で周り(特に川向こう)が蒙霧升降(ふかきりまとう)の世界になっている。

「川は境目だからな。不思議な事ではない。」

とカナは言う。そして狭霧と言うのも境目の意味合いを持つと言う。

つまり狭霧は何らかの争いが起きるのをあらかじめ防いでいるのだろう。


そして四日目は瑞穂國の暦、四季と二十四節気と七十二候に関して教わる。

暦は日が最も短い冬至を起点とし、冬至より四十五日目の立春より歳が始まるので、立春前日の節分に厄払いの追儺式があり、立春直後の午の日を初午として稲荷神を迎える大祭を行う。

二十四節気で重要なのは春分、夏至、秋分、冬至であり、これは九十日周期で訪れる。

二十四節気は十五日周期となり、各節気を三分割した七十二候があり、如月稲荷の概念は二十四節気の白露節の次候である鶺鴒鳴の五日間となる。

「元々は中華の概念だが、それを貞享暦として瑞穂國に合わた後に幾度か改められ、天保十五年より今の天保暦となったのだな。」

私もこの辺はサッパリ分からんのだが、とにかく瑞穂國が現代日本と根本的に違うのと、価値観的には江戸時代が近いのは理解できた。


そりゃネットミームの概念と合わない訳だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る