非常事態という名の常態
20xa年、憲法に非常事態対応条項が追加された。これも必要なことだった。
少なくとも、その時はそう思えた。
「災害時の迅速な対応を可能にしよう」「国家の危機管理能力を高めよう」「国民の安全を守ろう」
実際、この国は多くの危機に直面していた。
自然災害、パンデミック、国際的な紧張、経済危機。従来の民主的な手続きでは、迅速な対応が困難な場面が増えていた。
最初の発動は地震災害だった。
政府は迅速に避難指示を出し、救助活動を指揮し、復興予算を確保した。多くの命が救われた。国民は称賛した。
二度目は新型感染症だった。政府は感染拡大防止のため、移動制限、営業制限、集会禁止を実施した。医療体制を強化し、ワクチンを確保し、経済支援を行った。多くの人が政府の対応を評価した。
しかし、非常事態はなかなか終わらなかった。
台風が過ぎ去っても、「復興が完了するまで」非常事態は継続された。
感染症が収束しても、「再拡大の恐れがある間は」非常事態が維持された。
やがて、新しい理由が見つかるようになった。
経済危機も非常事態だった。
国際情勢の悪化も非常事態だった。
社会的混乱も非常事態だった。
多様性を巡る対立が激化したとき、政府は宣言した。
「社会の安定を維持するため」非常事態が必要だと。
SNSでの地下活動が活発化したとき、政府は説明した。
「国家安全保障上の脅威に対処するため」非常事態の延長が必要だと。
移民問題で摩擦が起きたとき、政府は主張した。
「公共の秩序を維持するため」非常事態権限が不可欠だと。
気がついたとき、非常事態は常態になっていた。
国会は形骸化した。
法律は政府の政令で簡単に変更された。裁判所は政府の判断を追認するだけになった。
選挙は行われていた。しかし、非常事態の名の下に、候補者の活動は制限され、報道は規制され、有権者の判断材料は限定された。
政府は説明した。「民主主義を守るため」の緊急措置だと。「自由を守るため」の一時的な制限だと。
しかし、一時的な措置は永続化した。
権力は腐敗した。チェック機能を失った政府は、自分たちに都合の良い政策だけを実行するようになった。
そして最も皮肉なことに、政府が「守ろう」としていた民主主義と自由は、政府の手によって殺された。
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