川原 美紅 5

湯船ゆぶねに深く入っているときのように、窓の下の部分の高さが自分の肩よりも高い。


川原美紅が松山の車に初めて乗ってまず思ったのは、何とも乗り心地の悪い車だということだった。


乗り込むときから困難を極めた。


乗ろうとしてまず、低い屋根に頭をぶつけた。


そこは分厚いラバーでおおわれていて、痛いことはなかったが、普段しないような窮屈きゅうくつな姿勢をいられた。


笑いながら松山に、足から入るんだと言われた。


足から入る?乗るのにコツがいるんかい?そもそもそんなスマートなタイプではないのだ。


いえ、すいません。


はっきり太ってます・・・


 「松山さん・・・この車のどこがいいんですか?」身動きが出来ない。


 「どこがいいかぁ?」松山は、絶えず細かくハンドルを動かしている。


なんだか落ち着かない人だなぁと美紅には思えた。


 「うーん、口で言うのは難しいなぁ・・・運転してみないとなぁ・・・してみる?」路面のわずかな凹凸おうとつでガタガタと揺れた。


 「いえいいです。美紅の免許はオートマなんで」


松山のスポーツカーは、国道122号が50号と合わさるところで左折して桐生方面へ。


合流で加速すると、自分の車では聞けない音がガンガンに入ってくる。


ダンプのすぐ後ろを横に移動して、そのまま追い越し車線へ。


ゆっくりと抜きに行くと、ダンプがこちらにゆっくり近づいてくる気がする。


ダンプのタイヤの更に下を走っている。


 「こわっ!」


こういう背の低い車に、人が乗っているのは良く見るし、かっこいいなぁと思わないでもないけれど、自分が乗ってる姿は滑稽こっけいに思えた。


狭い窓から見える室内は、それこそやたら狭く見え、私じゃあそこに、いっぱいいっぱいになるんじゃないか?と思っていたが、乗ってみるとそうでもなかった。


ただシートには、はまり込んでしまって身動き出来ず、布で出来た屋根もすぐ頭の上に在る。


圧迫感で子供なら泣き出しそうだった。


 「美紅は降りるときのことを考えたら憂鬱です」松山のスポーツカーは、甲高い音をたてて更にスピードを増していった。



 「こんなにかー・・・」入り口の2重扉を入った美紅は、吹き抜けを見上げて言った。


国道から、いつも見えている施設なので、場所や外観は分かっていたが、中がこんなに豪華だとは思わなかった。


美紅がいる施設と違って、デイサービスとケアハウスが一緒になっているので、そもそも比べて大きな施設ではあるのだが。


 「松山さんお待ちしてました」割と年配の女性が小走りに出てきた。


・・・施設栄養士さんかな?・・・おばちゃんという感じ。


 「すいません。こんな時にお願いしちゃいまして・・・」松山が割と気安い感じで言った。


 「いいえいいんですよ。かえってそのほうが・・・」美紅にはその意味が良く解らなかったが、松山はすぐ理解したようだった。


 「今年の新卒で川原美紅かわはらみくといいます」そう言って松山は、美紅の背中を押した。


 「川原ですよろしくお願いします」美紅は思い切りよそ行きで言った。


 「こちら・・・」松山が美紅に向かって紹介しようとするのをさえぎるように、おばちゃんが言った。


 「施設長の田島和子たじまかずこです」・・・えっ、施設長だったの?そんな全然・・・


 「すいません施設長さんでしたか」思わず言ってしまって後悔した。


 ・・・何だと思ったんだろうって思われたかな・・・


 「川原さんはお幾つなんですか?」田島が聞く。


 「二十歳です」


 「じゃあ短大ね。いいわねお宅は、毎年若い子が入ってきて」


 「若いだけです」松山は言った。


・・・どういうこと?・・・


しばらく世間話せけんばなしをしながら、施設長が一階部分を案内してくれた。


やはり立派な建物だし、見てもらいたいのは分かる。


一階は事務所にデイサービス、看護と厨房がありユニットが4つ。


ユニットとは、およそ10名の入所者で1グループになっている介護の形で、家庭に近い環境を提供するためのものだ。


 「なんでも居るものに聞いてくださいね。今日来ることは言ってありますから」そう言って施設長は、事務所に帰っていった。


 「ありがとうございました」美紅は深々と頭を下げた。


施設長の田島が事務所に入るのを見て、美紅は言った。


 「松山さん。やっぱりお土産持ってきたほうが良かったんじゃないですか?」


 「そうゆうの嫌がるんだよ田島さん」松山は、田島施設長が入っていった事務所の辺りを、何か考える風に眺めながら言った。


 「うちは単なる委託いたくの業者なんだけど、一緒に働く仲間みたいに思ってくれてるところあるんだよね。」


 「はぁ」


 「もっと高圧的にいろいろ言ってくるのが普通だし、お土産も、もらって当たり前だと思ってるよ・・・普通は」松山は言った。


 「うちの施設長は、凄く威張いばってますもんね」


 「言っとくけどうちの施設長や理事長は、特に偉そうという訳でもないよ」


 「そうなんですか」


 「普通だ・・・だからここは特別なんだ。変な駆け引きは失礼なんだよ」


 「はぁ。かえって気を使いそうですね」


 「最初だけな」そう言って松山は笑った。


施設側から厨房事務所に行くには、事務所のすぐ後ろの廊下を入っていく。


両側に男女それぞれのトイレがあって、突き当りがそうだ。


木目調の壁紙を貼ったアルミの扉を開けると、10畳ほどある部屋に、窓に向かって2台のパソコンデスクがあり、中央にテーブルと4客の椅子がある。


奥にはそれに続く6畳の和室があり、やはり贅沢なつくりだ。


事務所には2人の女性がいて、1人はパソコンデスクに向かい、1人はテーブルの奥の席に、パソコンを操作する女性の方に向かって座っていた。


テーブルには、一目で桐生の名店のだとわかるケーキが用意されていた。


 「施設長、長かったですね」おそらく今度こそ施設栄養士だろう。


30代前半という感じの女性が、椅子をこちらに向けながら言った。


 「座ってください。安藤さん買ってきてくれたんですよ」パソコンに向かっていた女性が、立ち上がってそう言った。


多分美紅とそう変わらない年齢の女の子で、上は白いコックコート、下に黒いスラックスを穿いている。これが小田さんだ。


・・・え・・・一瞬分からなかったが、どこかで見た感じがした。


それが一昨日おとといの夢で、隣の部屋にいた人だと気が付くのに数秒を要した。


一昨日の夢なのに、なぜか鮮明に覚えている。


「あの・・・川原美紅です。今日はありがとうございます」

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