第2話 後編――鏡の画廊
1 沈黙を切る声
展示室に漂う重苦しい沈黙を、破ったのはヴァンスの低い声だった。
「皆さん、これ以上証言を重ねても混乱するだけです。
鏡の前で起きたこの殺人は、人間の記憶の脆さを突いた犯罪でした。
では、答えを整理しましょう」
人々の視線が一斉に彼に注がれる。
クララは両手を胸に組み、震えながら必死に耳を傾けていた。
スティール卿は大きな体を揺すり、苛立ちを隠せない。
警備主任ミルナーは壁際に立ち、腕を組んで目を細めていた。
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2 鏡の傾き
ヴァンスは鏡の額縁に指をかけ、わずかに動かした。
「ご覧ください。ほんの数度の傾きですが、映る像の肩の高さが変わります。
観客が混乱したのはこのためです。右手が左手に、左手が右手に――。
傾けられた鏡こそ、最大の共犯者だった」
観衆がざわめく。
「では、クララ嬢の証言は?」誰かが問う。
「彼女は嘘を言っていない。本当に右手に見えたのです。
しかし実際は左手だった。鏡が欺いただけのこと」
クララは安堵の涙をこぼした。
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3 犯人の指摘
「では、誰が館長を刺したのか」
ヴァンスは一歩下がり、全員の顔を見渡した。
「それは――スティール卿、あなたです」
室内が凍りついた。
スティール卿は顔を真っ赤にして吠えた。
「馬鹿な! 私は左利きだと皆が知っている! 右手に見えたのはクララの見間違いだ!」
ヴァンスは静かに頷く。
「ええ、あなたは左利き。だからこそ、意図的に鏡を利用したのです。
左手で刺せば、傾いた鏡は“右手”に映る。
あなたはその錯覚を計算に入れて、犯行に及んだ」
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4 動機
「動機は簡単です。
あなたは美術館への寄付を梃子にして理事会を支配しようとした。
しかし館長は最後まで抵抗した。あなたの金を拒み、伝統を守ろうとした。
そこで、館長を排除することを決めた」
スティール卿の目が血走る。
「証拠はどこにある!」
ヴァンスは割れた展示ケースを指差す。
「凶器の短剣はここから持ち出された。
ケースの鍵は館長と……あなたしか持っていない。
そして、事件直後に右利き・左利き論争を仕向けたのも、あなた自身だ。
『私は左利きだ、だから違う』と声高に主張するために」
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5 矛盾の暴露
ヴァンスはさらに続ける。
「加えて、あなたは決定的な失策を犯した。
グラスを左手に持ったまま、“右手ではぎこちない”と実演した。
だが、その動作の中で、右手のカフスに細かな血の飛沫が付着しているのを私は見た。
左手でグラスを持ち、右手で実演――その右手は既に血を浴びていたのです」
私は思わず息を呑んだ。
光に反射して、確かにスティール卿の袖口に赤黒い点が散っていた。
本人は気づかず、堂々と腕を振っていたのだ。
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6 告白
スティール卿は口を開きかけ、言葉を飲み込む。
顔色は赤から青へと変わり、やがて力なく笑った。
「……参ったな。
あの頑固者め、私の金を突っぱね続けた。
私はこの館を“私の館”にしたかった。それだけだ」
彼は肩を落とした。
「鏡に頼るなど、愚かな芸術家の真似事だ。
だが――人間の目は容易に欺ける。
芸術が幻なら、真実もまた幻だ」
その言葉に、クララが悲鳴を上げた。
「あなたは芸術を汚した! 館長の命まで!」
警備主任ミルナーが前に進み、重い手でスティール卿の肩を掴んだ。
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7 フェア照合
ヴァンスは最後に、展示室の中央で静かに語った。
• 鏡の傾き:証言の食い違いを生んだ仕掛け。前編で既に提示。
• 右手に見えた証言:クララの正直な観察。だが鏡の錯覚により逆転。
• スティール卿の左利き:本人の強調がむしろ計画性を示す。
• 展示ケースの割れ:凶器入手の可能性は彼にしかなかった。
• 右手のカフスの血痕:直接の物証。
「これらの手掛かりを順に追えば、犯人はスティール卿以外にありえません。
読者諸君もここで推理を終えていただきたかった。
鏡は嘘をつかない。ただ、人の目を逆に映すだけです」
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8 余韻
スティール卿が連行されると、展示室に残ったのは沈黙だけだった。
クララは震える手で自作の絵「割れた鏡の自画像」を見つめていた。
その瞳に映るのは、自分自身の姿と、割れた鏡の亀裂だった。
私は小声でヴァンスに尋ねた。
「人間は鏡に映る像を信じる……それを逆手に取られたわけか」
「そうだ。だからこそ探偵は、鏡を見るのではなく鏡の角度を見る。
真実は映っているのではなく、どう映されているかに宿る」
彼の言葉は、冷たい鏡面のように冴え渡っていた。
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9 読者へのコメント
ここまでお読みいただきありがとうございます。
「鏡の画廊」は、人の証言の曖昧さと鏡の逆転を題材にしたフェアプレイの事件でした。
皆さまは真相にたどり着けたでしょうか?
よろしければ「いいね」や「コメント」で推理の感想をお聞かせください。
次回は、さらに奇妙な「消える文字」の事件が待ち受けています――。
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(第2話 後編・了)
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