第12話 対応策の選び方

 私はゆっくりとうなずく。

「父は、退魔の仕事は画業と並行して行っていると言っていました。斎藤家では、退魔の効力がある絵を描いていると」

 両の手で濁りこんでいた模造刀を右手に持ち替え、刃先を下にして、害意がないことを示す。

「……私には、絵心がありませんでしたので、そちらの仕事は一度も行ったことがありません」

 自嘲じみた声をものともせず、鵯越家の次期当主はなおも問いかける。

「わざわざ居合を選択し、続けたのはなぜだ。ひいき目にみても、メジャーな習い事とは言えない」

 思わず、口元を緩ませた。

 目は、笑っていないと思う。

「習うように命じたのは父ですが……褒められたので」

 筋がいいと褒められた。

 ただ、それだけのことだった。

 どう頑張っても、私の画力は父の求める基準には届かなかった。

 双子のかたわれは才能を秘めていた。

 だから関心は飛鶴に向いた。

 どんどんと狭くなっていく家庭内での居場所とは対照的に、居合を習う場所だけは、いつだって私を受け入れてくれた。

「――お待たせいたしました」

 川端さんが、うやうやしくなにかを抱えて戻ってきた。

 一振の、打刀うちがたな

 室内に緊張感が走った。

「――こちらを使って、今一度、型を見せていただけませんか」

 いつの間にかそばに来ていた柿本さんから模造刀の鞘を渡される。

 納刀した模造刀を預けながら、私は川端さんを見据えた。

「……真剣、ですよね」

「はい」

「お断りします。――扱ったことがありません」

 流派にもよるが、私が教えを受けた場所では、真剣は扱わなかった。

 抜刀技術が未熟だと、指を飛ばすからだ。

「すまない、斎藤舞鶴」

 私の方に歩み寄り、鵯越多雨は神妙な表情をした。

「無理を承知で頼む。その刀を使って居合いを見せてくれないか。私だけでなく、君の今後にも大きく影響するんだ」

 頼む。

 そう言って、頭を下げた。

「あの……!」

 微動だにしない姿に、心が揺れた。

「頭を、上げてください……私、やって、みますから……」

 ゆっくりと身体が起こされ、鵯越多雨は静かに後ずさる。

 私は川端さんから刀を受け取り、ゆっくりと、刀を抜いた。

 ――思わず息を飲むような、とても、美しい剣だった。

「鞘をお預かりいたします」

 呆けていたところを現実に引き戻される。

 鞘を預け、川端さんも安全圏に退き、柿本さんも危なくない場所にいることを確認する。

 息を整える。

 重みは使い慣れた模造刀とは違っている。

 だけどできる。うまくできる。

 なぜだか自信に満ち溢れている。

 さきほどと同じように正眼せいがんの構え。

 息を止めてみているようなギャラリーは、すでに意識の埒外だ。

 上段の構えに移行する。

 しんと静まる座敷で、私はその時が来るのを待った。

「――エイ!」

 腹から太く短く声を出す。

 気迫を込めて、最高速度で振り下ろす。

 普通は『ヒュン』と風を切る音が聞こえてくる。

 けれどこのときいつもの音の他に確かに。

 鈴の音の音を聞いたのだ。

「……今、なにか音が――」

 おずおずといった体で、柿本さんが口を開く。

「卯一郎にも、聞こえたのか」

 鵯越家当主は、血の気がひいた顔をしていた。

「……舞鶴様、一旦刀をお預かりいたします」

 鞘を受け取り、納刀した真剣を川端さんに預ける。

「柿本」

「はい」

「模造刀は舞鶴様に預けて、新しいお茶を」

「承知しました」

 柿本さんは反論することなく、すっと去っていった。

「おかけになって、少々お待ちください」

 いつの間にか敷かれていた座布団に腰を下ろすと、鵯越多雨が正面にどっかりと座った。

 右手を手に当てて、考え込んでいる。

 その姿を切り取ると、絵のようになるとぼんやりと思った。

 手持無沙汰な間、私は残していたお茶を飲む。

 すっかりぬるくなっていて、すぐに飲み干してしまった。

 誰も、なにも言わない時間が、少しだけ居心地が悪い。

 かといって、こちらから口を開ける状況でもなかった。

「――お待たせいたしました」

 柿本さんがお盆を持ってやってきたのは、場の切り替えに最高のタイミングだった。

「失礼いたします」

 漆塗りの茶たくとシンプルな湯呑がサーブされる。

 柿本さんのお盆に何もなくなったタイミングだった。

「柿本」

「はいっ」

「空になった湯呑はすぐに下げるように」

「承知しました」

 柿本さんは川端さんの指示通り、文句のつけどころのない所作で二客の湯呑を下げていく。

 そのまま静かに座敷を出ていった。

 足音が完全に聞こえなくなって、次期当主が口を開いた。

「――こだま」

「はい。多雨様のお考えでよいかと」

 私以外の人たちは、当然とでもいうように阿吽の呼吸で物事を進めている。

 蚊帳の外にいる私にとっては、状況が飲み込めない。

「あの」

「――すまない。こちらも少し、戸惑ってしまった」

 鵯越多雨が口を湿らすように、湯呑に口をつけた。

 ことんと湯呑を茶たくに置き、彼は私をまっすぐに見据える。

「事情が変わった。君にはこの家にいてほしい」

 居合をしてから、どこか様子がおかしかった。

 くるくる回る手のひらに、不信感がむくむくと芽生える。

「理由を、お伺いしてもよろしいですか」

「……こだま」

「舞鶴様ご本人も、知っていただいていたほうがよいでしょう」

 それでもなお躊躇するかのように、鵯越多雨はしばらくティーカップのほうに視線をやっていた。言いにくいことを言うための、儀式であるかのように。

「……鵯越家との婚約を破棄したら最後、君の安全を保障することができなくなる」

 退魔の力。『退魔の仕事はしていないはず』と彼は驚いた様子だった。

 きっとなにか、関係がある。

「それは、なにかの脅しでしょうか」

「違う!本気で君の心配をしている。……今さら、信じてもらえないかもしれないが」

 言葉を選んでいるようで、まだ見つからない。

 隠しきれていない狼狽ぶりが、そんなふうに見える。

「僭越ながら、私から説明申し上げます」

 横に控えていた川端さんが、無表情に口を開く。

「斎藤舞鶴様。あなたはまさしく、鵯越家の跡継ぎを生むために、母体として望まれました。ただ、あなたは第一候補群ではなかった。奥方候補とのお話がことごとくまとまらず、頭を抱えていたところに斎藤家が再発見され、お鉢が回ってくる形となった。ですので正直、舞鶴様の期待値は低かった。最低限の母体としての役割以外は望まれていなかったのです。昨今、後継者を絶やさないための縁談を調えることすら難しいですから、少し語弊はありますが。

 ――ですので、鵯越家との婚約が多雨様からの申し出によって破談になっても、舞鶴様が被るのは、ささやかな傷で済みました」

 オブラートに包んでいない言葉に傷つきながらも、私は最後の過去形に疑問符をつけた。

「事情が変わったのは、どうしてですか?他の家の動向より、退魔の力とやらが、なにか関係があるとでも」

「……そうだ」

 鵯越多雨が、苦しげに漏らした。

「さきほど渡した真剣は、退魔の一族が使う刀だ。君はそれを扱えた。刀を振ったときに出た鈴の音がその証左だ。ただ斬るだけでなく、魔を祓うことができる」

「そんな、急に言われても」

「模造刀を持った時にもその片鱗は見えた。……君には退魔の力の才能がある。先祖返りしたような。……だからこそ、君の価値は跳ね上がり、必然的に危険になる」

「鵯越家、鶴見家以外にも、こういった家はいくつか存在します」

 あとを引き取った川端さんは、目も口も、笑っていない。

「幸いにして、鵯越家はそういった家の中でも筆頭格。かつ、慎ましく暮らせるだけの貯えもあります。一方そうでない家も多い」

 最悪な想像が脳裏をよぎる。

 川端さんの発した『母体』という言葉を聞いた時によぎった嫌悪感よりも、なにかもっと、嫌なもの。

「私共のような家は、常に次期当主の配偶者候補を探しています。まとまらなければ次、そのまた次と、息つく間もないほどに出会いの場がセッティングされます。多雨様と舞鶴様の婚約に向けての動きは、大変遺憾ながら情報が漏れました。近日中に婚約破棄・婚約解消となった場合、瞬く間に広がることは想像に難くありません。となれば、舞鶴様には次の縁談が舞い込むでしょう。……そうなればあなたの父上は、縁談を断れますか?」

 答えは否、だ。財力も立場も上の家相手に、突っぱねるとは思えない。

「見知らぬ相手と引き合わされ、その誰かとの間に後継者をつくる、ただそれだけのことを求められるのであればまだマシです。鵯越家のような家は、結婚適齢期の男女がどの家に何人いるか、常に把握しています。力の強さについても、大まかなことは知られています。

しかしあなたの存在は想定外でした。そのうえ退魔の力の才能が知られたら。きっと次世代の力の底上げにつながると、妙な期待を抱きかねない。

……次世代への力の継承、力の現状維持と欲を言えば強化。どこともこの問題に頭を抱えています。あなたは女性です。女性は子供を産むことができます。この意味がわかりますね」

 私はうめいた。ここを出たら最後、詰んでしまう。

「手前味噌と思われるかもしれないが、鵯越家うちは一応正規の手順は踏んだ。君の年齢的に、法律婚はまだできないが、婚約には法的な年齢制限がない。俺たちのあずかり知らないところではあるが、婚約は成立している。つまり君は、鵯越家うちの庇護下にあることを意味する。婚約を正式に発表すれば、危ない目にあう確率は格段に下がる」




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