十四睡目 体育と睡眠と

 ある日の1時間目。朝から太陽が顔を出し、初夏の光が体育館の窓から差し込む。床に反射する光がまぶしく、朝の湿った空気が少しずつ温かく変わっていくのを感じる。今日の体育はバレーボールだ。私はそこそこ得意なので、授業の始まりから胸が少し高鳴る。


 体育館はすでに熱気でむんむんとしていて、足元から立ち上る汗の匂いと、バレーボールのゴムの香りが混ざり合う。風通しのために窓が少し開いており、外の初夏の爽やかな風が、時折体育館の奥まで流れ込んでくる。木々の緑がほんのり揺れ、かすかに花の香りも混ざっている気がした。


 みんなが声をかけ合い、笑い声や掛け声が響く中、私はチームメイトの鳴古の方をちらりと見た。


 ……相変わらず、眠そうだ。


 長いまつげを伏せて、頭がわずかに左右に揺れている。立ったままウトウトしているようで、手を動かすタイミングも少し遅い。天然な彼女の様子に、思わず笑みがこぼれる。


 「いくよー!」

 掛け声とともに私はサーブを打つ。ボールは天井に当たって軽快な音を立て、相手チームに向かって飛んでいった。チームのみんなも声を張り上げ、必死にレシーブしている。体育館中に響く声とボールの音が、初夏の陽気と相まって活気に満ちていた。


 鳴古も一応動いているが、目が半分閉じていて、動きがふわふわしている。ボールが近づいても反応が遅く、時折「え、いま私の番……?」と小さく呟き、手を出すのもぎこちない。まるでぬいぐるみがふらふらしているようで、見ているだけで胸がきゅっとなる。


 「鳴古、こっち!」

 声をかけると、彼女は顔を上げてこちらをちらりと見た。黒目がちな瞳がとろりと蕩けるように眠そうで、でもその視線だけで心臓が早鐘を打つ。


 ラリーが続く中、鳴古はついに立ったままウトウトし始めた。足がふらつくのが見える。次の瞬間、相手チームからの強いスパイクが、まっすぐ鳴古の頭に向かってきた。


 「わっ!」

 思わず私は飛び出し、彼女の頭に当たる直前で手を伸ばす。ボールは私の手に当たって弾かれ、体育館に軽快な音を響かせた。鳴古はふらりと私に寄りかかり、目をぱちぱちと瞬かせる。


 「危ないでしょ!」

 思わず少し強めに声をかけると、鳴古は眠たげに笑った。


 「……ん、ありがと……」

 その声は小さくて、ぼそっと漏れるように柔らかく、なんともいえないかわいさだ。立ったままうとうとしていたくせに、こんなに愛らしい表情を見せるなんて。私は思わず肩の力が抜けた。


 「ほんと、鳴古って……放っとけないなあ。」

 

 つぶやくと、鳴古は首を傾げ、黒目がちな瞳で私を見上げる。髪がふわりと揺れ、窓から差し込む光に反射してきらきらと輝いている。


 「放っとけないって、どういう意味?」

 

 「んー……そのままの意味だよ」

 

 「ふぅん……じゃあ、放っとかないでね」

 

 あれ、この会話、前もしたような……?いたずらっぽくにこっと笑うその笑顔に、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 ラリーは再開されたが、鳴古はまだ少しぼんやりしている。ボールが近づくと、目をぱちりと開けて手を出すが、遅れがちで、時々顔の前でぼんやりボールを見つめるだけの時もある。


 「ねえ、鳴古、大丈夫?」

 声をかけると、ちょこんと肩をすくめ、小さく笑う。


 「うん……大丈夫……」

 眠たげな声でそう言う。その声の柔らかさに、胸がぎゅっとなる。


 試合が終わるころ、鳴古は少し汗ばんで、髪の毛が額にかかっていた。手でそっとかき上げながら、ふわっとため息をつく。私はそんな彼女の頭を、無意識に優しく撫でた。


 「疲れた?」

 「うん……でも、楽しかった……」

 にっこりと笑い、まだ少し眠そうな目で私を見て、ふわっと息を吐く。その柔らかな仕草に、初夏の体育館の熱気も心地よく感じられた。


 休憩の時間、体育館の隅で鳴古は私の肩に頭を預けて座った。柔らかい髪が私の腕に触れ、わずかに体温が伝わる。初夏のそよ風がカーテンの隙間から吹き込み、彼女の髪をそっと揺らす。二人の周りだけ時間がゆったりと流れているみたいだ。


 「……ね、真白……つないでていい?」

 

 小さな声で鳴古が聞く。私は笑みを返しながら、手をそっと握り返した。


 「もちろんいいよ。いつものことじゃん。」


 鳴古は嬉しそうに目を細め、また少し眠そうな顔になる。ふわりと香るシャンプーの匂い、柔らかな髪、温かい肩……立ったまま寝ちゃう天然な彼女の可愛さを、私は改めて胸に刻むのだった。


  鳴古はゆっくりと目を閉じ、肩を私に預けてくる。立ったままウトウトしていた彼女が、自然にこちらに体を傾けてくる感触は、ふわふわとした綿のように柔らかくて、ほんのり暖かい。初夏の柔らかな日差しが体育館の窓から差し込み、彼女の金色の髪が光に透けて揺れている。


 「ん……」

 

 小さく寝息を漏らす鳴古の頭を、私はそっと手で支える。無理に起こすわけでもなく、ただ彼女が安心して預けられるように、自然に腕を添えるだけ。肩にかかる重さはほんのわずかで、それでも心の中はときめきでいっぱいになった。


 髪越しに触れる柔らかい頭、温かい頬、ほんのり香る汗の匂い……全部が、初夏の体育館の空気と混ざり合って、胸がじんわりと温かくなる。鳴古の呼吸がゆったりと落ち着いていくのを感じながら、私は心の中でそっと笑った。


 「……ほんと、鳴古ってかわいいなあ。」

 

 思わず呟く声も、彼女には届かない。だからこそ、無防備な寝顔を前にして、少しだけ胸が高鳴る。


 彼女の指先が、ふと私の手に触れる。眠ったままなのに、無意識にこちらを求めているのかもしれない。私はそっと指を絡め返し、手のひらでその小さな手を包み込む。暖かさがじんわりと伝わり、心が甘く溶けていく。


 周りのざわめきや光の揺らぎも、今だけは二人だけの世界の中で穏やかに溶けていく。初夏の柔らかい風が体育館の窓から吹き込み、髪をそっと揺らす。鳴古の髪が指の間をくすぐる感触に、思わず笑いそうになりながらも、そっとそのままにしておいた。


 「……ね、真白」

 

 かすかに聞こえる寝言に、胸がじんわり熱くなる。優しく守ってあげられる、この時間の愛おしさ。私は彼女を少しだけ抱き寄せ、肩に寄せた頭をさらにそっと支える。


 鳴古の眠る顔は、初夏の光に包まれて輝いていた。無邪気で、甘くて、守ってあげたくなる――そんな天然な彼女の可愛さに、私は心から笑い、そしてそっとつぶやいた。


 「……これからも、ずっとこうして一緒にいたいな。」


 鳴古の寝息と私の心臓の鼓動が、静かに体育館の空気に溶けていった。初夏の柔らかな光の中、二人だけの穏やかで、甘いひとときが、そっと流れていく。

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