事件の真相(三)

「面白い話だね」

 一連の話を僕は新聞部の菊井に話すことにした。彼に告げたのは、菊井が新聞部の誇りを持っており、個人の尊厳を大事にした考えを持っているからである。

 僕の持つ情報を切り札に、彼からある事実を引き出すつもりだった。情報を情報で買うなど、本来ジャーナリズムの本道からは逸脱した行為であり、彼はきっと眉をひそめるだろうと予想していた。だが、その懸念は杞憂に終わった。彼は驚くほどあっさりと、僕の交換条件を受け入れた。

「確かに十分有益なネタだったね。わかった。一つだけ新聞部が握っているネタを君に教えようじゃないか。で、君は何が聞きたいんだ?」

 昼休みの新聞部部室が以前とは違う印象を与えた。

 高い本棚には、厚い歴史の書籍や資料が並んでいる。古紙の匂いを漂わせながら、新たな知識を求める誰かの手によって開かれる瞬間を待っているようだ。

 こうやって周りをゆっくりと見渡すことができるのも、部室にいるのが僕と菊井の二人だけだからである。

「帝陵特進カリキュラムの生徒の弁当が次々に捨てたられた事件のことは知っているよね?」

 他人を気にする必要もないので声量を抑えることはしない。

「もちろん知ってるさ。新聞部でも話題になった。新聞部でも犯人が誰なのか調査をした。だけどな、犯人は見つけることができなかった」

「僕が教えてほしいのは犯人に関する情報だ。君達ならある程度、候補は絞られているんじゃないか?」

 菊井は腕を組み、解答を渋る様子を見せる。

「それはな。新聞部も苦労して集めた情報なんだよ。その情報を使って、君は何を企んでいる?」

 企んでいることなんて存在しない。

 涼香が尊敬する古賀先生の休職の理由を突き止めたいと感じたように、僕も涼香が卒業を前に休んでいる理由が知りたいだけだ。

「真実を暴きたいだけだよ」

 菊井は頬杖をつき、しばらく無言で考えはじめた。

 外から歓声が聴こえる。午後の陽射しの中、昼食を終えた学生たちが一斉に飛び出し、ボール遊びに没頭してる。彼らの無邪気な笑顔が、青空と調和して美しい光景を作り上げてる。今まで鬱陶しさを感じても、美しさを感じることなど皆無であった。名残惜しさまで感じている自分がいた。

 声がかかった。

「わかった。約束だもんな。教えるよ」

 菊井は僕の目を見つめる。

「弁当を捨てていた一連の犯人はD組の生徒の誰かだ」

「僕らのクラス?」

 あまり想像したくない事実が彼の口から伝えられた。

「そう。犯人は俺らのクラスメイトの中にいる。D組の生徒だけが弁当が捨てられた時間帯に監視の視線が注がれていなかった」

 たしかに三学年になってクラスメイトの動きを把握できない授業はいくつかあった。進学校である帝陵高校の特色であろうが、自主勉強ができる環境が設けられている。

 例えばだが、フィールドワークという授業がある。地理学や生物学の授業なのだが、生徒たちは個々のグループで実地調査やデータ収集を行なうことになっている。この授業では、他のグループの行動をリアルタイムに把握することは難しいだろう。

 他にもコンピューター実習などが挙げられるか。各生徒が個別のプロジェクトに取り組むため、コンピューター室から抜けた生徒を把握するのは難しい。

「なるほど。全員のアリバイがない時間帯を狙って犯人は弁当を捨てていたんだね。僕らのD組の生徒が犯人であるかという根拠はあるのかい?」

 僕の問いに菊井は両肩を反らす。

「新聞部の取材力を舐めないでほしいね。全部のクラスを徹底的に調査をした。信じられなければ資料を見るか?」

 菊井が自身の座る椅子をひき、立ち上がろうとしたので慌てて止めた。取材には自信があるのだろう。下手に疑うことはしたくはない。

「三つの弁当を捨てた犯人が同一犯であるのが条件だがな」

 問題ない。模倣犯がいた可能性も無きにしも非ずだが、そこまでの可能性は追っている時間などなかった。

「三つの弁当を捨てた犯人が同一人物だとして、新聞部で絞りだした犯人候補はいないのかい?」

 菊井は大袈裟に溜息をつく。

「君はまたそんなことを聞くのか」と、お手上げのポーズをする。

「一人一人の動きを三日間も把握している人物がいると思うか?」

 また、お決まりの言葉を言われた。

「二人目に弁当が捨てられた八嶋勇人さんは具体的にいつ弁当が捨てられたの?」

 彼は捨てられた弁当の話について語るのを拒んだ。せめて、事件の起きた日にちだけは知りたかった。

「四月二十八日だよ」

 そっか。

 期待していた答えとは別の返答であった。僕は感謝の言葉を菊井に告げて呆然と新聞部の部室を後にした。


 そのままの足で向かった先は、警備室である。できれば、この場所には足を踏み入れることはしたくなかった。

「すみません!」

 呼びかけると、窓の向こうで慌てて帽子を被った若い男性警備員がコチラに振り向く。

「また君か?」

 警備員は口を開いた呆れ顔で僕の方へ近づいてくる。

「はい。先週ぶりですね」

 目の前に立った警備員に窓越しに挨拶をした。

「君の彼女は今日はいないのかい?」

 三日前からいないことを僕は告げることはしない。

「はい。今日、彼女はいないのですが、見せてほしい映像がありまして」

「はぁ?」と、小窓が揺れる声量を出す。

「彼女の記憶が間違っていたみたいで。彼女がペンダントをなくした日は非常警報装置が作動した日じゃなかったみたいなんです。別の日だったってことを思い出したみたいなんで」

 困った顔を演じて表現する。

 警備員は勢いよく小窓を開けて「君なぁ」と、口を尖らした。

「わかっています。この前はお礼も言わずに飛び出してしまって申し訳なかったです」

「本当は見せたらいけない映像なんだよ。あの女の子、逃げるように出て行くから、何かに悪用するのかもって詮索しちゃったよ」

「悪用なんてしません。ご迷惑をおかけしました」

 謝罪を口には出したが、真っ赤な嘘である。現に映像の確認は別の使途で利用したのだ。警備員が言うように悪用したと言えるだろう。

「実はあの時、先生からの頼まれごとを思い出したみたいで。映像を見ている時、彼女が慌てて走って出て行ったのには理由があったんです。本当にすみませんでした」

 僕は深く頭を下げた。悪者は涼香であるという主張だ。今は彼女に罪を着せることに罪悪感など抱かない。

「わかったけど。さっきも言ったが、別の映像は見せることができないんだよ」

 少し強めな口調で言われた。

「お願いです。彼女にはじめてプレゼントしたペンダントなんです。あれがないと、また買えって彼女が言うんですよ」

 泣き顔で情に訴える。目の前の男は、哀れな視線を僕に注ぐ。

「頼まれてもなぁ。それに、前にも言ったけど映像なんて残ってないぞ。サーバーからすぐに消えてしまうんだ。何かトラブルがあった日の映像しか残さないことになっているんだ!」

「大丈夫です。彼女がペンダントを落とした日はプレハブ棟の裏でボヤ騒ぎがあった日なんです。慌てて逃げている時にペンダントを落としたみたいで」

 バドミントン部の部員たちは、ボヤ騒ぎの直後、ベンチシートの上に一枚の写真が置かれていたと証言している。おそらく犯人は、騒然とした状況を巧みに利用し、混乱に紛れて逃げ惑う者のひとりを装いながら、バドミントン部の部室に侵入したのではないか。

 だとすれば、本館と渡り廊下を結ぶ扉の上部に設置された監視カメラには、騒ぎの最中に部室付近へと向かった人物の姿が、何らかの形で記録されている可能性がある。

「わかった。田ノ池さんにバレたらマズいからさ」

 田ノ池とは、以前、この警備員と一緒にいた年配の方の男性であろう。

「田ノ池さん、勝手に逃げた君達のこと凄く怒っていたからさ。今は昼食にラーメンを食べに行ってる。カメラの映像を見れたとしても五分程度だ。いいな?」

 僕は「ありがとうございます」と、親しみを込めて返事をした。

 映像が始まるまでの時間を経て、僕は内心を鎮めようと試みた。多分、何かの演算回路に誤りが生じてしまっただけだ。この映像を見れば、自分の導き出した結論の不正確さに気がつくことができるだろう。

 思えば最近の僕は、自分の推測が的中し続けることに鼻を高くしていた。特に自慢できるような才能もないくせに、自分の力量を勘違いして酔いしれていたのである。

 全ては僕の勘違いだったんだ。

 間違いない。僕はただの凡人であって、推理など水物であるんだ。

 僕の凡人さをこの映像はきっと証明してくれるはず。


 映像が流れはじめた。

 心臓の鼓動が早くなる。

 あるタイミングをきっかけに、次々と人影がグランドに向かっていく。

 人影は疎らになり、やがて数をなくした。

「あれ。本当だ。彼女だよね?」

 警備員が画面を指さす。「ほらっ!」と嬉しそうに僕の顔を覗く。

 その女子生徒は、グランドとは反対の方向に向かって足を進める。

「あれ。どこ行くのかね。そっちはプレハブ棟の方だよね。火事の方に向かって行くよ。えっ。それにペンダントを落としたようにも見えなかったけど」

 警備員は顔を曇らせる。

 呆然と立ち尽くす僕に向かって、警備員が問う。

「ねぇ、君。本当にここで彼女はペンダントを落としたんだよね?」

 これ以上、目の前の警備員の言葉を無視することはできないだろう。

「はい。映像を見てわかりました。きっと、バドミントン部の部室に行ったんですよ。そこで大事なものを落としてしまったみたいですね。わかりました。ありがとうございます」

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