王国一の魔法剣士と魔王の娘は最強の夫婦
つっこちゃん
一章 結婚編
第1話 最強の魔法剣士と結婚することになった
私は負けた。完膚なきまでに負けた。
焦げた大地の匂いが肺に刺さり、体は鉛のように重い。視界の端では部下たちが蹂躙され倒れていた。
自信はあった。確固たるプライドも、誰よりも強いという確信もあった。
私は世界を脅かす魔王の娘だったからだ。
生まれながらに魔力を操り、無詠唱も当然。幾重の勇者パーティーも返り討ちにしてきた、魔族の中でも異端の天才──それが私だった。
もはや人類は、挑むことさえ恐れるようになったというのに。
あの男は違った。
「……殺せ」
指一本、動かせない瀕死の状況下、私を見下ろすその剣先は、容赦なく首筋に添えられている。
顔は若い。だが、瞳の奥には幾重の修羅場を潜り抜けたような光が宿っている。
巧みな剣術は私の攻撃を一切寄せ付けず、規格外の魔法は無防備な私を徹底的に蹂躙した。
切り札を使う暇すら与えられず、致命傷を負った今、私は恐怖の底に突き落とされていた。
──思い出す。
千年に一人の逸材、最強の魔法剣士の存在を。
気づいた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
命乞いなど絶対にしない。魔王の娘が人間に縋るなど、あり得ない。
けれど、心臓は勝手に早鐘を打っている。
暗雲立ち込める深い夜の中、男が一向にトドメを刺そうとしなかったから。
「……どうした、人類の英雄よ。こんな私にも少しでも良心が残っているのかと、改心を期待しているのか……?」
「ん、いや別に」
「ならなぜ……」
首筋に剣を添えたまま、男は首を傾げる。
その無邪気とも言える冷静さは無意識に私を腹立たせる。
「……お前は全ておいて私を凌駕していた。魔王の娘である私に余力を残して勝ってしまうとはな……」
「まあ俺、最強だし」
その一言が、屈辱の矛先をさらに深く突き刺す。
怒りが恐怖に変わり、身体が震える。
あまりにも計り知れない力に、反抗する意思さえ萎えそうだった。
「殺せと言う割には、死ぬのが怖いんだな」
図星をつかれ、思わず唇を噛む。
「黙れ! これは……私の矜持の問題だ! 誇りを奪われた今、せめてお前に殺されることで救われる!」
「そうか」
男はつらつらと並べられた詭弁に退屈そうに欠伸をすると、手に持つ剣に力を込めた。
私はぐっと目を瞑り、その瞬間を今か今かと待ち望んだ。
なのに、男は名残惜しそうに納刀したのだ。
「やっぱ無理だわ」
「……なに?」
「俺には君を殺せない」
理解できない言葉に、頭が真っ白になる。
恐怖、屈辱、そして微かな戸惑い──そのすべてが胸を押し潰す。
「私は魔王の娘だぞ……? これまで多くの街を焼き民を殺した人類の憎き仇敵」
「俺にとっちゃあさ、もう君が魔王の娘だとか人類の仇敵だとか、ぶっちゃけどうでもいいわけ」
「な……どういう意味だ」
私が動揺のあまり言葉の意味を理解できないでいると、男は近づきあろうことか治癒魔法を唱えたのだ。
温かな光が全身を満たし、裂けた肉が塞がっていく。
「よし、これで少しは動けるようになるな」
「ど、どういうつもりだ!? お前は私を殺すためにここへ来たのではなかったのか」
「最初はそのつもりだったよ? どんな悪人面が拝めるのかと道中では考えていたけど、びっくりだ」
男は「はあ」と大きなため息を吐くと、なぜか恥ずかしさを誤魔化すように顔を背ける。
胸に手を当てて早まる鼓動を抑えようとしているのか。傷一つなくなった顔を一瞥するとこう言った。
それは聞き間違いかと勘違いしてしまうほど、とんでもない発言だった。
「その戦いぶり、正直背筋がゾクっとするほど美しかった。気づけば目を奪われてしまったんだ……まさか顔までもろ、どストライクとは」
「は……?」
理解できなかった。 混乱で思考が追いつかない。
男は私に構うことなく、一人で納得したようにうんうんと頷いている。
「まずその腰まで伸びた絹のような黒髪。艶っぽい顔立ちに柔らかく白い肌。モデルみたいな肢体に誰もが羨む魅力──もう全てが、最高なんだよね」
「な、何を言って」
「それだけじゃない。魔力をぶつけ合うたび、君の魅力に心臓がうるさいほど騒いでいた」
そして満を持して、男は告げる。
「ということで結婚しよう。だから君は殺さない」
「け、結婚!?」
「王都に戻ったら早速式を挙げようね! 豪勢にパーティーを開いてさ!」
「いや、なんで私が……ておい!?」
拒否する前に肩に担がれ、男は意気揚々と歩き出す。口先からは結婚式やパーティーの妄想が止まらない。
「ま、まて! 私はお前なんかと結婚などしとうないぞ!?」
暴れてみるが効いている様子がない。必死の抵抗に背中を殴ってみても「マッサージしてくれるの?」と聞く耳持たずだ。
反面、それでも胸が高鳴るのはなぜだろう。
恋心など、とうの昔に見限ったはずなのに。自分を見透かされた気がしたからか。
「あ、せっかくだし魔王にも同席してもらう? 娘のバージンロード、一緒に歩いてほしいし」
「いや、だから、私はお前と結婚など!」
「大丈夫。絶対に君を惚れさせてみせるから」
一瞬だけ。そのたった一瞬だけだった。
男の目の奥が──孤独によって潤んで見えたのは。
「話を聞けぇええええ!!!」
かくして、私はこの変な男と結婚することになった。
まだ了承はしていないし、今後もするつもりも一切ない。
けれど、胸の奥が少しだけ揺れるのを否定できなかった。
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