第18話 セラフィーヌサイド 6
「ごきげんよう」
うっとうしいガエルの恋人ジョゼットの声だった。
どうせ来るなら義父のいる間に来ればいいのにと思うが、ガエルから義父の不在の連絡を受けてやってきたのだろう。
「ジョゼット様、どうされました」
メイドが平民であるはずのジョゼットに恭しく声をかける。
「これからガエルとお出かけなの。迎えに来てくれるって言ってたんだけど、ここのところ来れなかったでしょ? だからちょっと御夫人にご挨拶をと思ってね」
嫌味を言うためだけにわざわざ顔を見せたのだろう。
義父にばれないと高をくくっているに違いない。絶対に告げ口するんだから。今度こそ絶対邪魔はさせない。
「それはそれは楽しみですね」
メイドはにやにやしたまま楽しそうにこちらを見る。
せっかくのうれし恥ずかし幸せな妄想を台無しにした、ワンピースの胸元から大きな胸をはみ出しそうな下品極まりないジョゼットに怒りを覚える。決してその胸に妬んでいるわけではない。
立場、身分を考えてもジョゼットに挨拶を返す必要は皆無とセラフィーヌは無関心を貫いた。
「まあ、悲しい。私が平民だからって口をきいてもくれないのね。そんなのだから旦那様に見向きもしてもらえないのよ」
それでも相手にしないでいたら、苛立ったジョゼットが母にもらった大切なルビーのついたシルバーの胸飾りを胸元から奪い取った。
「まさかこれ旦那様にもらったんじゃないでしょうね」
「……まるでならず者ね」
ため息をつきながら、思わず本音が漏れてしまった。
それが耳に入ったジョゼットは
「お返しするわ」
そう言って胸飾りを池の方へと思いきり投げ捨てたのだ。
「あ!」
悔しいが、思わず声を上げてしまった。
「まあ、ごめんなさい? あら、お出かけしなくっちゃ。それじゃあね」
セラフィーヌをやり込めて上機嫌になったジョゼットは去っていった。
そんな非常識な言動をメイドは注意することもない。
「あ~あ、奥様大変なことになりましたね」
メイドも使用人も楽しそうに口角を上げて、腕を組んだまま動く様子はない。
網を持ってくるとか、庭師を呼ぶとかそういう気持ちは一切ないらしい。
質の悪い使用人だという事は分かっているが、人としてやっていいことと悪い事の線引きでさえできないとは。
大切なものを捨てられて私の中で何かがぶちっと切れた。
よし、受けて立つ!
びしょびしょになったままで屋敷中を歩き回ってやるわ。そこらじゅうを水浸しにして、皮張りの高級なソファーにそのまま座ってやる。そして使用人に突き落とされた……気がすると言いながらさめざめ泣いて見せれば、お義父様の使用人が驚いて絶対報告してくれる。
もし義父が愛人のことを黙認していたとしても、使用人の分際で次期侯爵夫人を害したことを許すはずはない。メイドたちは間違いなく有罪になる、それもとても厳しい処分になる。
セラフィーヌはしばらく水面を眺めていたが、意を決し、高揚感に背中を押されるように冷たい水の中に足を踏み入れた。
後ろで「まあ汚い、信じられない」だとか「あれで侯爵夫人とははずかしい」という声とともに笑い声も聞こえる。
(うう、冷たい!)
胸飾りが落ちたと思われるところにたどり着くが想像以上に池は深い。水深はすでに膝を越え、太ももの真ん中あたりまで来ていた。
泥に沈んだらしい胸飾りを目視することはできなかった。仕方がなくセラフィーヌは体をかがめ、手を伸ばして池底を攫う。顔面が水面すれすれまで近づく。
流石にそんな姿を見てビビったらしいメイドが
「ちょ、ちょっと! 何をしているんですか! 危ないじゃないですか」
「迷惑かけないでくださいよ、早く戻って!」
後ろから叫び声が聞こえる。
騒ぐだけで役にたたないメイドの声を聞いて、少しほくそ笑む。
その調子でもっと大声で叫べば、義父の優秀な使用人達にこの騒ぎが伝わる。侯爵夫人が池に入り、それをメイドが高みの見物をしているなんてどんな言い訳をすることもできないだろう。
騒ぎをおこした私も叱られるだろうが少なくとも義父と話す機会が得られる。
泣きながら母の形見を(生きてるけど)ガエルの愛人に池に捨てられ、メイドが自分で取れと命令するので……と涙を見せる。そうすればお義父様は私を可哀そうにとそっと抱き寄せて……と妄想がはかどって仕方がない。
が。
池の中というのを少し舐めていた。
ドレスが水分を吸って重くなるうえに、体中にへばりつき、水の抵抗と相まってひどく動き辛くなる。池の底には泥がたまり足は沈み、おまけに水の冷たさに身体が震えてくる。
体をかがめて手を伸ばし、底を探っても見つからない。もう少し奥に進もうとしたとき、泥に足を取られてバランスを崩し、そのまま転び頭の先まで水中に沈んでしまった。
立ち上がろうとしても重いドレスが足や腕に絡みついてきて動きを制限し、足も泥にとられて立てなかった。
セラフィーヌはパニックになり息を止めきれず、水を飲んでしまった。
そこからはあっという間だった。空気が入ってこず、苦しくて苦しくてもがいて……そのまま意識を失った。
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