第20話 暗雲
「好きな...人。」
「うん、好きな人。光ちゃんにはいるの?」
ㅤその真剣な眼差しが、私を捉えて離さない。当然、この場合の好きな人も、そういう視線で見ている人の事。つまり、付き合ってる人、とかそういう事なのだろうと直感する他ない。
ㅤ私には居ない。それを言えば良いだけなのに、何故か胸騒ぎがする。喉はカラカラに渇き、手が震える感覚がする。
ㅤこの質問をする意味が分かったとしても、どうして私が聞かれているのかは、分からないような気がする。
ㅤ心ちゃんが聞いたのは、もしかしたら私が心ちゃんに抱くのに少しだけ似た独占欲...みたいなものからだったかもしれない。
ㅤでも、雫ちゃんが聞いてくる意味は分からない。友達になったばかりで、そこまで踏み込んだ関係でも無いのに。
ㅤもちろん、私としては大切な友達だ。けれど、雫ちゃんからすれば私なんて本当に最近できただけの友達だろう。いくら仲良く過ごしていても、心の中ではそんな煙が振り払えない。
ㅤじゃあ、何だろう。
ㅤ雫ちゃんが、この質問をした理由。
ㅤそう思っても、何も分からない。ただ気まずい沈黙が流れていく。
「...ご、ごめんね。急にこんなこと聞いて。」
ㅤその沈黙は雫ちゃんの方から破られる。申し訳なさそうに謝りながら、熱が苦しいのかうずくまっている。
「だ、大丈夫?!」
「大丈夫...気にしないで。光ちゃんはもう、教室に戻った方がいいんじゃないかな。」
「...本当に、大丈夫なんだよね?」
「うん...この前から寝不足気味で...それが祟ったんだと思う。それだけだから、大丈夫。」
ㅤそういう雫ちゃんは布団で顔を覆い隠し、私にはその表情が見えなくなってしまった。
ㅤ寝不足...それが、私を避ける理由なのだろうか。いや、きっと違う。雫ちゃんは、あの休日の別れの瞬間から、私を避けていたのだと思う。
ㅤ布団に覆われた雫ちゃんを放っておいても良いのかとも思ったけれど、どちらにせよ私は気まずい雰囲気に耐えられなくて。保健室の先生がドアの前に来たタイミングで、走り去ってしまった。
ㅤ帰り際、振り返った時に布団の端から少しだけ顔を出した雫ちゃんと目が合って、どうしてか心臓の鼓動が大きく鳴り響いた気がした。
ㅤ誰かに聞こえてなければいいんだけど。
❀❀✿
「あ、おかえり光ー。雫どうだった?大丈夫そ...う?」
ㅤ陰鬱になっていたのが表情にでも出ていたのだろうか。心ちゃんの声はトーン少しづつ下げながら、私を心配する声に変わっていった。
「ただの寝不足だって。」
ㅤ雫ちゃんの容態に関してはそれ以上言うことはなかったから、それだけを伝えて席に戻る。
ㅤ心ちゃんは不安そうな表情を見せたが、授業のチャイムが鳴るのを聞いて自分の席に戻って行った。
ㅤその日の放課後、雫ちゃんは既に家に帰っていて、会うことは出来なかった。体調不良で早退したらしい。
「寝不足ってのは怖いねー。私も気をつけなきゃ。」
「うん...そうだね。」
ㅤ帰り道、心ちゃんと二人きりになる。美月ちゃんは今日は図書委員会の会議が放課後にあって、一緒に帰れないみたい。
「...光?ほんと大丈夫?」
「大丈夫...だよ。」
ㅤ心ちゃんは相変わらず不安そうにこちらを見つめている。私の頭を撫でる手はいつもより慎重で、優しく私の髪を擦る。
ㅤ雫ちゃんは大丈夫だろうか。今朝払拭されたはずの不安は暗雲となり、私の心を覆うほどに広がっていく。
ㅤもし、私が質問にちゃんと答えていたら、何か変わることはあったのだろうか。今考えても仕方の無いことを思いながら、家へと歩く。
ㅤ学校の敷地内の落ちた桜が掃除されて殆ど無くなっていたのを見て、無性に胸が締め付けられるような気がした。
ㅤ美しく貴いものほど、儚く散るものだな。なんて、詩人みたいなことを考えながら。
ㅤ家に帰ると、お姉ちゃんが先に帰っていてソファでくつろいでいた。
「んぁ、おかえり〜」
「ただいま、お姉ちゃん。」
ㅤお姉ちゃんはいつもの忙しなく動いている姿からは想像できないほどにリラックスしきった体勢で転がっていて、そんな姿を見るのも久しぶりだな、と思った。
「なんか元気ないね。」
「えっ、そ、そう見える?」
「見える見える。そんな顔してると、心ちゃんも心配でうちに来るんじゃない?」
「そんなに顔に出ちゃってたかな...」
「んー、顔もそうだけど...全体的に?」
「全体的...?」
「そー、どっと疲れているというか...最近、気を遣いすぎてる事ない?」
ㅤあまりにも図星過ぎて、ちょっと戸惑う。やっぱり、血を分かつ人間だと気持ちも手に取るように分かるものなのかな。
ㅤそんなことを考えていると、ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴る。
「ほら、噂をすればってやつじゃないの?友達に心配かけるのが嫌なのもわかるけど、頼られない方も嫌なもんだよ?」
「...そっか、わかった。ありがとう、お姉ちゃん。」
「ん。」
ㅤインターホンを覗くと、お姉ちゃんの予想通り心ちゃんがそこに立っていた。
「心ちゃん?」
「あ、光。何か悩み事があるんじゃないかなって思って、来ちゃったんだけど、今お邪魔しちゃっても良いかな?」
「もちろん...今まで心ちゃんをうちで拒んだことなんて無いでしょ?」
「...そう、だね。」
ㅤ心ちゃんを家に入れて、一緒に私の部屋へと歩く。今日は、私の方が元気が無い。
「それで...雫と何かあったの?」
ㅤ部屋に着くと、心ちゃんは遠慮するでもなく直接疑問をぶつけてきた。その目は真っ直ぐにこちらを見据えていて、真剣に聞いてくれているのがわかる。
ㅤ私も、ちゃんと話さなくちゃ。
ㅤ心ちゃんは人間関係には慣れているはずだから...きっと良い解決策が見つかるよね。
「実はね...」
❀❀✿
「...なるほどね。」
ㅤ話を聞いた心ちゃんは、私の前で腕を組みながらうーんと唸っている。やっぱり、誰かに話すという行為にはそれ自体にも意味があるようで、少しだけ悩みが軽くなった気がする。
ㅤそれでも、その軽くなった分が相手の負担になったりしたら...それは、すごく嫌だけど。
「んー...まあ、普通に寝不足だっただけだろうけど...逆に光は、なんでそういう意味で好きな人は居ないって言えなかったの?」
「うん...それが、分からなくて。ただ、無性に胸騒ぎがして、言ったらまずいような...」
「無性に...そっか...」
ㅤ心ちゃんはまたも腕組みして目を瞑る。時々、短い言葉を紡ぎながら。
「寝不足...好きな人...逃走...うーん...」
「...何かわかりそう?」
「...もしかして、雫も光のこと...いや、こんな短期間で...」
「よく聞こえないんだけど...」
ㅤ少し聞き取れなかったので私が心ちゃんに接近しながらそう言うと、心ちゃんの身体は驚きで飛び上がり、私から大きく距離をとる。
「あっ、違っ、ええと、雫ちゃんも私と同じみたいに寝不足で、大変そうだねーって...」
「心ちゃんと...確かに、寝不足で...急に好きな人の事聞いてきて...」
ㅤやっぱり、私が思っていたように、先週の心ちゃんの様子と似ている。
ㅤであれば...
「じゃあ、心ちゃんならどうすればいいかわかるってこと?」
ㅤそう聞いても、帰ってくるのははっきりしない答えだった。
「いや...ごめん。やっぱりわかんない。」
「...そっか。」
ㅤどこか気まずい雰囲気が流れてしまう。どうせ一緒にいるなら何か楽しいことをしたいものだけど。
「でも、ありがとう。話聞いてくれて。」
ㅤそれでも、心ちゃんが私の話を聞いてくれて、少し重い気分が軽くなったような気がする。だから、私はできるだけの笑顔で心ちゃんに感謝を伝える。
「...うん、どういたしまして。」
ㅤそう言った心ちゃんの顔は、窓から差し込む西日の逆光で良く見えなかった。
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