負目と打算
「そういう未来が見えたんだ。ただ、俺が見る未来は行動次第で変わる場合もある。だが……今回はどうだろうな。いろんな手を打っている間に、痣の状態も悪くなるかもしれない」
澪は既に十八歳を過ぎている。本来、澪が受けた呪いは十八歳で死ぬ呪いだ。
いま生きているのが例外なだけであり、刻一刻と死の瞬間が迫っているのだとしたら、流暢なことは言っていられない。
だけど、村に戻ったとしても澪に居場所はない。むしろ、
(私が化け物扱いされてしまうかもしれない)
一度、生贄として捧げられた娘なのだ。その娘が数週間後、村に戻ってきたとなれば、みな澪のことを恐れるのは目に見えていた。
(前よりももっと酷い扱いを受けるかもしれない……)
それでも、と澪は思う。
少しでも助かる可能性があるのなら、いまは白李の考えに賭けたいと思った。
「……わかりました。四ツ谷村へ戻ります」
「いいのか?」
「はい。それに、村には義妹がいます。義妹に話せば、力になってくれるかもしれません」
寧々子であれば、事情を話せばわかってくれるかもしれない。
姉さんがその気なら逃げ出す手伝いをするとまで言ってくれた子なのだ。直前まで澪が生贄になることを心から心配してくれた。
四ツ谷村に帰るのは気が重いが、また寧々子の顔を見ることができると思うと、少しだけ澪の気持ちも軽くなった。
「本当にいいんだな?」
「はい。大丈夫です」
「……わかった。ならば、村へ戻る準備をしよう。……平野」
「はい」
傍で控えていた平野が白李の元へ向かい、膝をつく。
命ならなんなりと、と頭を軽く下げる平野は、いつも以上に頼もしく見えた。
「村へ行く準備をしたい。車の手配と、このあと用意する文を届けてほしい」
「かしこまりました」
白李からの命令を受けた平野が下がっていく。
それから澪は、他の使用人たちと一緒になって朝食の片付けをした。
白李からは家を出る準備をするように言われたが、元々着の身着のままでここへ来たのだ。いまさら、持って行くものなどない。
ただひとつ、持っていくとしたら白李からもらった手袋だろうか。
それだけは持っていこうと、澪は心に決めたのだった。
■ ■ ■
白李が見る未来は、これから起こる未来のうちのひとつに過ぎない。
まるで天啓のように、頭の中にふと雑音が混じるかのごとく未来が見えるのだ。基本的に自分の未来か、対峙している相手の未来がぼんやりと見える。
意識せずとも未来の様子が頭に流れ込んでくるのだが、より深く未来を見ようと念じれば見ることもできた。
ただし、見たい未来を絞って見ようとするとかなりの力を使う。しばらくの間、力を使えなくなることもあるため、普段は意識して見ないようにしていた。
(だけど、今回ばかりは仕方あるまい)
書斎の椅子に持たれかかり、目を閉じて意識を集中させる。
見るのは、少し先の自分の未来だ。
脳裏に描かれるのは、澪が倒れる様子とそこに駆け寄り澪を抱こうとする自分の手、そして何者かの足元。
場所は、ここではないどこかだ。蛇目家でもなければ、天城町のどこかもでなさそうだ。
そもそも天城町は天子が目を光らせている町である。あの世とこの世の狭間でありながらも、白李たちを統べる神のいる町だ。
神の支配から逃れて人間に悪さをする妖や鬼は、常に神や白李のような神の使いから追われる。神の仕事を放棄した野良神もまたしかり。
天子がいる町に、黄泉醜女がいるとは考えられなかった。
「やはり、あの村か……」
鈍器で頭を殴られたような強い痛みを覚え、白李は目を開ける。
ここが能力の限界だった。
深く息を吐き出したのと同時に、戸を叩く音がする。この気配は平野だろう。
入るように促せば、案の定、平野が入ってきた。
「失礼します。文を預かりにきました」
「あぁ、これだ」
用意していた二通の文を平野に託す。
平野は文を受け取ると、宛先を確認して、そのうちの一通を見て眉を顰めた。
「必ず届けます。……が、白李様の命で動くかどうか……」
「わかっている。だが、奴にも話を通さねば」
最悪の場合は、自分でなんとかすると伝えれば、ますます平野の表情が歪んだ。
「なんとか引っ張りだしてみます」
「よろしく頼む」
白李の言葉に頷き、平野が消える。
文字通り、ふっと消える様はさながら忍びのようである。優秀な使用人を持ったものだと、我ながら感心しながらも、澪のことが気になった。
村へ行くと告げたときのあの表情を思い出すだけで、胸がざわりと波を立てる。
白李にとって、澪を村に返すのは二つの利点がある。
ひとつは、村の伝承が嘘っぱちであることを証明できることだ。
捧げた生贄はもれなく白蛇に喰われると村人たちは思っているようだが、その娘が村へ戻れば、長らく信じ込んでいた伝承もでたらめであることに気付くだろう。
そしてもう一つは、すべてが解決したとき、また澪を村に返すことができる点だ。
白李と澪の間で結んだ婚姻は形だけのものだ。あの血判も、書面も実は婚姻のために行った契約ではない。
澪が万が一逃げ出しても、すぐに見つけられるようにするために匂いを追うためのものだ。
もし、澪が白李の許可なく天城町を出ようとした場合、血の匂いを辿って追いかけることができる。それだけ白李は、普通の人間よりも嗅覚が優れている。
ただし、血の匂いを覚えない限りは追えない。だから、あれは血を得るための苦し紛れの策だった。
痛い思いをさせてしまい申し訳ないと思っているが、それだけ躍起になる理由が白李にはある。
というのも、今回、生きている痣の娘を見つけたのは奇跡に等しかった。白李以外の使いの者たちも痣持ちの人間をずっと探していたが、まだ誰も探し出せていなかった。
そんな折、予期せぬ形で転がり込んできた痣持ちの娘。
口を開けていたら、獲物が飛び込んできたようなものだ。
白李にとって、澪は自分の野望を遂行するための道具でしかない。
すべては、神の命を誰よりも早く確実に遂行し、報奨を得ること。報奨の印となる腕輪の珠が集まれば、望む願いをなんでもひとつ叶えてもらうことができると言われている。
しかし、歴代の使いの者でも生きているうちに珠を集めきったことはないそうだ。
その初めては自分でありたい。そして、なんとしてでも自分の願いを聞き届けてほしい――。
そう思うのに、澪の表情がちらついて、自分のこの打算まみれの計画を遂行していいものか、白李は直前まで悩んでいた。
(だけど、澪を救う方法もこれしかない)
これは澪のためでもあるのだと自身に言い聞かせ、白李は息を吐く。
澪を助け、そして自分の願いも叶える。
神の使いであり、蛇目家当主でもある自分に不可能なことはないのだと白李は言い聞かせて書斎を出た。
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