第4話 昇格

 まだ、三日しか経っていない?

 呆然とする俺を、受付嬢は訳も解らずに急かした。


「冒険者タグをお示し下さい。あと四日遅かったら、死亡扱いになる所でしたよ。えぇっと……迷子モンスターの報告報酬が出ています」


 一階にミノタウロスなら、少ない額では無いだろう。

 腑に落ちないが、事務処理は必要だ。登録の魔道具に押し当てるべく、首に鎖で吊った真鍮の冒険者タグを引っ張り出す。長い間使っていて、黒ずみ、くすんだはずの真鍮板。だが、血に濡れたのか、赤黒く染まっていた。


「悪い……血がついちまったらしい」

「えっ? ……違いますよ、カーデュさん。これはランクアップの……って、カーデュさんが?」


 お前、そこで驚嘆の声を上げるのは失礼だろう。

 確かに、二十年間に一度もランクアップしたことの無い名物親父だと知ってるけどよ。

 受付嬢は、カウンターの下で何やらタグを取っ替え引っ替えしている。


「か、カーデュさん。……少々お待ちいただけますか? ギルド長を呼びますので」


 笑顔を引き攣らせて、二階へ駆け上がってゆく。

 珍しく今日は、酒場の方にも誰も残っていない。仕事があがったりのウエイトレスが、媚びた笑みを浮かべて手を振る。ちょっとした金が手に入りそうだし、手続きが済んだら、久し振りに美味いエールでも飲むか。


「カーデュ、戻って来られて何よりだ」


 受付嬢に連れられたギルド長が、労ってくれた。このギルド長が、腕の立つ斥候だった頃から見知っている。駆け出しの頃の憧れのパーティの一員が、今ではギルド長だ。

 銀髪の小男は、眼を細めてカーデュを見ると、受付嬢の細い腰を叩いた。


「魔道具の間違えじゃねえよ。ひと目見りゃあ解る。二十年ランクアップしなかった変わり者だ。たった三日で、一気にランクアップすることくらいあってもおかしくねえだろう」


 一気にランクアップ?

 師匠との修行を思えば、とても三日とは思えない。あの場所だけ、時間の流れの外にあったのか?

 受付嬢が差し出した、俺の新しい冒険者タグは、銀製だった。


「カーデュさんは新たに、銀ランクの冒険者として登録されました。ご存じかと思いますが、銅ランク以上の冒険者は、王国の非常時に力を尽くす義務契約をする代わりに、週単位で王国より代償金が支払われます。銀ランク冒険者は稀少ですので、この金額となります」


 まさか、自分がこの契約をする立場になるとは、思ったことすら無かった。

 魔法契約書にサインをすると、青い炎となり飛んで行く。王都の冒険者ギルド本部の台帳に加わるのだと聞いている。ついでに、迷子モンスターの報告料がささやか・・・・に振り込まれていた。


「事務手続きは、こんなものだ。だが、カーデュよ。一体何があった? 詳しい話を聞きてぇから、二階に付き合え。……あぁ、ブランデーとグラスを二つ。それと何かつまみを多めに運んで来てくれ」


 未練の視線に気づいたのだろう。酒場に声をかけて、二階へ誘ってきた。

 報告義務はある。小柄な背中を追って、二階のギルド長室へと階段を上がる。

 ギルド長室は、意外に質素な作りだ。小さな窓と、事務用の大きな机。簡素な向かい合わせのソファとローテーブル。いつでも復帰できるようにか、磨き抜かれた革鎧と円盾、ショートソードが置かれている。装飾らしい装飾は、壁に掛けられた王国の地図くらいのものだ。

 数年ぶりの酒ははらわたに染みた。豆やチーズを乗せて焼いたパンを囓りながら、迷子のミノタウロスに遭遇した後の出来事を詳細に伝えていく。まるで夢か、お伽噺のようだと自分でも思う。信じ難い顔をしていたギルド長も、腰から外したふた振りの剣を見て、顔色を変えた。


「そんな馬鹿げた話を誰が信じる? って言葉が喉まで出てるんだが……カタナの実物を見せられると、信じないわけにもいかないだろう」

「この剣の由来を知っているのか?」

「今時の主流の剣とは、根っこから違うものだ。武器そのものが華奢なのと、扱いが難しいこともあって、とっくの昔に廃れたタイプの剣だよ、これは。俺でさえ、実物を見るのは初めてだ」

「そんな昔の剣だったのか……」


 どういう経緯で、師匠がアンデッドになったのかは知らない。

 そうまでして伝えたかったいにしえの流派を、俺は託されたと言うことか。


「使いこなしさえすれば、鋼や魔法も斬り裂くとんでもないものだという伝承だが、本当か?」

「まだ試したことは無いが、本当だろう。実感はある」

「信じ難い話だが、お前がそこまで言うなら、本当なのだろう。ランクが上がらないこともあって、自分を低く見過ぎなお前だ。……カーデュの『剣士』のスキルは、刀に特化していたと言うことか。伸び悩む者がいるなら、様々な武器を試す価値があるか」


 苦笑して、頷く。

 俺の二十年は、一体何だったのだろう? ブランデーが喉に熱い。


「だが、カーデュよ。それを武器にするには、一つ大きな問題がある」

「問題?」

「記憶の通りなら、それは斬る為の武器だ。刃を立てる研ぎ師が必要なはずだが……刀を扱える研ぎ師がいるのか?」


 思わぬ事だが、確かにそうだ。

 レイピアや槍、それこそ包丁やナイフなどを研ぐ職人はいるのだが、これは違うものだ。

 扱ったことのある職人はいるはずも無いが、扱えるようになる腕の職人はいるのだろうか?

 剣気で斬るとはいえ、なまくら刀と名剣ではやはり違う。カーデュの腕では、元の切れ味で明確な差は出る。師匠が言っていた剣神レベルになれば、違うのかもしれないが……。


「すぐにとは言わないが、早めに王都の冒険者ギルド本部に行って置いた方が良いな。腕の良い研ぎ師は網羅されているだろうから、早めに扱える腕を持った研ぎ師を見つけておかないと、苦労するぞ」

「契約が受理されて、金が入ったら……王都に向かいます」

「仕方ねえな。……情報料だ。これで娼館にでも行ってすっきりして来い」


 指で弾いた金貨を、ありがたく受け取る。

 俺は聖人君子じゃねえから。実際と違う時の流れにいたし。命拾いもした。……今夜くらいは、女でも抱きたくなるさ。

 理解あるギルド長で、助かる。

 階下に降りれば、もう酒場には仕事から戻った冒険者が、エールのジョッキを抱えていた。

 もう、陽が落ちようとしている時間だ。


「よぉ、カーデュ。ランクアップしたってマジか……よ……」


 からかうつもりのドラ声が、顔を見せた俺に驚き、声を失う。

 心得のある冒険者たちだ。俺の雰囲気の違いを、すぐに理解できたらしい。これは、本物だと。

 同じ銀タグの、このギルドの看板冒険者パーティの斥候が笑い飛ばすように混ぜ返した。


「いきなり、伸びたじゃないか。お前の二十年の苦労は何だったんだよ?」

「どうも、扱う剣が違ったらしい」

「へぇ……そんな事もあるのか」


 腰に二本差しした刀を見て、納得がいったらしい。

 おそらくは彼も、初めて見る種類の剣なのだろう。興味深げに覗き込むが、俺の手の内を見せてやる理由もない。


「おい、カーデュ。祝ってやるから、酒くらいおごれよ」

「わかったよ。マスター、ここに居る奴らにエールを一杯づつ、俺の奢りで」

「エール一杯かよ! ケチるな、銀タブ冒険者!」

「馬鹿野郎、まだ銅貨の一枚も、貰ってねえんだぜ? お前らの飲み代を全部抱えちまったら、今夜寝る所も無くなっちまうよ!」


 どっと、笑いが起こる。

 万年真鍮タブ冒険者の懐具合は、こいつらが一番良く知ってるはずだ。

 それでも一応、祝ってくれる気持ちはあるらしい。

 あちらこちらから沸き起こる「カーデュの昇格に乾杯!」の声がこそばゆい。

 祝われるのには、慣れちゃいないんだ。

 店の隅のテーブルに、ミノタウロスに遭った日に案内していたパーティを見つけた。片手を上げて、歩み寄る。


「ちゃんと、ギルドに報告してくれたらしいな」

「マジ、あの日のおっさんかよ。なんか……見違えたぜ」

「瓢箪から駒だけどな。いろいろあって、こうなった」


 この連中が報告してくれたから、ミノタウロス討伐隊が出された。

 ついでに俺を探すたいまつが、崖下に投げられたのだ。あの光が無ければ、岩棚は見つからず、俺はここにいなかっただろう。

 そういう意味では、こいつらも恩人だ。

 中でも一番、助かったのは……俺は、アルマという少女神官にポーチを返した。


「アンデッドに引っかかれたりしたから、聖属性のポーションは本当に助かったよ」

「お役に立ったなら、何よりです。……えっ?」


 はにかんで受け取った少女が、急に驚いた顔になる。

 酒場の天井を突き抜けるように、白い清らかな光が降って来て、少女神官を包み込む。

 アルマは慌てて、椅子から降りて床に跪き祈りのポーズを取った。


「なんだ? 何の光だこれ?」

「まさか、『天恵』か? 神の啓示を受けているのか?」

「なんていう日だよ、今日は……何でも有りか?」


 他のテーブルの神官たちも床に跪き、神の奇跡と祈りを共にする。

 もっとスレた連中は、驚きながらもその清らかな光景を肴に、ジョッキを掲げた。

 清らかな光が薄れ、やがて消えてゆく。

 祈りを解いた少女は、頬を薔薇色に上気させ、夢見るような瞳で俺の手を取った。


「天に在します主から、啓示を賜りました。私……アルマ・ヴィーヴァは、従者として一生勇者様にお仕えいたしますっ」

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