ゆめ 4

安藤陽子あんどうようこは、見たこともない場所に一人座っていた。


と言っても、ここが何処であるかはすぐに分かった。


安藤は、かなり深い土手の下に流れる小さな河のすぐそば、護岸ごがんをコンクリートブロックで固められたところにいた。


かなり年数の経ったブロックは、かどが無くなり、中に入った小さな石が表面に現れている。


たっぷりの日差しが暖かい。


決してきれいではない河の水の中に、大きなオタマジャクシが安藤が座る方に頭を向けて、数えきれないほどの数でそこに居る。


川の向こう、目の前の斜面は日も差さず、こちら側とは全く関係なく寒々としている。


振り返って後ろを見ると、上のほうに古い団地のような建物が建っている。


もう確認するまでもなく、小田薫と川原美紅が言っていた場所だ。


列車の音が響く。


川下を見ると、橋の上をベージュと朱色の電車が通っていく。


東武野田線と言っていた。


安藤が立ち上がろうとすると、長い時間同じ格好をしていた時の血流が、慌てて体の中を巡る感じがした。


コンクリートブロックは河の水面みなもから、ほんの2メートル程をカバーしているだけで、その上はただの草原くさはらになっている。


秋に野焼のやきをしたようで、土手の上を見上げるとげた草原の急な斜面に、ようやく春の新芽が顔をだしている。


一歩一歩上っていくたび灰が舞って、白いスニーカーが煙っていく。


斜面がきついから地面が顔に近い。


よく見るとかなりの広範囲につくしが生えている。


・・・これだけあれば施設の入居者全員に回る。摘んで持って帰って食べさせたいなぁ・・・と思った。


土手の高さの丁度真ん中あたりに通った砂利道まで登ったが、そこから上は更に急な斜面になっていて、登り口の様なものが何処にも見当たらない。


左を見るとさっき電車が通っていた辺りに、斜めに登るガードレールがみえている。


200メートルはあるだろうか。


あそこまで行かないといけないのかな・・・


途中から砂利道がアスファルトで舗装されている。


丁度その境に小さな赤茶色あかちゃいろの犬が2匹いて、こちらをじっと見ている。


「安藤さん!」どこからか呼ばれた。


上を見ると古い団地の一番上の一番左側、ベランダに見知った顔がいる。


「咲ちゃん!」咲子は安藤が見ていたのとは反対の、川上の方を指さしている。


安藤もそっちを指さし、オッケーとサインを送る。


川上に向かって歩き出すと、そのずっと先にまた赤茶色い犬がいて、こっちを見ている。


・・・なんだろあの犬、なんか気持ち悪い・・・


警戒するように犬から目を離さず歩くと、すぐ草に隠れた階段・・・と言っていいのか、ただ土手の斜面に土を掘っただけの、足掛かりになるものがあった。


それが土手の上まで続いていた。


ただそこを利用する人間は多いらしく、階段にあたる部分には草は生えていない。


けもの道のようなものだ。


安藤はやや息を切らして登りきる。


・・・夢の中でまで、運動不足を感じるとは思わなかったわ・・・


土手の上には、その向こうの公園とを隔てる、簡素な金網の柵があった。


人が歩いた跡をたどっていくと、一部金網に人一人が通れるだけの隙間があった。


上から咲子が、上がってくるよう手で合図した。


建物の北側に左から回っていくと、外を上る階段がある。


その先に同じ形の建物があと2棟建っていて、全部で3棟並んで建っているのがわかる。


近寄ってみるとかなり古い建物らしく、外壁に所々補修の跡がある。


本来吹き付けてあった塗装ははげ落ちて、所々にしか残っていない。


この手の建物は、ジメジメ湿気って陰気な印象を受けがちだが、そんなことはない。


建物と建物の間はそれなりに離れていて、日当たりもよくカラッとした感じがする。


建物の北側には通路があり、そこに入り口のドアが並んでいる。


階段は両端にしかなく、エレベーターもなさそうだ。


あったとしても、これほど年季の入った建物のエレベーターには、乗りたくはなかったと思う。


また息を切らしながら外階段を4階まで登ると、さっき咲子がいた部屋のドアの前に来た。


ドアは開け放たれ、そこを南からの風が抜けて、玄関にかかった長い暖簾のれんを揺らしている。


「咲ちゃん」読んだが返事はなかった。


・・・嫌な予感がした。


ふわっと後ろから触られたような気がして、ビクッとして目が覚めた。


首の後ろに、例えばシルクのスカーフを、引いて外した時のような感じが残った。


二つ並べた布団で寝ていたはずのエリちゃんが、立ち上がってじっと安藤の顔を見ている。


「どうしたの?エリ・・・」するとエリちゃんは、不安そうに見守る顔から一転泣き出した。


安藤は起き上がって、娘を抱きしめた。


「ママがどっか行っちゃった」エリは泣きながら言った。


「大丈夫よぉママどこへも行かないから・・・怖い夢でも見たのね」エリはひとしきり泣いた後、安藤の腕の中ですーすーと寝息を立てだした。


頬に涙の跡が残った。

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