第34話 決戦前夜
冒険者ギルドの一室は、エヴァが持ち込んだ無数の薬品や器具によって、さながら錬金術師の工房のような様相を呈していた。
空気中には薬草の入り混じった独特の匂いが漂っている。
エヴァは寝る間も惜しんで魔物化した男たちの分析と治療を進めていた。
「ふむ……やはりだ。この禁術、術者の生命力を触媒にしているね。しかも、対象の魂に蛇のような呪印を刻み込み、遠隔操作を可能にする機能まである。実に悪趣味で、実に興味深い!」
目の下に濃いクマを作りながらも、エヴァは興奮した様子で分析結果を語った。
彼女の言葉に、俺たちは息を呑む。
「遠隔操作……? では、あの男も〈新春の花吹雪〉の三人も、操られていた可能性があると?」
ユキナの問いに、エヴァは眼鏡の位置を押し上げながら頷いた。
「その可能性は高い。もっとも、完全に意識を乗っ取るというより、負の感情を増幅させて暴走を促す、といった方が正確だろう。自らの意思で悪事を働いていたことに変わりはないが、最後の最後で自決させられたり、情報を喋れないようにされたりするわけだ。実に効率的な駒の使い捨て方だよ」
その非人道的な手口に、アリサは唇をきつく結んだ。
自業自得とはいえ、あの三人もまた組織の被害者だったのかもしれない。
「治療にはあと数日はかかる。特に魂に刻まれた呪印を剥がすのは慎重を要するからね。君たちの決戦には間に合いそうにない」
「構いません。敵の正体と手口の一端が分かっただけでも大きな収穫です」
俺がそう言うと、エヴァはにやりと笑った。
「そうだろう、そうだろう。さて、決戦は五日後。月の満ちる夜だったね。それまでに、君たちは自分たちの牙を研いでおくことだ。特に君、シン・バーデン。君のその特異な能力は、まだ伸びしろがありそうだ」
エヴァの言葉に、俺たちは残された時間を最大限に活用することを決意した。
***
翌日から、俺とユキナはギルド裏の訓練場で過ごす時間がほとんどになった。
俺は新しく目覚めた瞬間移動のスキルを、ユキナはそれに対応するための連携を、互いに高め合うために剣を交え続けた。
「――そこです!」
ユキナの鋭い突きが俺の喉元に迫る。
俺はそれを半歩下がって躱すと同時にスキルを発動させ、ユキナの背後に移動した。
「甘いな」
俺が木剣を振り下ろそうとした瞬間、ユキナはまるで背中に目があるかのように身体を反転させ、俺の木剣を自身の剣で受け止めていた。
「シンさんの動きの癖、少しずつですが読めるようになってきましたよ」
挑戦的に笑うユキナ。
彼女の剣才は底が知れない。
俺の不規則な瞬間移動に、わずか数日で対応し始めている。
俺たちは互いの実力を引き出し合い、その練度は日を追うごとに高まっていった。
その間、アリサは自分にできることを探していた。
戦闘では二人の足手まといになってしまう。
それが悔しくて、彼女はエヴァの工房の扉を叩いた。
「あの、エヴァさん! 私に何か手伝えることはありませんか!?」
「ん? ああ、君か。悪いが子供の遊びに付き合っている暇は……」
「遊びじゃありません! 私も、シンさんたちの役に立ちたいんです!」
アリサの真っ直ぐな瞳に、最初は面倒くさそうにしていたエヴァも根負けしたようだった。
「……ふん。まあ、薬草の選別くらいならできるかね。間違えたらただの毒になるから、せいぜい気をつけることだ」
ぶっきらぼうにそう言いながらも、エヴァはアリサに薬草の知識や簡単なポーションの調合法を教え始めた。
アリサは必死にそれに食らいつき、夜遅くまで工房に籠る日が続いた。
一方、ギルドの酒場では、ダイダスが英雄気取りで仲間たちに吹聴していた。
「いいか、お前ら! 五日後、俺はこの町を救うための重要な役目をシンのおっさんから任されたんだ! なんでも、俺にしかできないヤバい仕事らしいぜ!」
周囲の冒険者たちは呆れたような、生暖かい視線を送っているが、有頂天になっているダイダスはそれに気づく様子もない。
彼が敵の注意を引きつける囮として完璧に機能していることを、彼自身は知る由もなかった。
そして、あっという間に五日が過ぎた。
***
決戦前夜。
俺の小さな小屋には、静かな緊張感が満ちていた。
三人で囲む夕食のスープが、やけに温かく感じられる。
「……シンさんは、どうして戦うんですか?」
静寂を破ったのはユキナだった。
「以前は、のんびりと楽な生活を送りたいと仰っていたのに。今のシンさんは、誰よりも危険な場所に飛び込もうとしています」
その問いに、俺はスプーンを置き、窓の外に浮かぶ満月を見上げた。
「そうだな……。確かに俺は、楽な生活がしたかった。誰にも邪魔されず、ただ平穏に日々を過ごせれば、それでいいと思ってた」
俺は、隣に座るユキナと、その向かいで心配そうにこちらを見るアリサに視線を移す。
「でも、お前たちと出会って、少し考えが変わったんだ。本当の『楽な生活』ってのは、ただ何もしないことじゃない。大切な奴らが、何の心配もなく笑って過ごせる……そういう日々のことだったのかもしれないな」
柄にもない台詞に、俺は少し照れ臭くなる。
ユキナは少し驚いたように目を見開いた後、ふっと優しく微笑んだ。
「……英雄譚の主人公みたいですね」
「やめてくれ。俺みたいな冴えないおっさんには似合わない」
そんなやり取りをしていると、アリサがおずおずと小さな布袋を二つ差し出した。
「あの……これ、お守りです。エヴァさんに教わって、安眠効果と、少しだけ傷の治りを早くする薬草を詰めてみました。気休めかもしれませんけど……」
不格好だが、心のこもったお守りだった。
俺とユキナは、それを無言で受け取り、しっかりと懐にしまう。
「ありがとう、アリサ。心強いよ」
「ええ。必ず、三人で無事に帰ってきましょう」
俺たちは顔を見合わせ、静かに頷いた。
窓の外では、満月が青白い光を放ち、明日の決戦の舞台となる湖畔の遺跡を静かに照らし出していた。
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