第2話 「鍛冶師の約束」
村に迎え入れられてから数日、俺は鍛冶場にこもりきりの日々を送っていた。
炉の扱いは不思議と自然に身についていたが、それでもこちらの鉱石は俺の知る鉄とはまるで違う。
赤熱した金属は叩くたびに青白い火花を散らし、耳の奥に澄んだ音を残す。まるで鉄そのものが声を発しているようだった。
「この世界の鉄は……歌うのか」
無意識に口をついた言葉に、炉の影から小さな笑い声がした。
顔を向けると、銀髪の少女が桶を抱えて立っていた。年の頃は十にも満たないだろう。大きな琥珀色の瞳が、好奇心の光で揺れている。
「ほんとだよ。おじさんが槌を振るうと、鉄が歌ってるみたいに聞こえるの」
「そうか……俺には雑音にしか思えないが」
「違うよ。わたしにはちゃんと歌に聞こえる。あったかい歌」
彼女の名はリーネ。村の子供の中でも特に人懐っこく、毎日のように鍛冶場に顔を出しては水を運んでくれる。
父親は病で床に伏せ、母親は村を守る戦で帰らぬ人となったと聞いた。幼いながら、強く生きようとしている姿が痛ましかった。
俺は再び鉄槌を振り下ろした。
カァン、と澄んだ音が響くと、リーネの顔がぱっと明るくなる。
まるで俺の作業そのものが彼女にとっての希望になっているかのようだった。
「おじさん、剣を作れる?」
「……剣、か。できなくはないが、簡単なものじゃない」
「お願い。おじさんの剣なら、きっと世界を救えるんだよ」
唐突な言葉に、思わず手が止まった。世界を救う? 俺はただの鍛冶師で、英雄でも勇者でもない。
それでもリーネは真剣だった。幼い手を握りしめ、必死に言葉を紡ぐ。
「冬の王が来たら、この村もみんな凍えちゃう。お父さんも、もう長くないかもしれない。だから……お願い。わたしを守って」
小さな瞳が潤み、俺の心を刺した。
思い返せば、前の世界での俺の死は孤独そのものだった。誰も手を取ってくれず、ただ倒れ、忘れ去られるだけの存在。
だが今、目の前の少女は俺に「必要だ」と言っている。鉄を打つ俺の存在に、彼女は希望を託している。
その夜、湖畔で星を眺めていたときのことだ。
白い吐息が夜空に消えていく。月明かりに照らされ、湖面は凍りつき、鏡のように冷たく輝いていた。
そこへリーネが駆け寄り、小さな手を差し出してきた。
「約束して。おじさんの剣で、この世界を守ってくれるって」
凍りつく湖を背にして、彼女の言葉はやけに重く響いた。
俺はしばらく迷った。俺のような男が、世界を救うだなんて笑い話だろう。けれど、孤独に死んだ前世を思えば、ここで背を向けたら二度と立ち直れない気がした。
この手を取らなければ、俺は本当に「何者でもない」まま終わる。
俺は彼女の手をぎゅっと握り返した。
小さな手は驚くほど温かく、俺の冷え切った胸を溶かしていく。
「わかった。約束する。俺が鍛える剣で、この世界を救う」
リーネは涙を浮かべながら笑った。その笑顔は、炉の火よりも眩しく思えた。
俺の耳には、再び鉄が歌う音が響いていた。
それはただの鍛冶の音ではない。誰かの願いを託された「約束の音」だった。
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